第18話 夢のお茶会〜初恋の王子との甘酸っぱい思い出は、ちょっぴり苦いです
「あのアストリットが、失禁……!?」
リーゼ(見た目はミラ)は、お腹を抱えてゲラゲラ笑った。
夢のお茶会――夢の中で、人間界と魔界に分かたれた二人が会話を交わせる精神空間である。
「これがホントのざまあみろだな!」
ミラ(見た目はリーゼ)は、そんなリーゼを嫌そうに眺めた。
「……下品な笑い方ねえ。まさか、魔界でも、そんな笑い方していないでしょうね?」
「してないよ。シェリアックがうるさいからな。――仕方なく、お上品な言葉遣いをしているわ。それこそ公爵令嬢のお姫さまのようにね。おっほほほっ!」
「……なんか、それはそれで腹が立つ」
手を口元に添えて高らかに笑うリーゼを、ミラはやはり嫌そうに眺めた。
「――ありがとう、ミラ」
ふいにリーゼは、真剣な表情に戻った。
「あたしの代わりにアストリットを見返してくれて」
ミラは、ふっと口元を歪ませた。
「まだまだ序の口よ。完膚なきまでに叩きのめすのは、これからなんだから」
「ごめん。あたしはまだ、何もやってない。王宮に乗り込む前にドラコに居場所がバレちゃったから」
「別に平気よ。あなたはあなたのペースで進めてくれればいいから。私のほうこそ、お礼を言わせて。ナシラのために怒ってくれてありがとう。とても嬉しかった」
「……」
照れたように、リーゼは鼻をこすった。
「ナシラは、私の大事な友だちなの。仲良くしてあげてね」
「もちろん。とても可愛いよ。あたしも好きになった」
「良かった」
ミラの笑顔が輝いた。
「私は、派手に王宮で暴れちゃったから、そろそろ敵さんに存在がバレてしまったと思うわ」
「シャテンアドラーが本気で襲ってくるぞ」
「で、しょうね」
「自信たっぷりだな」
不敵な様子のミラに、リーゼは、からかうように言った。
「負けるとは、少しも思っていない顔だ」
「どうかしらね。頼もしい味方が増えてきたし」
「ヴァルデマール殿下か。名前は聞いたことはあるが、動向はほとんどなかったはずだ」
「それはそうよ。病弱で隠棲生活をなさっていたのだもの」
「親父が匿っていたんだってな。そういや時々、長期間、家を留守にしていたっけ。離宮に行っていたんだな」
(ローレンツに初めて会ったのも、親父のいないときだった)
幼いころの甘酸っぱい記憶が蘇った。
その日は、しとしとと雨の降る夜だった。
父アルノルトは出かけて留守だった。一人での留守番は慣れている。食事を終え、寝る準備をしているときだった。
雨に紛れて走る靴音が聞こえてきた。
こんな夜中に人が庭園に来ることはまずない。レインコートを着込んで外へ様子を見に行った。今から思えば大胆な行動だ。ただ、度胸だけは子どものころからあった。
地面に鮮血が落ちていた。雨に濡れ今にも流されそうなその後を必死に追った。
鮮血は、物置小屋へ続いていた。
「――誰かいるの?」
そっと声をかけた。ゴソゴソと中で物音がした。
恐れ気もなく奥へと入っていった。
「ねえ、出てきて。ケガをしているのでしょ?」
「――子ども?」
声がした。様子を窺うと、少年がうずくまっていた。
「ケガの治療をしたいだけなの。何も怖くないわ」
「来るなっ!」
少年は、怯えたように言った。煉瓦色の瞳が震えている。
「ねえ、近づいてもいい?」
「来るなと言っただろう! 僕と関われば、巻き添えを食うぞ!」
強く拒絶されたが、構わず近寄り助け起こした。
「なんで……?」
「だって、悲しそうな顔をしていたから」
「――!」
「やっぱりケガをしているじゃない」
少年の腕をとった。ざっくりと走る切り傷から、血が流れ出ていた。
「……刺客に襲われたんだ」
少年は、煉瓦色の瞳を伏せた。
「薬を取ってくる。薬草から作ったの。とても良く効くわ」
「なんで親切にするんだ? 僕が王子だからか? 下心があるんだろう?」
「あなたのことは、全然知らない」
「だったら、なんで……」
「さっきも言ったでしょう? 悲しそうな顔をして助けを求めていたからよ」
「……」
「少し待ってて。すぐ戻ってくるから」
「……僕は、ローレンツ。第二王子のローレンツだ」
「あたしは、リーゼ。庭師アルノルトの娘、リーゼよ」
リーゼは、駆け足で家に戻り、すぐに物置小屋へ取って返した。
「――これで大丈夫。すぐに傷が塞がるわ」
傷口を消毒し、薬を塗り終え、包帯を巻くと、リーゼは、にっこりと微笑んだ。
ローレンツは、呆然とリーゼの顔を眺めている。
「どうしたの? あたしの顔に何かついてる?」
「あ……! いや、別に……」
ローレンツは、慌てたように視線を外した。
「……手当のお礼をしたい。何が望みだ?」
「何もいらないわ」
「えっ……!?」
心底驚いたように、リーゼの顔を眺め回した。
「何も!? 本当に?」
「ええ。あたしが勝手にやったことだもの。それより服が濡れているわ」
「……」
「このままじゃ、風邪引いちゃう。うちに来て。着替えましょう」
「えっ…これ以上は迷惑をかけられないよ」
「いいの! さ、早く」
渋るローレンツを引っ張るようにして家に招いた。
無理やりアルノルトの上着に着替えさせた。腕がすっぽり袖に覆われた。脚はすねしか出ていない
「――だいぶダブダブね!」
コロコロと笑った。そんなリーゼをしばらく眺めていたローレンツは、ぽつりと言った。
「――きみのような人は初めてだ」
「え…何が?」
「僕が王子だとわかっても、何も対価を求めないことだよ」
「対価……?」
「これまで、僕を利用しようとするか、排除しようとするか、どちらかの人間にしか、会ったことがない」
「ふ〜ん。可哀想な人なのね」
「可哀想……」
「今夜は泊まっていきなよ。父さんは出掛けていて留守だから、ベッドを使うといいわ」
「……これ以上、僕と関わると、きみも命を狙われるかもしれないぞ」
「平気よ。あたしこれでも、強いんだ。父さんに剣術を習ってるから」
「……」
「お茶、いれるね。身体を温めたほうがいいわ」
「――リーゼ」
炊事場へ行こうとすると、呼び止められた。
「やっぱりお礼がしたい。これを受け取ってくれ」
ローレンツは、首から下げていたペンダントを外した。それは、精巧な薔薇の花の意匠を施してあった。
「……そんな高級品、受け取れないわ」
「僕の気が済まないんだ。頼むから受け取ってくれ」
強引に手にねじ込まれた。
「ありがとう」
それから二人は、夜通し語り合った。
王子の間で激しい権力闘争をしていること。
第三王子が毒殺されたこと。
第四王子が事故死したこと。
誰も信じられないこと。
父一人子一人で暮らしていること。
庭園の管理を任されていること。
父の仕事を手伝う傍ら、剣術の稽古に励んでいること。
次から次へと話題は尽きず、気づくと朝日が昇っていた。いつの間にか、雨はやんだらしい。
「――リーゼ。剣術に励んでくれ」
「はい。ローレンツさま」
「僕がもっと強くなったら…必ずきみを迎えに来る」
「えっ!?」
「それまで、待っていてくれ」
「……はい…はいっ!」
朝日を浴びながら去っていく王子の後ろ姿を、リーゼは、いつまでもいつまでも見送っていた。
庭園の植物たちの身にまとった雫が、朝日を浴びてキラキラと輝いた。
このときのリーゼにとって、世界はまだ、瑞々しさに溢れていた。




