第19話 【人間界のリーゼ】毒爪の襲来〜敵とのバトルが始まったので、恋のバトルは中断します
「お早うございます、ヴァルデマールさま」
リーゼがリビングへ入っていくと、既にヴァルデマールはお気に入りのロッキングチェアに座っていた。
彼は、読んでいた本を閉じてにっこり微笑んだ。彼は、暇さえあればいつも読書をしている。
「お早う、リーゼ。朝の日課とやらは、終わったの?」
「は、はい。ひと汗かいてきました」
リーゼは、毎朝剣の稽古をするのが日課らしい。
もちろん、今の彼女は、剣を持ったことすらない。
転移魔法でいったん姿を消し、しばらくしてから戻ってきたのである。当然、汗の一つもかいていない。
「剣士というのは、ストイックなんだね。もっとも、そうでなくては、その身体を維持できないだろうし」
リーゼは、頬を赤らめた。この身体に入って、初めて羞恥心を覚えた。
(――もし私が、本当は華奢な身体をした魔界の住人だと知ったら、ヴァルデマールさまは、どう思うかしら)
「あ、あの、ヴァルデマールさま」
「ん? なんだい?」
「あの…ヴァルデマールさまは、細い身体の女性のほうが、好みなのでしょうか」
「えっ……!?」
言われた意味がよくわからなかったらしい。戸惑った表情で小首を傾げている。
「あの…その…ヴァルデマールさまは、どんな女性が好みなのかなあ、なんて…思ったりして」
「……」
「あっ! 突然、変なこと聞いて申し訳ありません。今の、忘れてください!」
「……綺麗な人」
「えっ!?」
「魅惑的な瞳で見る者を虜にしてしまうような人」
(な、なにそれ!? まさかのルッキズムの権化!?)
「心が真っ直ぐで信念を貫く人。温かい笑顔で誰でも包み込んでしまう人」
「……」
「どんな困難があっても、愛する者を守ろうとする人…かな」
「……なんだか、とても具体的なんですね。まるでモデルがいるみたい」
「――それ、亡き王妃さま、アンゼルマさまだよ」
ふいに背後から声が降ってきた。
振り向かずとも、もうわかる。
「エルガ。お早う」
「きゃあ〜っ、ヴァルデマールさまぁ〜。お早うございますぅ〜」
エルガは、早速ヴァルデマールに抱き着いた。ドレスの胸元から溢れそうな胸を、これ見よがしに押し付ける。
(このクソ女〜! いつもいつもヴァルデマールさまにくっつきやがってェ〜)
ハッとした。
(いけない、いけない。私としたことが、乱暴な言葉遣いになってしまったわ。これも、あの子の悪影響ね)
とはいうものの、胸のムカムカは収まらない。
「――エルガ。そのように身体を押しつけては、ヴァルデマールさまが息苦しくなるわ。離れなさいよ」
「なんだ、お前? 一丁前にヤキモチか?」
エルガの若竹色の瞳が刺してきた。
「ち、違う……!」
「はんっ。顔を赤らめやがって。泣く子も黙るシュナーベルの元トップエースが、まさかこんな乙女だったとはな、片腹痛いぜ」
「シュナーベルはこの際関係ないでしょ! あなたこそ、なによ! 諜報員のクセにいつも派手なドレス着ちゃって、目立っていいの?」
「諜報のイロハも知らねえ小娘がナマ言うんじゃねえよ。必要があって服装を変えてんだ、どアホがっ」
「なんですって!?」
「こらこら、二人ともやめないか」
ヒートアップしそうな二人を見かねて、ヴァルデマールが間に入った。
「僕たちは、目的を同じくするチームなんだよ。喧嘩は良くないよ」
「や〜んっ! ごめんなさぁ〜い、ヴァルデマールさまぁ〜」
エルガは、ゴロにゃんとヴァルデマールの胸にすがりついた。
ムッカ〜ッ!
(この女、いっそのこと、消し飛ばしてやろうかしら)
エルガのデレ甘に、リーゼは爆発寸前である。
ふいにエルガの表情が険しくなった。
突然、ドレスをたくし上げ、隠しナイフを投げつけた。
「な、なにを――!?」
瞠目するリーゼの顔をかすめる。
「――見つけだぞ」
驚いて振り向いた。
仮面を被った男がナイフを指に挟んでいた。魔界に棲む魔獣のような仮面だった。
「なっ!? いつの間に!?」
「申し訳ありません、ヴァルデマールさま。後をつけられたようです」
エルガは、デレ甘から一転、引き締まった表情でダガーナイフを構えていた。
「仕方ないよ。エルガが気付かないくらいだ、相手が相当な手練れなんだろう」
敵に侵入されたというのに、ヴァルデマールは、落ち着き払っている。意外と度胸があるらしい。
「リーゼ。地獄から蘇ったらしいな」
仮面からくぐもった声が漏れた。
「……シャテンアドラーか」
「ん? まさか、俺を見忘れたか?」
「仮面じゃ、わかるわけないだろ」
「仮面だからこそ、リーゼならわかるだろうが」
「えっ!? そうなの?」
(ちっ……! また本物リーゼの知り合いなのね。答えられないじゃない!)
「本当にわからないのか。では、地獄へ送り返す手土産に、俺の名前を教えてやろう」
仮面の男は、無造作にナイフを投げつけた。
「俺はクラヴェの隊長、リュディガー・アイルツだ!」
だがナイフは、リーゼに突き立つ前に爆風で消滅した。
爆風は離宮の壁も一瞬で破壊した。
リュディガーの姿は、ない。仕留めたか。と、思った刹那。エルガの警告が耳を刺した。
「危ない!」
上から殺意が降ってきた。
飛び込んできたエルガがダガーナイフを一閃した。
破裂音と共に、煙が爆発的に広がった。
「あっ……!?」
煙を吸い込んだエルガが棒立ちになった。
「し…しまっ……! この煙…毒……」
力なく倒れた。咄嗟にリーゼは彼女を抱き留めた。
「エルガ!? エルガーっ!」
「――なぜ、動ける!?」
天井から、驚愕の響きが聞こえた。いつの間にかリュディガーが張り付いていた。
指を弾いた。爆風が天井を吹き飛ばした。
既にリュディガーの姿は消えていた。
「……逃がしたわね」
エルガが倒れている。後は追えない。
「エルガっ! しっかりして!」
「リーゼ! これを!」
ヴァルデマールが小さな包を差し出した。
「解毒剤だ。早くこれをエルガに」
「ありがとうございます、ヴァルデマールさま!」
鼻をつまんで無理やり飲ませた。
「――ゲホッ! ゲホッ!」
「気がついた!」
「……も、申し訳…ありません…ヴァルデマールさま……」
「少し休ませよう。解毒剤が効いても、しばらくは動けない」
「はい、ヴァルデマールさま。――あれ!?」
空色の瞳が見つめ返してきた。眼差しは、温かい。しかし問題は、その眼差しを向けることができる、そのことであった。
「ヴァルデマールさま、毒煙を吸いましたよね!? なぜ平気なの!?」
月の貴公子は、重大な秘密を告白するかのように、声を低めた。空色の瞳が一瞬だけ妖しく光った。
「実は、僕、魔界から来た魔族なんだ」
「はいーっ!?」




