表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第11章 役割のない静寂

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
114/124

第114話 静寂の楽園

 ここはレイアノーティア。

 何も起きないことは、幸福に見える。


 悲鳴がない。

 争いがない。

 倒れる者がいない。

 誰かが、誰かを必死に呼ぶ声もない。


 それは、平和だ。


 少なくとも、世界の数値はそう示している。



 世界調停機構の塔は、今日も静かだった。


 白い壁。


 曇りのない床。


 無音に近い空間。


 その中央に、エヴァンは立っている。


 足元には、世界を示す円環が幾重にも重なり、淡い光を放っていた。


 光の線が流れる。


 街から街へ。


 山から海へ。


 人から人へ。


 魔物の発生地点から、冒険者ギルドへ。


 すべてが見える。


 そして今、その流れは驚くほど滑らかだった。



「誤差、収束」


 ノインの声が静かに響く。


 円環の一部が光り、各地の映像が浮かび上がる。


 砂漠の端で起きかけた魔物の異常増殖。


 発生前に、薄れる。


 港町で広がりかけた疫病。


 拡大前に、収まる。


 王都で芽吹きかけた小さな反乱。


 理由ごと、弱まる。


 街道で起きるはずだった荷馬車の衝突。


 車輪の角度がわずかにずれ、何事もなくすれ違う。


 森で暴れ出すはずだった魔物。


 出現位置が調整され、誰にも遭遇しないまま奥へ戻る。



 誰も気づかない。


 問題が起きないのだから。


 病が広がる前に消えたことも。


 怒りが爆発する前に薄れたことも。


 事故が事故になる前に避けられたことも。


 人々は知らない。


 ただ、今日は平和だったと思う。


 それでいい。


 平和とは、本来そうあるべきものだ。



 エヴァンは目を閉じる。


 深く、息を吸う。


(安定している)


 胸の奥が、静まっていく。


 あの誤差の中心は、もういない。


 トンヌラ。


 ネームレス。


 名を預かる者。


 世界の端に立ち、誰かの可能性を勝手に意味へ変えてしまう存在。


 その役割は、奪われた。


 名は剥がれた。


 揺らぎは弱まった。



「……これでいい」


 小さく呟く。


 誰もいない空間に。


 いや、正確にはノインがいる。


 水晶の奥には、統戒の魔王ドミニオンの反応もある。


 だが、誰もその言葉に反応しない。


 ここは感情を交わす場所ではない。


 世界を整える場所だ。



 幼い日の記憶が、ふとよぎる。


 白い部屋。


 整然と並ぶ椅子。


 机の上に置かれた譜面。


 小さな手。


 鍵盤。


『よくできました』


 頭を撫でる手。


 その手は優しかった。


 けれど、優しさはいつも条件つきだった。


 正しく弾けた時だけ。


 間違えなかった時だけ。


 予測通りに動けた時だけ。



『想定外は、事故だ』


 別の声。


 冷たい声。


『予測できないものは、失敗だ』


 叱責。


 視線。


 沈黙。


 エヴァンの胸の奥が、かすかに痛む。


 すぐに押し込める。


 今は違う。


 今の自分は、あの頃の子どもではない。


 世界を見ている。


 世界を整えている。


 想定外は、もう起こさない。



 かつて、勇者は勝ちすぎた。


 魔王は倒されすぎた。


 人々は、過剰に安心した。


 開拓は進み、人口は増え、英雄値は肥大化し、信仰は一方向へ傾いた。


 恐怖が足りなかった。


 不安が足りなかった。


 世界は、静かすぎた。


 その静けさは、平和ではなかった。


 均衡の崩壊だった。



 だから、強化した。


 魔王を。


 役割を。


 調整を。


 五戒を。


 そして今、五戒は統合された。


 不協和。


 災衡。


 衰退。


 破滅。


 虚無。


 それらの記録は、統戒の魔王ドミニオンに内包されている。


 暴走しない。


 感情に流されない。


 必要な時に起き、必要な時に止まる。


 最適化された、完成体。



 ノインが静かに報告する。


「各地の安定指数、上昇中」


「勇者値、抑制状態を維持」


「民衆不安値、適正範囲」


「冒険者活動量、低下傾向」


「大規模衝突、発生なし」


 エヴァンは頷く。


「良好だ」


 短い言葉だった。


 だが、胸の奥では確かな安堵が広がっていた。


 これでいい。


 世界は荒れない。


 誰か一人の選択で、構造が壊れることもない。


 役割は役割として収まり、名前は名前として固定される。



 窓の向こう。


 遠くの街が見える。


 灯りが揺れている。


 人々は笑っている。


 大きな争いはない。


 悲鳴もない。


 魔物の影に怯えて逃げる者もいない。


 市場は開き、子どもは走り、老人は椅子に座って夕日を眺めている。


 平和だ。


 誰が見ても、そう言うだろう。



「……平和だ」


 エヴァンは言葉にした。


 その瞬間、ほんの少しだけ違和感があった。


 喉の奥に、小さな砂粒が引っかかるような感覚。


 だが、すぐに消える。


 誤差だ。


 意味を持たない感覚。


 処理する必要もないほど小さい。



 水晶の奥で、ドミニオンの反応が静かに揺れている。


 統戒の魔王。


 五戒を統べる者。


 名を奪い、役割を固定し、世界の揺らぎを支配する完成体。


 魔王でありながら、暴威はない。


 怒りもない。


 必要以上に壊すこともない。


 必要なだけ、整える。


 それが理想だった。



「これで、永く続く」


 エヴァンは言う。


 誰に聞かせるでもなく。


 自分に言い聞かせるように。


 ノインが、わずかに目を細める。


「誤差は、完全に消えたわけではありません」


 エヴァンは首を振る。


「中心は、無力化された」


「拡大しない」


「はい」


 ノインはそれ以上、何も言わなかった。



 水晶の片隅に、丘の上の家が映る。


 古びた空き家。


 縁側。


 何もない男。


 トンヌラ。


 役割を失い、静かに座っている。


 その横で、ぽめが寝ている。


 丸い身体。


 深い眠り。


 呼吸は穏やかだが、以前よりも深い。


 深すぎる。


 水晶の数値が一瞬だけ揺れる。


【終焉プロトコル:休眠】

【発動条件:未達】

【危険度:低】

【分類:保留】


 エヴァンは視線を向ける。


 ぽめは動かない。


 トンヌラも動かない。


 何も起きない。


「放置で構わない」


 そう判断する。


 そして、水晶の表示を閉じた。



 塔の中へ、静寂が戻る。


 あまりにも整った静けさ。


 エヴァンは目を閉じる。


 未来を想像する。


 何も起きない未来。


 過度な絶望もなく。


 過度な希望もなく。


 勇者が肥大化することもなく。


 魔王が暴走することもなく。


 人々が、適度に不安を持ち、適度に安心し、適度に働き、適度に眠る世界。


 調整だけで回る世界。


 その未来は、滑らかだった。


 どこにも大きな歪みはない。



 だが。


 その想像は、どこか暗い。


 あまりにも音が少ない。


 笑い声もある。


 市場の喧騒もある。


 人々の生活音もある。


 だが、それらはすべて、譜面通りに置かれた音のように聞こえる。


 乱れない。


 外れない。


 間違えない。


 だから、美しい。


 美しいはずだった。



 エヴァンは、黒いピアノの前に立つ。


 鍵盤へ指を置く。


 ひとつ、音を鳴らす。


 澄んだ音。


 次の音も、正しい。


 さらに次も。


 音階は滑らかに続く。


 ルック・アヘッド《演奏の先読み》は、すべての先を読んでいる。


 どの音がどこへ行くのか。


 どの不協和がどこで起こるのか。


 どう解決すれば美しく収まるのか。


 すべて分かる。


 分かるから、間違えない。



 だが。


 指が一瞬だけ止まる。


 何かが足りない。


 そう思った。


 次の瞬間、その感覚を消す。


 不要だ。


 足りないものなどない。


 不足はない。


 世界は安定している。


 平和だ。


 それでいい。



 エヴァンは、最後の音を鳴らす。


 正しい音だった。


 美しい終止。


 白い空間に、余韻が広がる。


 誰も乱さない。


 誰も拍手しない。


 誰も泣かない。


 誰も、声を上げない。



 ここはレイアノーティア。


 均衡は、保たれている。


 だが。


 静かすぎる世界は、


 本当に生きているのか。



 第114話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ