第109話 支える者の重み
ここはレイアノーティア。
何も起きない日は、少しだけ不自然だ。
食べ物がある。
水が回る。
道は片づき、人は歩き、鍋には火が入る。
それは、いいことだ。
けれど。
支える者がいる場所では、いつの間にか、支えられる者が考えることをやめてしまう時がある。
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丘を下るコムギの背中は、忙しなく揺れていた。
トンヌラの家に持っていった籠は空になっている。
野菜も、果物も、保存肉も渡した。
団長は食べた。
少しだけだけど、食べた。
「……ちゃんと食べてくれるかな」
小さく呟く。
丘の上を振り返る。
古びた家が、夕方の光の中にぽつんと立っている。
煙は細い。
生活の煙だ。
それだけで、少し安心する。
だが、立ち止まっている時間はなかった。
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街へ戻ると、すぐに声が飛んだ。
「コムギさん!」
振り返る。
商人の男が、帳面を抱えて駆け寄ってくる。
「西区画の配給、どうしましょう。昨日の人数より増えてまして」
「増えた分は?」
「二十七人です」
「子どもは?」
「九人」
コムギはすぐに頭の中で計算する。
穀物。
水。
塩。
保存肉。
今日の消費量。
明日の補充予定。
「大人は一人分を少し減らして、子ども分は減らさないでください」
即答だった。
「塩はそのまま。水は二樽追加。保存肉は夜に回します」
商人の顔が明るくなる。
「助かります」
深く頭を下げる。
「あなたがいれば安心だ」
心からの言葉だった。
悪意はない。
感謝しかない。
それなのに。
コムギの胸の奥が、ほんの少しだけ沈んだ。
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次は復興区域。
瓦礫はかなり片づいていた。
壊れた壁には補修材が入っている。
崩れた道には仮の板が敷かれている。
簡易の炊き出し場には、列ができている。
以前よりずっと整っている。
むしろ、整いすぎている。
「コムギさん、次の炊き出し、昼と夜どっちを多めにします?」
「避難所の野菜、先に使った方がいいですか?」
「保存食はどこまで開けていいですか?」
三方向から声が飛ぶ。
コムギは笑顔を作る。
「順番にいきましょう」
手帳を開く。
人数。
食料。
日数。
消耗。
輸送の遅れ。
数字は、すぐに並ぶ。
迷いはない。
迷う前に、答えが出る。
「昼を少し多めにしてください」
「野菜は傷みやすいものから」
「保存食はまだ開けすぎないで。三日分は残します」
人々が頷く。
「さすがだな」
「やっぱりコムギさんに聞くのが一番だ」
「コムギさんがいれば大丈夫」
言葉は優しい。
嬉しい。
嬉しいはずだった。
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「あなたが決めてくれれば安心です」
その一言で、コムギの手が止まった。
ほんの少しだけ。
(私が、決める?)
以前なら、まず聞いていた。
誰が食べられるのか。
誰が動けるのか。
誰が本当はもう一口ほしいのか。
誰が遠慮しているのか。
受け取る人に、選ばせようとしていた。
水を飲むか。
パンを食べるか。
立つか。
隣へ渡すか。
あの時、自分はそうしたはずだった。
でも今は。
みんなが自分を見る。
正しい量。
正しい順番。
正しい配分。
正しい答え。
それを、待っている。
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「コムギさん?」
声をかけられて、コムギは顔を上げた。
笑う。
「大丈夫です」
いつもの笑顔。
「ちゃんと、回ります」
その言葉に、周囲の人々が安心した顔をする。
ちゃんと。
また、その言葉を使っている。
気づいて、少しだけ喉が詰まった。
でも、止まれない。
鍋は待ってくれない。
人はお腹を空かせる。
水は減る。
だから、動くしかない。
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昼過ぎ。
別の区画で、年老いた女性に呼び止められた。
「ねえ、コムギさん」
「はい」
「店を開け直そうと思うんだけどね」
女性は、小さな乾物屋の前に立っていた。
扉はまだ歪んでいる。
棚も半分壊れている。
「今、開けるべきかしら」
コムギは言葉に詰まる。
それは、配給の問題ではない。
保存食の計算でもない。
この人の生活の話だ。
自分で決めるべきことだ。
そう思う。
だが、女性は不安そうにコムギを見ている。
「あなたなら分かるでしょう?」
その目に、信頼がある。
信頼があるから、重い。
「……まず、半日だけ開けてみましょう」
コムギは答えた。
「商品は全部出さないで。乾物の小分けだけ。人の流れを見て、少しずつ」
女性の顔が明るくなる。
「そうね。そうするわ」
「はい」
「ありがとう。あなたがいてくれてよかった」
コムギは笑った。
笑ったまま、胸の奥で何かが重くなるのを感じた。
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夕方。
街は穏やかだった。
魔物は出ない。
喧嘩もない。
配給も回っている。
子どもたちは走り、商人は帳面を開き、炊き出しの湯気が道に流れる。
いい街になってきた。
そう言っていいはずだった。
だが、コムギには、街全体が少しずつ自分の方を見ているように思えた。
困ったら、コムギに聞く。
迷ったら、コムギに決めてもらう。
不安なら、コムギの言う通りにする。
それは信頼だ。
信頼のはずだ。
でも。
(私は、何を配ってるんだろう)
水か。
食料か。
それとも。
正解か。
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夜。
丘の上の家。
トンヌラは外に座っていた。
ぽめは、いつものように寝ている。
今日も深く。
動かない。
「団長ー」
コムギが声をかける。
籠を抱えていた。
今日は野菜だけでなく、果物も多い。
赤や黄色の色が、夜の薄闇の中でやけに鮮やかだった。
「街で頂いたものがたくさんあるので、持ってきました!」
テーブルに置く。
元気な声。
いつもの顔。
トンヌラはそれを見ていた。
「また持ってきたのか」
「はい!」
「お前が食え」
「私は食べてます」
「本当か」
「本当です」
少しだけ返事が早い。
トンヌラは目を細める。
「嘘が下手になったな」
「嘘じゃないです」
「そうか」
それ以上は言わなかった。
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コムギは果物を並べながら笑う。
「最近、復興支援が忙しくて」
「大丈夫なのか」
「大丈夫ですよ」
すぐに答える。
「みんなが頼ってくれてるんです」
少し誇らしげだった。
だが、目の下には薄い影がある。
「私がいれば、大丈夫って」
トンヌラは視線を落とす。
「……そうか」
「最近は、迷いも減りました」
コムギは続ける。
「ちゃんと選べてる気がします」
その言葉は明るい。
けれど、どこか正しさに寄りすぎている。
迷いが減った。
それは、本当に成長なのか。
それとも、迷う時間を削っているだけなのか。
トンヌラには分からない。
今の自分には、何かを言える気がしなかった。
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「団長も、ちゃんと食べてくださいね」
コムギが真顔になる。
「団長ではない」
「そこはもういいです」
「よくない」
「よくなくても、今は食事です」
コムギは皿を押し出す。
トンヌラは黙って受け取った。
少しだけ食べる。
コムギが安心したように笑う。
その笑顔を見て、トンヌラは思う。
(こいつも、支えている)
支えている。
支えすぎている。
だが、その先を言葉にできない。
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ぽめが、ぴくりとも動かない。
呼吸は穏やかだ。
トンヌラはぽめを見る。
「……お前、最近よく寝るな」
返事はない。
コムギも一度だけぽめを見た。
「疲れてるんですかね」
「何にだ」
「丸くなることに?」
「それは疲れるのか」
「分かりません」
少しだけ笑い合う。
けれど、その笑いも長くは続かなかった。
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夜が更ける。
コムギは帰る支度をする。
「まだ回るところがあるので」
「今からか」
「少しだけです」
「無理するなよ」
「してません」
即答。
トンヌラは、その即答が気になった。
だが、また何も言えない。
コムギは元気に手を振る。
「団長も、寝てくださいね!」
「団長ではない」
「はいはい!」
扉が閉まる。
足音が遠ざかっていく。
少しだけ、重い足音だった。
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トンヌラは外に出た。
丘の下に、街の灯りが見える。
整っている。
静かだ。
炊き出しの煙が上がり、道には人が歩き、喧嘩の声も聞こえない。
「……ちゃんと回ってるな」
世界は。
自分がいなくても。
コムギが支えている。
エリシアが動いている。
誰かが配り、誰かが運び、誰かが眠る。
正しく、穏やかに、回っている。
そのはずだった。
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だが。
なぜか、少しだけ寒かった。
世界が整いすぎている。
迷いが少なすぎる。
誰かの正解を待つ顔が、増えている。
そんな気がした。
トンヌラは、ぽめを見る。
ぽめは寝ている。
深く。
静かに。
嵐の前のように、動かず、眠っている。
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ここはレイアノーティア。
支える者が増えるほど、選択は軽くなる。
だが――。
軽くなりすぎた選択は、やがて重くなる。
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第109話 了




