第20話 【人間界のリーゼ】王子のウソ〜たちが悪いので、激おこです
「――実は、僕、魔界から来た魔族なんだ」
「はいーっ!?」
月の貴公子の空色の瞳が、悪戯っぽく揺れている。
その瞳に吸い込まれそうになりながら、リーゼは、完全にパニックとなった。
(ま、ま、魔族ぅぅぅーっ!? ヴァルデマールさまがぁぁぁーっ!? 嘘でしょーっ!? というか、私も魔族なんですけどーっ!?)
「――あ、あの…そ、それって…ま、ま――」
「あっはっはっ――!」
ヴァルデマールがお腹を抱えて笑い出した。
「え……」
リーゼは、呆然と月の貴公子を見つめた。彼は、涙まで流して笑い転げている。
「そんなに、真に受けないでくれ」
「え…えっ!?」
「冗談っ! 冗談だって。僕が魔族なわけないだろう?」
「えええぇぇぇーっ!?」
「魔族なんて、おとぎ話の中だけの存在だよ。正真正銘、僕は、人間さ。王家の五男坊、ヴァルデマール・フォン・ブルーメだ」
「人間……」
リーゼは、思わず力が抜けた。
まさかの冗談だったとは。
衝撃が過ぎると、ふつふつと怒りが湧いてきた。
同胞に会えた一瞬の喜びを返して!
嘘だと知って傷ついた心を元に戻して!
「ヒドいっ! ヴァルデマールさまっ。一瞬、信じちゃったじゃないですかっ!」
リーゼは、ヴァルデマールをポカポカと叩いた。涙がぼわっと溢れてくる。
「言っていいことと悪いことがあるわっ!」
「……ご、ごめん」
リーゼは、おいおいと派手に泣き出した。ヴァルデマールは、おろおろするばかりだ。
「軽い冗談だったんだ。そんなにきみを傷つけるとは思わなかった。本当にすまない。許してくれ」
「ヒドい! ヒドいわっ! わぁ〜んっ!」
「――これは、何としたことだ!」
アルノルトの驚愕の叫び声がした。外出から帰ってきたらしい。
「壁や天井が破られている。いったい何が――!?」
リーゼとヴァルデマールに視線を向けたアルノルトは、思わず息を呑んだ。
部屋の物理的な惨状よりも、リーゼたちの状況のほうが明らかに深刻だと悟ったのだ。
「まさか、エルガが死んだのかっ!?」
アルノルトは、覆いかぶさるようにエルガに駆け寄った。
「違うからっ! バカ親父!」
リーゼは、今度はアルノルトをポカポカと殴りつけた。
「な、なんだ!? なんで俺が殴られるんだ?」
「――もうっ! みんな嫌い! 大嫌いよっ!」
リーゼの慟哭は、いつまでもやみそうになかった。
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「――なるほど。リュディガーが突然襲ってきて、エルガが毒を吸い込んだのですね」
不在だったアルノルトに、ヴァルデマールが一連の経緯を説明した。その間、リーゼは、ぶんむくれにむくれて、そっぽを向いていた。ちなみにエルガは、別室で休んでいる。
「そして例の解毒剤をエルガに服用せた。ここまでは、良かった、と」
「……」
ヴァルデマールは、しょげ返っている。リーゼに怒られたことが相当ショックだったらしい。
「……本当に申し訳ない。軽い冗談のつもりが、殊の外リーゼを傷つけてしまったようで……」
月光の恩寵は今はなく、雲に隠れた月のように暗く沈んでしまっている。
「それにしても、魔族とはまた、突拍子もない嘘をついたものですね、ヴァルデマールさま」
「毒耐性を獲得したことを、大袈裟に表現した…つもりだったんだけど……」
ヴァルデマールは、ちらっとリーゼの様子を覗った。
リーゼは、頬を膨らませてツンとしている。容易に機嫌は直りそうもない。
「……リーゼ。ヴァルデマールさまは子どものころ、毒殺されかかったことは話したな?」
アルノルトは、言い聞かせるように娘に向き直った。
「以来、離宮でお過ごしなさりながら、少しずつ毒を服用なさってきたのだ。無論、致死量は超えないようにだ」
「えっ……!? 毒を!?」
思わず驚いてリーゼは振り返った。ヴァルデマールと視線が合った。わけもなく動揺して視線を逸らした。
「一つは体調不良を演出してローレンツたちの目を欺くためだ。もう一つは、二度と毒殺されないよう、毒耐性を獲得することだった」
「庭園管理を任されるくらいだ、アルノルトの薬草の知識には大いに助けられたよ」
リーゼから視線を外されたことで、ヴァルデマールは、更に落ち込んだ。がっくりと肩を落とすさまは、痛々しいほどだった。
「毒耐性を獲得なさったヴァルデマールさまに、毒は効かない。それは、お前も俺も同じだがな」
「えっ……!?」
(毒耐性!? 私の魔力のおかげじゃなくて、元々この身体は毒耐性があるの?)
それは初耳である。筋肉バカの身体は、いったいどこまで頑丈にできているのか。
「ん? なんだ、リーゼ? 驚いたような顔をして。まさか、それまで忘れたのか?」
「う、うん。結構、記憶が抜け落ちてるみたい」
「それは重症だな。もっとも、首を斬られて生き返ったんだ。身体にかなり負荷がかかって、脳へのダメージが大きいのだろうな」
アルノルトは、妙な納得をしてくれたので、そっとしておくことにした。
「では、リュディガーのことも覚えていないと?」
「もうちょっとで思い出せそうなんだけど」
嘘である。アルノルトは、やれやれと頭を振った。
「……リュディガーは、シャテンアドラーの第二戦闘チーム、クラヴェの隊長だ。毒玉を得意としている。シャテンアドラーの総指揮官、オスヴァルトの左腕でもある。言うまでもないが、右腕はお前だがな」
(そうか……。あの仮面は、自分が毒を吸い込まないためなのね)
リーゼは、魔獣のような仮面を思い出していた。
「――ヴァルデマールさま。やつらにここを嗅ぎつけられました。身をお移しくださいますよう」
「……いや、アルノルト。僕はここを動かないよ」
「しかしそれは…危険です」
「構わないさ。いずれシャテンアドラーとは決着をつけなくてはならないのだし、向こうから来てくれるなら手間が省けていい」
「身を囮になさるのですか? それはおやめください」
リーゼが眉根を寄せて前のめりになった。途端、ヴァルデマールは、パァッと顔を輝かせた。
「心配してくれるのかい? 嬉しいな」
「……! そ、それはそうです。大事な王家の王子さまなんですから……」
言いながら、ついつい顔を赤らめてしまう。
「僕は忘れられた王子だから、そんな価値はないよ。それに、囮とは思っていない。だって、シャテンアドラーの目的は、リーゼ。きみなんだから」
「……」
「そうと決まれば、迎撃の準備だ。すぐにもリュディガーは襲ってくるよ」
ヴァルデマールの声音は、どこか楽しそうだった。これから、激しい戦闘が予想されるというのに。
(……私が心配すると、ヴァルデマールさまは嬉しいの……? どういう意味かしら)
肝心のリーゼも、シャテンアドラーなどどこ吹く風と、心あらずの様子であった。
そんな束の間の平穏に浸っている離宮の外――
ひたひたと忍び寄る黒い集団があった。
その先頭では、魔獣のような仮面をつけた男が尋常ならざる殺気を迸らせていた。




