表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第11章 役割のない静寂

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
109/121

第109話 支える者の重み

 ここはレイアノーティア。

 何も起きない日は、少しだけ不自然だ。


 食べ物がある。

 水が回る。

 道は片づき、人は歩き、鍋には火が入る。


 それは、いいことだ。


 けれど。


 支える者がいる場所では、いつの間にか、支えられる者が考えることをやめてしまう時がある。



 丘を下るコムギの背中は、忙しなく揺れていた。


 トンヌラの家に持っていった籠は空になっている。


 野菜も、果物も、保存肉も渡した。


 団長は食べた。


 少しだけだけど、食べた。


「……ちゃんと食べてくれるかな」


 小さく呟く。


 丘の上を振り返る。


 古びた家が、夕方の光の中にぽつんと立っている。


 煙は細い。


 生活の煙だ。


 それだけで、少し安心する。


 だが、立ち止まっている時間はなかった。



 街へ戻ると、すぐに声が飛んだ。


「コムギさん!」


 振り返る。


 商人の男が、帳面を抱えて駆け寄ってくる。


「西区画の配給、どうしましょう。昨日の人数より増えてまして」


「増えた分は?」


「二十七人です」


「子どもは?」


「九人」


 コムギはすぐに頭の中で計算する。


 穀物。

 水。

 塩。

 保存肉。

 今日の消費量。

 明日の補充予定。


「大人は一人分を少し減らして、子ども分は減らさないでください」


 即答だった。


「塩はそのまま。水は二樽追加。保存肉は夜に回します」


 商人の顔が明るくなる。


「助かります」


 深く頭を下げる。


「あなたがいれば安心だ」


 心からの言葉だった。


 悪意はない。


 感謝しかない。


 それなのに。


 コムギの胸の奥が、ほんの少しだけ沈んだ。



 次は復興区域。


 瓦礫はかなり片づいていた。


 壊れた壁には補修材が入っている。

 崩れた道には仮の板が敷かれている。

 簡易の炊き出し場には、列ができている。


 以前よりずっと整っている。


 むしろ、整いすぎている。


「コムギさん、次の炊き出し、昼と夜どっちを多めにします?」


「避難所の野菜、先に使った方がいいですか?」


「保存食はどこまで開けていいですか?」


 三方向から声が飛ぶ。


 コムギは笑顔を作る。


「順番にいきましょう」


 手帳を開く。


 人数。

 食料。

 日数。

 消耗。

 輸送の遅れ。


 数字は、すぐに並ぶ。


 迷いはない。


 迷う前に、答えが出る。


「昼を少し多めにしてください」


「野菜は傷みやすいものから」


「保存食はまだ開けすぎないで。三日分は残します」


 人々が頷く。


「さすがだな」


「やっぱりコムギさんに聞くのが一番だ」


「コムギさんがいれば大丈夫」


 言葉は優しい。


 嬉しい。


 嬉しいはずだった。



「あなたが決めてくれれば安心です」


 その一言で、コムギの手が止まった。


 ほんの少しだけ。


(私が、決める?)


 以前なら、まず聞いていた。


 誰が食べられるのか。

 誰が動けるのか。

 誰が本当はもう一口ほしいのか。

 誰が遠慮しているのか。


 受け取る人に、選ばせようとしていた。


 水を飲むか。

 パンを食べるか。

 立つか。

 隣へ渡すか。


 あの時、自分はそうしたはずだった。


 でも今は。


 みんなが自分を見る。


 正しい量。

 正しい順番。

 正しい配分。

 正しい答え。


 それを、待っている。



「コムギさん?」


 声をかけられて、コムギは顔を上げた。


 笑う。


「大丈夫です」


 いつもの笑顔。


「ちゃんと、回ります」


 その言葉に、周囲の人々が安心した顔をする。


 ちゃんと。


 また、その言葉を使っている。


 気づいて、少しだけ喉が詰まった。


 でも、止まれない。


 鍋は待ってくれない。


 人はお腹を空かせる。


 水は減る。


 だから、動くしかない。



 昼過ぎ。


 別の区画で、年老いた女性に呼び止められた。


「ねえ、コムギさん」


「はい」


「店を開け直そうと思うんだけどね」


 女性は、小さな乾物屋の前に立っていた。


 扉はまだ歪んでいる。


 棚も半分壊れている。


「今、開けるべきかしら」


 コムギは言葉に詰まる。


 それは、配給の問題ではない。


 保存食の計算でもない。


 この人の生活の話だ。


 自分で決めるべきことだ。


 そう思う。


 だが、女性は不安そうにコムギを見ている。


「あなたなら分かるでしょう?」


 その目に、信頼がある。


 信頼があるから、重い。


「……まず、半日だけ開けてみましょう」


 コムギは答えた。


「商品は全部出さないで。乾物の小分けだけ。人の流れを見て、少しずつ」


 女性の顔が明るくなる。


「そうね。そうするわ」


「はい」


「ありがとう。あなたがいてくれてよかった」


 コムギは笑った。


 笑ったまま、胸の奥で何かが重くなるのを感じた。



 夕方。


 街は穏やかだった。


 魔物は出ない。


 喧嘩もない。


 配給も回っている。


 子どもたちは走り、商人は帳面を開き、炊き出しの湯気が道に流れる。


 いい街になってきた。


 そう言っていいはずだった。


 だが、コムギには、街全体が少しずつ自分の方を見ているように思えた。


 困ったら、コムギに聞く。

 迷ったら、コムギに決めてもらう。

 不安なら、コムギの言う通りにする。


 それは信頼だ。


 信頼のはずだ。


 でも。


(私は、何を配ってるんだろう)


 水か。


 食料か。


 それとも。


 正解か。



 夜。


 丘の上の家。


 トンヌラは外に座っていた。


 ぽめは、いつものように寝ている。


 今日も深く。


 動かない。


「団長ー」


 コムギが声をかける。


 籠を抱えていた。


 今日は野菜だけでなく、果物も多い。


 赤や黄色の色が、夜の薄闇の中でやけに鮮やかだった。


「街で頂いたものがたくさんあるので、持ってきました!」


 テーブルに置く。


 元気な声。


 いつもの顔。


 トンヌラはそれを見ていた。


「また持ってきたのか」


「はい!」


「お前が食え」


「私は食べてます」


「本当か」


「本当です」


 少しだけ返事が早い。


 トンヌラは目を細める。


「嘘が下手になったな」


「嘘じゃないです」


「そうか」


 それ以上は言わなかった。



 コムギは果物を並べながら笑う。


「最近、復興支援が忙しくて」


「大丈夫なのか」


「大丈夫ですよ」


 すぐに答える。


「みんなが頼ってくれてるんです」


 少し誇らしげだった。


 だが、目の下には薄い影がある。


「私がいれば、大丈夫って」


 トンヌラは視線を落とす。


「……そうか」


「最近は、迷いも減りました」


 コムギは続ける。


「ちゃんと選べてる気がします」


 その言葉は明るい。


 けれど、どこか正しさに寄りすぎている。


 迷いが減った。


 それは、本当に成長なのか。


 それとも、迷う時間を削っているだけなのか。


 トンヌラには分からない。


 今の自分には、何かを言える気がしなかった。



「団長も、ちゃんと食べてくださいね」


 コムギが真顔になる。


「団長ではない」


「そこはもういいです」


「よくない」


「よくなくても、今は食事です」


 コムギは皿を押し出す。


 トンヌラは黙って受け取った。


 少しだけ食べる。


 コムギが安心したように笑う。


 その笑顔を見て、トンヌラは思う。


(こいつも、支えている)


 支えている。


 支えすぎている。


 だが、その先を言葉にできない。



 ぽめが、ぴくりとも動かない。


 呼吸は穏やかだ。


 トンヌラはぽめを見る。


「……お前、最近よく寝るな」


 返事はない。


 コムギも一度だけぽめを見た。


「疲れてるんですかね」


「何にだ」


「丸くなることに?」


「それは疲れるのか」


「分かりません」


 少しだけ笑い合う。


 けれど、その笑いも長くは続かなかった。



 夜が更ける。


 コムギは帰る支度をする。


「まだ回るところがあるので」


「今からか」


「少しだけです」


「無理するなよ」


「してません」


 即答。


 トンヌラは、その即答が気になった。


 だが、また何も言えない。


 コムギは元気に手を振る。


「団長も、寝てくださいね!」


「団長ではない」


「はいはい!」


 扉が閉まる。


 足音が遠ざかっていく。


 少しだけ、重い足音だった。



 トンヌラは外に出た。


 丘の下に、街の灯りが見える。


 整っている。


 静かだ。


 炊き出しの煙が上がり、道には人が歩き、喧嘩の声も聞こえない。


「……ちゃんと回ってるな」


 世界は。


 自分がいなくても。


 コムギが支えている。


 エリシアが動いている。


 誰かが配り、誰かが運び、誰かが眠る。


 正しく、穏やかに、回っている。


 そのはずだった。



 だが。


 なぜか、少しだけ寒かった。


 世界が整いすぎている。


 迷いが少なすぎる。


 誰かの正解を待つ顔が、増えている。


 そんな気がした。


 トンヌラは、ぽめを見る。


 ぽめは寝ている。


 深く。


 静かに。


 嵐の前のように、動かず、眠っている。



 ここはレイアノーティア。


 支える者が増えるほど、選択は軽くなる。


 だが――。


 軽くなりすぎた選択は、やがて重くなる。



 第109話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ