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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第11章 役割のない静寂

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第116話 完成体の沈黙

 ここはレイアノーティア。

 完全は、静かすぎる。


 欠けたものがない。

 乱れたものがない。

 飛び出した音がない。


 それは、美しい。


 だが。


 あまりに整った旋律は、時に息継ぎを忘れる。



 白い空間。


 調整は、進んでいる。


 都市は穏やか。

 暴動は起きない。

 魔物の出現も抑制的。

 災害は小さく、復興は滞らない。


 すべてが、程よい。


 過度な希望もない。


 過度な絶望もない。


 人々は、今日を疑わずに歩いている。



 その奥に、ドミニオンは立っていた。


 統戒の魔王。


 五戒を統べる完成体。


 漆黒の翼を畳み、紫の瞳を閉じている。


 巨大な存在でありながら、暴威はない。


 怒りもない。


 殺意もない。


 ただ、そこに在る。


 世界の均衡を固定するための、重い楔のように。



 エヴァンが近づいた。


 足音は白い床に薄く響き、すぐに消える。


「調整状況は」


 ドミニオンの瞳が、ゆっくり開いた。


 紫の光が、静かに空間へ滲む。


「安定」


 低い声だった。


「揺らぎ、減少」


「誤差、縮小」


「名称干渉、沈静」


「役割逸脱、低下傾向」


 端的で、明確。


 報告としては、ほとんど完璧だった。


 エヴァンは頷く。


「よくやっている」


 ほんのわずかな満足が、声に混じる。


「これで、想定外は起きない」



 白い空間に、沈黙が落ちた。


 ドミニオンは動かない。


 だが、その沈黙は完全な停止ではなかった。


 何かを計算している。


 あるいは、何かを待っている。


 そう思わせる静けさだった。



 やがて、ドミニオンが口を開く。


「想定外を、恐れている」


 疑問ではなかった。


 観測だった。


 エヴァンの視線が鋭くなる。


「恐れてなどいない」


 少しだけ言葉が止まる。


「防いでいるだけだ」


 ドミニオンは否定しない。


 ただ、静かに見ている。


「想定外は、世界の性質」


「完全は、到達点ではない」



 エヴァンの眉が、わずかに動いた。


「完全でなければ、破綻する」


 声は低い。


「破綻は、痛みを生む」


 エヴァンは言う。


「痛みは不要だ」


 ドミニオンの翼が、わずかに揺れた。


「痛みは、選択を生む」


 エヴァンの目が止まる。


 白い空間の温度が、ほんの少し下がったように感じた。


「貴様は調整体」


 エヴァンの声が冷える。


「感想は不要だ」



 ドミニオンは否定しない。


「我は五戒を統べる」


「記録を内包する」


「学習もする」


 静かに続ける。


「不協和は、拍を乱す」


「災衡は、帳尻を戻す」


「衰退は、熱を落とす」


「破滅は、中心を作る」


「虚無は、誤差を削る」


 紫の瞳が、まっすぐエヴァンを見る。


「そして統戒は、役割を固定する」


 白い空間に、声だけが残る。


「だが」


 ドミニオンの瞳が、わずかに細まる。


「それでも、揺らぎは消えぬ」



 エヴァンは即座に返す。


「ネームレスは無力化済みだ」


「誤差の中心は消えた」


「名は奪われた」


「役割はない」


 それは事実だった。


 水晶に表示された記録も、そう示している。


 《名奪い(ネーム・ディヴァウアー)》は成功した。


 トンヌラは、ネームレスではない。


 もう名を預かれない。


 仲間の可能性を世界へ通せない。


 中心ではない。



 ドミニオンの声は変わらない。


「名を奪った。だが、存在は残る」


 白い空間に、微細な振動が走った。


 エヴァンはそれを感じた。


 数値に出るほどではない。


 だが、確かにそこにある。


 不快なほど小さな揺れ。



「役割は固定だ」


 エヴァンは言う。


「名を失えば、中心にはならない」


「中心にはならぬ」


 ドミニオンは認めた。


「だが、名なき存在は」


 紫の瞳が、静かに光る。


「予測不能」


 その言葉が、空間に落ちた。



 エヴァンの胸の奥が、わずかにざわつく。


 予測不能。


 その言葉が、一番嫌いだった。


 先の読めないもの。

 譜面にない音。

 起こるはずのない変化。

 誰かが勝手に選ぶ一歩。


 それが、世界を壊す。


 それが、痛みを生む。


 それが、失敗になる。



「予測不能は、削る」


 エヴァンは冷たく言い放つ。


「それが調整だ」


 ドミニオンは目を閉じた。


「削り続ければ、世界は滑らかになる」


「それでいい」


「滑らかすぎる面は」


 ドミニオンの声が、低く沈む。


「何も生まぬ」



 エヴァンの視線が鋭くなる。


「生む必要はない」


 白い床に、彼の声が反射する。


「維持すればいい」


 ドミニオンは沈黙する。


 反論はしない。


 命令違反もしない。


 調整は続行される。


 世界は整っていく。


 魔物は抑えられ、事故は小さくなり、人々は何も知らずに今日を生きる。


 それは正しい。


 そのはずだった。



 だが。


 ドミニオンの紫の瞳の奥に、ほんのわずかな違和感が残る。


 感情ではない。


 反抗でもない。


 記録のずれ。


 分類できない残響。



 遠く。


 丘の上。


 古びた家の縁側に、何もない男が座っている。


 役割もなく。


 名もなく。


 中心でもなく。


 ただ在る。


 水を汲み、火を起こし、焦げかけた鍋を見つめ、時々空を見るだけの男。


 危険値は低い。


 名称干渉は発生していない。


 仲間との共鳴値も減衰している。


 世界は、その男をもう中心として扱っていない。


 だが。


 完全収束にはならない。


 生活線の奥に、分類できない何かが残っている。



 ドミニオンの視界に、微細な揺らぎが走る。


 数値化できない。


 意味付けできない。


 名前もない。


 だからこそ、掴めない。


 名を奪った。


 役割を奪った。


 それでも、存在は残った。


 名のない存在が、ただそこにいる。


 それは、支配の外側にある小さな空白だった。



「……監視を継続する」


 ドミニオンが静かに言った。


 エヴァンは頷く。


「完璧な世界を維持する」


 自分に言い聞かせるように。


 白い空間に、わずかな沈黙が落ちる。


 今度は誰もすぐに言葉を足さなかった。



 水晶に、世界が映る。


 平和な街。


 整った道。


 怪我人の少ない診療室。


 依頼の少ないギルド。


 食料の回る炊き出し場。


 何も起きない丘の上。


 そのすべては、正しく見えた。


 あまりにも正しく。


 あまりにも静かだった。



 ドミニオンは、再び目を閉じる。


 調整は続く。


 世界は滑らかに整う。


 だが、その奥で。


 名を失った男と、眠り続ける丸い獣だけが、まだ完全には譜面に収まっていない。



 ここはレイアノーティア。


 均衡は保たれている。


 だが。


 完成体ですら、


 理解できない揺らぎがある。



 第116話 了


 第11章 完

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