16.それからこうしてこうなった。
クロ視点。時系列がブツ切り錯綜。そういう構成だと思っていただければ。
あと長いです。二話分ぐらいの文章量です。
河川敷の青い芝生に敷いたブルーシートが、風にひるがえりそうになる。
あわてて端を抑えて、飲み物のストックやカバンを重し代わりに置く。
薄紅の桜並木。よく晴れた空には、たなびく乳白色の雲。
いい陽気で、他にも家族連れや大学生らしき若者が点々と輪になって盛り上がっている。
はらはらと気まぐれに散る花びらに気を付けて広げるたくさんの重箱には、ぎっしりそれぞれの好物を詰めてきた。
「飲み物まわったー?」
「シノ!お前つまみ食いやめろよ!!」
「あ、それ私が作った奴。お味は?」
「おいしいけど、クロちゃんには及ばないよ~」
「うーん、厳しいなぁ」
「俺は好きな味だよ」
「ありがとう歩くん」
「ちょっとそこ始めないで!乾杯くらいさせてよ!」
今日は待ちに待った、約束の―――。
* * *
兄ちゃんに頼んで呼び出してもらったシノは、アタシを認めて声も出ないほど驚いた。
出られないかという誘いに「ちょっと待って」と短く叫んで、ドタバタ取って返し、カーキ色のモッズコートをひっつかんで、その勢いのままアタシ共々玄関を出た。ドアがバタンと閉まる。
あわただしく飛び出してきたシノを見上げる。基本的に朗らかな表情を張り付けてるシノの顔は、今は忙しない。
なんで。どうして。今。あえた。どうして。うれしい。かなしい。さびしかった。たぶんこんなところがぐるぐる。
普段おしゃべりなシノの口は、真一文字で結ばれている。
「公園行こう」
マンションを出てとぼとぼ歩く。
ちょっと前まで、歩く時いつもシノは、アタシの隣だった。
今は、アタシの二歩後ろを付いてきている。
これはこの三カ月の対価だ。寂しいなんて思っちゃいけない。
タコのすべり台のある公園は、小学生のころからアタシたちの遊び場だった。
シノと初めて会った場所。あのころは大きく見えたすべり台は、今じゃシノ一人も隠れられない。
吹きっさらしの冬の公園には人っ子一人いない。田舎の早い夜はそもそも出歩く人さえまばらだ。すべり台近くの街灯の下で立ち止まって向き直る。
灰オレンジ色の重たい雲から今にも雪が落ちてきそうな天気で、ためらうように吐いた息がわたあめみたいにとどまった。
「……久しぶり」
「……うん」
「まず、謝る。ずっと逃げ回って、ゴメン」
「うん」
ずっとうつむいて、目を合わせてくれないシノ。
大股三歩が、今のアタシたちの距離。
「一つ一つ片していこうか。順番に、全部さらすよ」
『全部』の所で、ちょっと顔が上がった。怖いくらいの真顔。こいつ、ほんと黙ってりゃイケ面だな。
「――ケリを、つけよう」
「……うん」
* * *
連絡先としてもらった名刺の番号に電話したのは、十一月の終わりだった。
この間メールは何度もやりとりしたけど、電話は初めてだった。
寒河江さんは「会えませんか」という突然のアタシの申し出に、翌日文字通りすっ飛んできた。すっかり旅支度を終えて。
前回はなかったでっかいキャリーケースに驚けば、休暇を早めに終えてこのままこの地元空港に行き、中国に飛ぶという。え。なんで?
「クソバカダメ親父、っと養父がね、中国奥地で消息不明になったらしくて……」
「エッ?!」
「あぁ大丈夫大丈夫。いつものことだから。こっちが必死になって探して、いよいよ諦めたころにひょっこり戻ってくるんだよ。いつもいつもあの徘徊爺。オレか、義弟のどっちかが迎えに行かない限り出てこないなんていうふざけたジンクスのせいで、いつも現地スタッフに呼び寄せられるんだ」
コメカミをおさえ疲れた笑顔で「義弟はもう家庭があるから、必然俺が迎えに行かなきゃなんだけどねぇ」と寒河江さん。え、ちょっと、どういう人なんだろう。カメラマンて言ってたよね?てかいくつなの?
聞いたら、もう古希は過ぎたという。まさかのうちのばあちゃんより年上。老人:とは。
ちょっと二人して遠い目になってしまった。傷だらけのキャリーケースが無言で語ってくる。
菩薩の笑みで「生きてればいいよなんでも」なんて言い切ってしまう寒河江さんは、こうして肝を太くしていったんですねわかりたくありませんでした!うわぁこの人苦労性だ!!
「で、莉子の話を聞かせてもらいたいな」
おっと、そうだった。とんでもじいさんの話をするために、わざわざ来てもらったんじゃなかった。
アタシは通学用のリュックからA4サイズの封筒を取り出す。中から目当てのプリントを引き出して、テーブルに置いた。
「こっちの理美容専門学校に合格しました」
テンプレ文章が機械的に並ぶ中に、フォントサイズを大きくして刻まれた『合格』の二文字。
「アタシはやっぱり、ここで進学します」
「そっか。うん。そうなる気はしてたよ」
眉を下げて笑いながら「合格おめでとう」と言ってくれる寒河江さんは、やっぱり、ちょっぴりでも、アタシが東京に行くことを期待していたんだろう。世界を駆け回る寒河江さんには、こんな田舎の片隅よりも、東京の方が会いやすいのは違いない。そう考えるとほんの少し申し訳ない気持ちになる。
何回もやり取りを繰り返して、最初会った時よりも、親戚のお兄さん程度には、この人に対して親しみが育ってきたから。
「でも、就職は、がんばって東京で決めます。寒河江さんの言うとおり、田舎と都会で得るものも違うだろうし、ばあちゃんもそうしろって言ってくれたので」
しかし、例によって怒ったように「好きにしな。でも、家は出ときな」と言われたアタシの気持ち、おわかりいただけるだろうか。
正直、出てけって言われてんのかと思ったよね!
でもそうじゃなくて、本当にしれっと「いつどこで何しててもいいけどね、盆正月には帰ってくるんだよ」と付け加えられて、ガクッとなったアタシは悪くない。本当に、物言いで損するばあさんだよ!!
ばあちゃんには、いろんなことを仕込まれた。
しつけでもあっただろうけど、多分跡取り娘として必要なことだった。
だから、アタシは、この家から出ないことが最善だと思ってた。家を飛び出したママの代わりに、この田舎の家を継ぐことがばあちゃん望みで、アタシにできる恩返しだとも。
でもそれは違って、アタシは、もっと自由だった。
気づいてみれば、ばあちゃんがママを止めたり抑えつける姿をアタシは見たことがない。
義理を欠いたり気ままな言動には文句たらたらで、見てないところでやり合ってたのかもだけど、ママの自由の産物であるアタシの面倒を見捨てず十年もみてくれた。ママだって、本当に険悪な関係だったらばあちゃんでも誰が相手でも頼らない。そういう人だ。あのばあちゃんに育てられたから、そういう人なんだと、今更になってわかった。
一緒にいただけで、わかりあった気になってた。相手の望んでることを、わかった気になってた。
言葉を尽くさなければ、家族であっても本当の相互理解なんか無理なのだ。
やっと気づいた一つの真理に、胸がちくりと痛んだ。
未来への展望を語って見せれば、寒河江さんは理解したようにうなずいてくれた。「そこまで決めているなら、オレから言うことは何もないよ」と。
「認知に同意してもらっただけでも感謝してる。もし東京出ることになっても、オレの義弟もいるし、義叔母家族もいる。頼れる人だよ。何か困ったことがあれば相談して。もう了承は受けてるから」
「そんな事態にならないのが一番ですけど、まぁ、その時にはお守り程度に思っときます」
「それでいい。君の力になりたい人がいるってわかっててくれれば十分だ」
寒河江さんの言葉に、アタシはホッと息をついた。
あからさまに一安心したせいか、深く笑われた。
「本当に、莉子はいい子に育ってくれたね」
「それ、前も言ってましたけど、どこをどう見てそう言い切れるんです?」
口にしちゃいないが、地元での評判は『クソ悪ガキ三馬鹿の一人』なんだけど。
「いい子だし、優しいよ。その年で、ちゃんと金銭面や家族のことまで慮れてる。よく周囲を見てるし、友達にも頼られてるみたいだし。相手の立場に立ってモノゴトを考えられることは、結構難しい」
うわ、べた褒めか。つかそこまで深く考えてないっす……。
滅多に人に褒められることもないから、座りが悪くて尻がもぞもぞするわー……。
それから、お互いの近況だったり、寒河江さんが休暇中に会った面白友人の話だったり、ちょくちょく飲んでたらしいママとした会話だったりを聞いて、飛行機までの時間を潰した。久々になんにも考えずに笑えて、楽しい時間になった。
そして別れ際、空港まで行くバスの停留所前で、ふっと思いついたことを訊いてみる。
「寒河江さん」
「ん?」
「実は、まだママのこと好きでしょう?」
一瞬の間。の後、にっこり笑われる。おっと。これは寒気のする笑顔だ!
「莉子」
「……あい」
「そういうの、藪蛇って言うんだよ。覚えときな」
「あい」
威圧感のある笑顔に固まってると、ふっと苦笑して、そのままぐしゃぐしゃと頭をなでられた。
思う存分ぐしゃぐしゃなで繰り回されて、最後に優しく手ぐしで直される。このスマートさ。いつも撫でっぱなしの兄ちゃんとは違うね!
「オレのことより、自分のこと気にしなよ」
ちくりと刺す大人げなさは似てるかな!
* * *
アタシがかいつまんで語る寒河江さんとの会話とこれからの展望を、シノは静かに聞いていた。
「結局、当初の通り。でも、あの人もそれでいいって。最初からわかってたみたいだ」
「うん」
「なんとなく美容師になる未来しか思い浮かべてなかったから、具体的な将来を考えるきっかけにはなった。……きっと、アタシは、ここを離れるのが怖かった。離れて、また迎え入れてくれるのかって。ばあちゃんとそーいう話をするのも怖かった。多分、アタシ、ここを『故郷』にできてなかった。離れたら、もう戻って来てはいけない場所のように思ってた。連れてこられた小っこいころのまま、ここに、ばあちゃんに、受け入れられてないと思ってた」
「……ばかだなぁ、クロちゃん」
「うん。バカだったんだ、本当に」
小さく笑うシノに、アタシも笑う。
情をかけられてると、折々にちゃんと感じていたのに。
そもそも、あのママが、そんな人にアタシを預けていくだろうか。
行きたいところにしか行かない人だ。したいことしかしない人だ。そんなママが何かといえば帰ってくるということは、つまり、そういうことだ。
それに、いろいろ近眼になってたのはなにも、ばあちゃんにだけじゃなかった。
* * *
アタシが煮詰まってるのに最初に気付いたのは、あっくんだった。
そんで、静観しつつシノの動きをシャットアウトしてくれてたのも、やっぱりあっくんだった。
昔からあっくんは、そういう、妙に視野の広い部分があった。
「はっきりさせといていいか?」
「な、なにさ!?」
そんなあっくんが静観を解いたのは、寒河江さんが帰って、シノを避けだして二週間ぐらいたったころだ。あっくんちにカブのおすそ分けに行った玄関先で、呼び止められた。
「悩んでるのは、進学か?認知か?それともシノか?」
手にしたリンゴを落とさなかっただけアタシはえらいと思う。リンゴ殺人事件発生しなくてよかったね。あっくんちの玄関べっとべとになる。
固まったアタシを見て、あっくんはパーカーのポッケに入れてた手でガリガリ頭をかいた。
「あ゛―――――……シノなら、いいや。そのまま悩んどけ」
「あっくんひどい!ほんの数ミリでもいい優しさはないのかお前に血は何色だぁ!」
「進学や認知なら、優しさも友愛も示すのにやぶさかではなかった。でもそっちなら、俺は馬に蹴られる趣味はない」
「ひどくね!?」
「自業自得じゃ。つーかまじ馬蹴り案件じゃねーか!シノだってやんなきゃいけないことあるんだから、さっさと決下してしてやれよ。このまま春までとか、可哀相すぎるわ。どーせ結果みえみえの出来レースなんだからサッサと決めろよこの愚図」
「なんかとみに辛辣!アエェェアタシあっくんになんかした?!」
据わった目でにらんでくるもんだから、余計人相悪いしアタシが可哀相!
「オトコの心情的にシノに同情してるだけ。でもアレがブチ切れると速攻事案なうえ周りの被害甚大だから、ちょっとだけクロに協力してやる。しょーがなく」
「なんか素直に感謝の気持ちになれない遺憾の意」
「ストッパー今すぐ外してほしいんなら、どうぞ」
「すんませんすんませんもう少し時間ください」
掌返しでへこへこ頭下げたら、盛―大なため息をつかれる。いや、世話かけてるのはわかってんだけどさぁ。
むむっとふてくされたら、もう一つため息をついて、あっくんは口を開く。
「迷ったら、本能に聞くのもいいと思うぞ」
ぽつんとこぼされた呟きに、アタシは下げてた頭をあげてあっくんを見る。あっくんは腕組みをして、いつもの真顔の中にちょっとの呆れをこめて見下ろしてた。
「クロ、バカなんだから。考えて答えが出ない問題なら、いっそもう勘で決めちまえ。悪いようにはならんわ」
アドバイスは投げやりだけどね!うん。知ってた!でも、もうちょっとこー、具体策が欲しいんだよ、今のアタシは!
不満が透けて見えたんだろう。あっくんは真面目さを少しだけ取り戻して、妙にしみじみした声で言った。
「クロがあてずっぽうで選んだ道が、結局安全だったこともある。クロの野生は信用できる」
褒められてる気がしない。それってドーブツってことじゃん!
ぎゃんぎゃん文句たれたアタシをいなしながら、やっぱりどうでもいいように口を開いた。
「お前らが変わっても、俺は変わらん。だからさっさと当たって粉々になってこい」
「こなごなて……」
「いっそ更地になっちまえば新しい関係だってたつだろ。そんでそんなクロだって、シノにとっちゃ大事なんだろーよ」
「お、おお……デレ、か?これは」
「デレじゃねえ。つーかいい加減お前らまだるっこしいのやめろよ面倒くせーなぁ」
「ひどい言い草だよあっくん!」
「るっせぇ四の五の言わずさっさと選べや!俺だって長くはシノ止めてらんないんだからな?!」
若干の怯え含んだ「お前あいつの執着ナメてんだろ!?」とゆー叫びに二の句が継げない。シノ、お前、どんだけなんだ。そしてあっくんになにしたんだ。
これまでも結構せき止めてくれてたとその一言でわかっちゃって、アタシはちょっと震えた。ほんと、どんだけだ。
「あっくんや」
「何だよ」
「勘とか、そんなんでもいいんすか?つか、何が正解なのかもわからんのです」
「こればかりは、正解もクソもねーだろーがよ。勘でもいいけど、それはモノの例えだ」
「というと?」
「自分の心に聞け。クロがどうしたいかなんて、クロにしかわからないんだから。百人いれば百通りの答えがある。お前が選んだ答えが、お前の正解だ。それがシノの正解じゃなくても、いいんだよ」
「あっくんや」
「何だよ」
「ほんとに、どんな決断しても、いいのかな……」
「シノはもう決めて、動いちまったんだから。あとはもうお前次第だ」
「そっか」
「おう」
「あっくんや」
「しつこい!」
「ありがとよ」
一瞬きょとんと素をさらして、眉間にふっかいしわを刻んだあっくんは、アタシの頭をわしづかんだ。
「バーカ」
「うひひ」
わしわし乱暴にかき混ぜてくる手が照れ隠しだって、アタシは知ってるよ、あっくん。
* * *
「シノ。アタシにはまだわかんないんだ」
アゴをあげてシノの顔を見上げる。シノがうつむきがちになってても、そこは身長差だから、アタシには顔がよく見える。
「恋愛は怖い。関係が壊れるのも変わるのも怖い。アタシは不確定であやふやな恋愛が怖い。
でもユイちゃんはそれだけじゃないって言った。あっくんは、なんだかんだ背中押してくれた。
二人とも、アタシたちがどうなっても、変わんないって言ってくれた。
それでも、シノが変化を望んだ気持ちが、アタシにはわかんない。想像はできても、自分の感情としては、すごく遠いんだよ」
アタシには、ついに恋愛感情が理解できなかった。
シノに態度で行動で示されて、あっくんやユイちゃんに感情や関係の持っていき方をいろいろ教えてもらっても、どれもしっくりこなくて。
結局アタシがいちばん納得できたのは、『幼なじみ』って関係だけだった。
「これだけ時間もらっといて、こんな考え方しかできなくて、ゴメン」
うしろめたさは自然と顔を下げて、シノの顔から視線をずらす。
決意のために一回ギュッと目をつむった。
「今から、すごくひどいことを言う」
* * *
「四カ月も早く車学通っといて、なんで俺らの方が先に免許取ってんだろうな」
「クロちゃんは、効果測定落ち五十回越えという記録を打ち立てちゃったんだよね~。教官たちも車学始まって以来って言ってたし~」
「うっせーうっせー!仮免からは早かったし!卒業試験も本試験も合格したんだから、取ったもん勝ちじゃー!!」
「合格から一カ月足らずで免許取るのが早いんだと思う。莉子ちゃん気にしなくていいと思うよ。十分早いよ」
「ゆ、ユイちゃ――――ん!!!!」
君は菩薩か!フカフカの胸にダイブする。うむ。やわこい。あっくんがぎゃーぎゃー喚いてるが、うるせぇ!
効果測定落ちまくって、教官もアタシも涙目だった日々が走馬灯のように!
まぁ、そんな茶番はさておき。
三月も下旬になり、もうみんな、進路は決まっていた。今日はユイちゃんと約束してたお花見だ。
それぞれ飲み物やお菓子を引っ提げて、取りたての免許でお車運転して、近隣では桜の名所である河川敷に来ている。これは、壮行会も兼ねている。
まだつぼみもふくらみきっていないけど、陽射しは暖かな日で、風はもう春だった。ベンチに座ってお菓子を広げ、ペットボトルで乾杯したら、口々に近況を語り合う。
「明日出発はユイちゃん?」
「そう。入寮日が明日なの」
「あっくんとオレは明後日だよね~」
「みんなバラバラになったなぁ」
「でも、俺ら三人東京だし、会おうと思えばいつでも会える距離」
「こっちみたいに、電車一時間に一本とかじゃないもんね」
「あっくんが志望校受かったのが今年一番の肝試しだった。ほんとに合格しやがった」
「がんばってたもん、歩くん。なんだかんだ長船くんも合格してよかったね」
「浪人中は会わないってクロちゃん言うから、必死だったよ~」
「当然じゃ。むしろなんで会えると思うのか」
「近くて会えないより、物理的に遠い方がまだましって、成長したなシノ……」
「私も独り暮らしがよかったなぁ」
「親御さんからすれば女子寮の方が安心なんだろ。俺もその方が安心だし」
「女子大で女子寮って、息詰まっちゃいそう。歩くんちいっぱい行くね?」
「あ、うん。……待ってる」
「あっくんひゅーひゅーだよ!も、いいんだけどさ。シノが一人暮らしってのが、今から恐怖なんだけど……」
「「それな」」
「え~平気だよぉ~」
暢気に笑うシノをよそに、アタシ達三人はこそこそ顔を寄せた。
「二週間で腐海に一万ジンバブエドル」
「一週間でご近所さんからクレームに十万ディナールかな」
「一日で床が溶けるに一千万ペンゲー。これで間違いない」
アタシの言葉にあっくんもユイちゃんも真顔で沈黙。一日ももたない可能性に、現実感を感じちゃったんだろうね。当の本人は暢気に笑ってるけども。
「あははひど~い大丈夫だよ~」
「その自信はどこからくるのか」
「ねぇ、自覚しよ?長船くん。生物兵器料理の腕前を自覚しよ???」
「あー、アタシ、地元残って正解だかも……」
「ハッ!もしかしなくても、収拾要員俺一人?!!」
「あっくんガンバ★」
「歩くんファイト★」
「あっくんヨロシク★」
「お前が言うな!!」
悲壮な叫び声とともに、ぎゃいぎゃい一方的な言い合いを始めてしまったあっくん。一気に騒々しくなる。でもまぁ、散歩してる人も少ないし、民家からも距離がある。子どもの遊び声と思って、ちょっと見逃してもらいたい。
青い空。白い雲。きらきら光る太陽と川面。ほころぶ桜、優しい風。顔もほころぶ。
「ああ、門出にはいい日だね!」
* * *
取り出した例の紙を掲げた。
「名前、書いた」
両手でシノによく見えるようにつきつけた用紙には、必要事項が漏らさず記入されている。あっくんにも確認したから完璧なはず。
じっとり重い沈黙。
A3の紙を目の前で広げてるから、シノの顔は見えない。え、ちょ、この反応は予想してなかった!
内心焦りながらジッと待ってると、注意してないと聞き逃してしまいそうな小さな声。
「……どういう意味か、わかってる?」
「え?うん」
用紙をちょっと下げてシノをうかがう。シノは、真顔だった。真顔でアタシを見てた。え、この反応も予想してなかった。怒るなり呆れるなりあると思ってた!
ちょっとキョドってしまった内心をおさえて、精一杯真面目な顔をする。
「この紙でシノが安心するなら、もうそれでいいと思うことにした」
ほんのりひそめられた眉間が、泣いてるみたいに見えた。
「この紙切れ一枚で、アタシが『うん』と言うだけで、シノが隣にいてくれるなら、アタシは、そうすることに、した」
シノは、アタシの言葉を吟味するみたいに一回目を閉じて、しっかり視線を合わせた。
「今まで通りじゃいかないんだよ?」
「うん」
「手をつなぐとかハグだけじゃない。オレは、クロちゃんにキスとか、ヤラシイことしたいし、してほしい。オレの第一優先はクロちゃんだし、クロちゃんにもオレを優先してほしい。わかってる?」
「うん」
「ほんとにわかってるの?同情や妥協じゃ、絶対続かない。そういう関係になる意味をちゃんと」
「わかってる」
真っ黒な目を剣呑に細められる。たれ目でいつもへらへら笑ってるからわかりづらいけど、結構ガンつけてくるよな、こいつ。目力に負けないように見つめ返した。
「バカなりに、考えたんだよ、これでも。でも、どんな想像しても、」
焦って早口になる。一呼吸して、気持ちを落ちつけた。
「シノが離れてくのだけは、想像もできないし、したくないし、絶対絶対、嫌なんだよ」
息をのむ気配。また沈黙。……怖いな、この沈黙は。
「気持ちはまだ追いついてないんだ」
「……」
「アタシが、バカみたいに笑ってるだけで、幸せなんて言ってくるの、シノくらいだ」
「……」
「でも、アタシだって、シノを幸せにしたい」
「……うん」
「執着とか同情とか、幼なじみとか恋人とか、言葉を飾るのも探すのも、やめた。アタシには無理だ。ピッタリなのなんてみつかんない。考えきれん。迷っておしまいだ。
一緒にいるだけでアタシもシノも幸せになれるんなら、それでいいよ。関係の名前なんて、どうでもいい。今、したいことしようよ。アタシは、」
言葉を切って、息を吸う。
「正直なところ、覚悟もなんも決まってない今だけど。シノの隣にアタシ以外がいるのが、死ぬほどイヤだ」
語気強く言い切ったアタシに、シノが戸惑うように小さく名前を呼んだ。
「結局出した結論が現状維持なんて、ひどいこと言ってるよ。でも」
何を言っても正当化なのはわかってる。でもかっちり合わさった視線を逸らさないまま、勢いで突っ走った。
「これから先、シノの隣を、誰にも譲るつもりなんて、ないんだ」
――いつのまにか、ちらちらふわふわ雪が舞っていた。
吐いた息が白く凝って夕闇に消えても、シノは何にも言わなくて、ただアタシ達は見つめあう。
もしかして、遅かったんだろうか。
こんな身勝手な考えで側にいたいなんて、呆れただろうか。シノの望む答えじゃない自覚はある。
ユイちゃんに言われたことも、あっくんに言われたことも、いっぱいいっぱい考えて、でも出てきた答えは、こんなんでしかなかった。
でも、ずっとずっと、幼なじみでいたとして。
シノの隣にアタシじゃない誰かが、最優先でおかれるなんて想像して。
それは、それだけは絶対、嫌だった。
もし、もし、許してもらえるなら。
アタシはずっと、シノの隣にいたいんだ。それがたとえ、どんなカタチでも。
「……………………クロちゃん」
「うん」
「もーヤダ」
「エッ」
短く叫んで、その場にしゃがみこんでしまった。女子みたいに両手で顔を覆って。どーいうことなの?やっぱり手遅れなの?手に覆い切れてない耳が真っ赤だけど。
膝に顔を埋めてもぐもぐ何か言ってるようなので、ついアタシもしゃがみこむ。近くなった分聞きやすくなった耳が拾ったのは。
「好き」
その一言だけ、はっきり聞き取れた。
そしてその一言は、これまでにない重さと鋭さと正確さで、アタシの心臓を正しく射抜いた。
本気の好意を、本気で受け取ってしまったわけで。……ああ、クソ、顔が熱い。
「なんなの?それってつまり、なんなの??下手な告白より熱烈だよ???まったくプロポーズだよ。惚れた。惚れてる。知ってた。もーもーもぉ~!」
「牛か」
「違いますぅ~!もークロちゃんが無自覚にタラシにかかってくる……ツラい……バカ……好き……」
文章になってない言葉を滔々たれながしてやっと落ち着いたのか、ゆっくり顔をあげて、覆ってた手をそろそろずらす。目元まで真っ赤で、目玉は泣きそうにうるんでいた。
多分真っ赤なアタシの顔を見て、ふんにゃり眉を下げたシノが笑う。
「それでいいよ」
手を伸ばしてくる。触れる前にためらうみたいに宙で止まって、アタシはその手にそのままえいやっと顔をすりよせた。おっきな手のひらが顔の半分を簡単に覆ってしまう。輪郭にそってあてられた手はあたたかい。
この手だった。
「オレの隣で、ゆっくり考えてよ。もう焦らないから。クロちゃんのペースについてくから。今は、今の言葉で十分だから」
そえられた手のひらがするりと滑って、長い指が手ぐしで髪を梳いていく。
兄ちゃんにかき乱されてぐしゃぐしゃの髪を、シノの指が丁寧に。
「黒江莉子さん。オレのこと、どう思ってますか?」
茶化した言葉の中に本気を感じて、考える。
ひたと視線を合わせて、できるだけ正直に答えた。
「オープンスケベで変人で愉快犯で、割と本気でどーしようもなくて、……どんなでも一緒にいたい、いてほしい幼なじみ――――――以上恋人未満」
最後つけたしセリフに、シノはとうとう破顔して、アタシをひっぱる。そして子供抱きに持ち上げて、その場でくるくる回りだした。あ、本調子に戻りましたね。
雪空の人っ子一人いない公園でくるくる回る笑顔の高校生二人。うん。シュール。あっくんに見られたらツッコまれそう。いや、あっくんなら、うわ怖、関わらんとこって回れ右するか。
でも、うかうかすると握りしめそうになるすでにシワシワの例の紙に気をつけながら、大人しく回されてやった。まぁ、待たせましたし。つかよく三か月ももったよな。
珍しく視線の下になったシノの満面の笑顔を、至近距離で堪能して、アタシも笑った。
こんな子どもみたいな顔が見れるなら、この答えは例え正解じゃなくても、間違っちゃいなかった。
安心とうれしさで緩んだ顔してた自覚はあるけどさ。
「ねークロちゃん、キスしていい?」
「お前言ってることとやってること矛盾してっからな!!?」
* * *
「お母さん!莉子さん!莉乃と由梨が川に流されたー!!」
「「「なんで?!」」」
全員の声が重なった。あ、シノは飲み物含んでたからシノ以外。
「茎おじさんが段ボール船作ってくれて、あいつらが試し乗りしたらそのまま……!今おじさんと切羽が追いかけてくれてるけど」
「進なんで止めなかったの?!」
「おれにあいつら止めるなんて無理だよお父さん!」
「だよね!ごめん!」
「兄ちゃんホントロクなことしかしないな~」
「任せてしまった私たちも無責任だったね」
「莉乃は喜々として乗ったんだろうけど、由梨ちゃん大丈夫なの?」
「あれで歩くんの娘なので」
「あ、どうしよう、すごい説得力」
ユイちゃんもすっかりアタシらナイズされちゃったよね!この余裕である。
とりあえず貴重品だけひっかけて、進の指さす川下に向かって走り出す。
走りながら、小さいころのアタシらも、こんな感じだったんだろーなーと懐かしい気持ちになる。周りの大人はこんなにハラハラしてたのね。正直スマンかった。
「とったどー!」
遠くで歓声が上がるのが聞こえた。雄々しく叫ぶ男の子の高い声と、きゃっきゃと楽しそうな女の子たちの声。
あ、なんだ、無事っぽい。
駆け足を歩きに変えて、ちょっとした人だかりになりつつある方に向かった。ちらっと見えてるけどさ、大人が乗っても沈まなそうな大きさの段ボール船て、兄ちゃんどこで作ったの?そしてどうやって持ってきた。キャビンとか凝ってる。あとで乗せてもらおう。
「あ、ママー!パパー!どーよコレすごいでしょー!」
「おかーさん見てー!茎おじさんと切羽と莉乃ちゃんとわたしの力作!」
人だかりの中から見つけたのか、子どもたちの声が届く。え、つか、由梨ちゃんも作ったのアレ?!
変だなユイちゃんの遺伝子どこいっちゃったの?進とあっくんが痛そうに胃のあたりをおさえている。ユイちゃんは楽しけ気に微笑んでいる。
アタシは苦笑しつつ、心配かけたことは叱らんとなーと呑気に考えた。なにしろ。
「やってること、オレらの子どもん時とかわんないねえ~」
いつの間にか隣に来てたシノが、子供たちを見てニコニコ笑う。まったく同じこと考えてたな。
「だな。アタシらが用水路から船出して海に出そうになったことを思えば、ここで止まれてよかったのかも?」
「だよね~。多分、兄ちゃんが思い出話に語ったんじゃない?」
「あ、その後の展開、もうテンプレ」
聞いてたら、やりたくなっちゃったんだな。ほんと親に似てほしくない所ばっかり似るな!!毎日愉快そうでいいけどもな!!
子ども同士が仲いいのは放置してたけど、兄ちゃん、お前はダメだ。大人が混じってなにしてんだよ。こういう時は親の出番だろ!ズルいアタシだって童心に還りたい!真面目に遊びたい!
「夏休みは山にキャンプ行こーよ、クロちゃん。川下りとか野営とか、あいつら絶対喜ぶよ~」
「あ、それ、結構トラウマなんで刺激しないでもらえます?」
「楽しかったよねぇ、リアルサバイバル鬼ごっこ」
「ヤメロくださいしかもそれ子どもん時じゃないアタシらかろうじて十九歳児だったころ」
「だってクロちゃん、大人しくつかまってくれないから~」
「凶器片手に!笑顔で追ってくる幼なじみを!どうして恐怖しないと思うのか!!!」
「あっくんまったく無関係だったのに巻き込まれちゃってね~」
「あれは正直申し訳なかった」
だらだら懐かしい話をしながら歩いていると、待ちきれなかった莉乃がシノに飛びついてきた。まだ結構距離あるのに、また足速くなったな、莉乃。
勢いのまま軽々抱っこして、そのまま高い高い。もう喜ぶような年でもないのにキャッキャと喜ぶ娘。シノの高い高いはまんま、そうだもんな。軽々二メートル越えする高い高いは他の子にも人気だ。由梨ちゃんも進もシノの方がいいって、あっくんリアルに膝ついてたもんな。
シノはアタシに似て小柄な莉乃を片腕に、そのまま片腕に抱き上げた。
由梨ちゃんを叱るあっくんの声。疲れ気味の進をいたわる楽しさをかくしきれないユイちゃんの声。
改良の余地を熱く語る兄ちゃんと切羽の声。
いつまでも変わらない騒々しい日々を、アタシたちは笑ったり泣いたり怒ったりしながら、そうして最後は笑うんだろう。
隣を歩くシノの手を取る。
何も言わなくても握り返してくれるこの手を、アタシは絶対、離したりしない。
こうなりました。
子ども世代も絶対騒々しい。
まさかの恋愛エンドです。
これで完結ですが、おまけ話がつづきます。もう少しお付き合いください。
2015.12.19 改稿。




