Chapter 60 使い切るための速さ
42周目、トーマス・ベルクのマシンがブレーキングで大きく姿勢を乱した。
ベルクは減速しきれないまま走行線を外れ、エスケープゾーンへ飛び込む。ウォールとの接触は避けたが、マシンをコースへ戻すことはできなかった。
「ベルクが止まりました! ブレーキングで曲がり切れなかったように見えました!」
「ブレーキトラブルね。ベルクは無理にコースへ戻らず、そのままマシンを止めている。正しい判断よ」
トーマス・ベルクは42周目、ブレーキトラブルでリタイアした。
ベルクはMUNE RACINGの2台より前を走っていたため、藤原は16位から15位、信治は19位から18位へ上がった。
同じ周、22号車がピットレーンへ入る。
〈信治、ピットイン。速度制限に注意〉
〈了解〉
MUNEのメカニックが、13周目から使い続けたミディアムを外し、新品のソフトを装着する。
作業を終えた22号車が発進した。ベルクのリタイアによって走行車両は18台となっており、信治は最後尾でコースへ復帰したものの、順位は18位のままだった。
〈信治、現在18位。タイヤを入れてから攻めよう〉
〈了解。ここから最後までだな〉
〈ああ。使い切っていい〉
信治は最初の数コーナーで急激な入力を避けながらソフトへ熱を入れ、低速区間を抜けるたびに、ヴァァァァァァーーンと滑らかに伸びるHELIOS V10の加速を少しずつ強めていった。
*
7号車は、なおもスーパーハードで走り続けていた。
42周を越えたタイヤは立ち上がりで明確に時間を失い始めていたが、藤原はタイヤを滑らせることなく、44周目までペースを保った。
〈蒼真、今周ピットイン。スーパーソフトを用意している〉
〈了解。やっとか〉
〈待たせたね。出口は空いている〉
44周目、藤原は初めてピットレーンへ向かった。
メカニックたちが、スタートから使い続けたスーパーハードを外す。代わって装着されたのは、4種類の中で最もグリップの高い新品のスーパーソフトだった。
「藤原さん、ついにピットイン! スーパーソフトです!」
「残り14周なら、競争力を保てる範囲に入っている。スーパーハードでここまで延ばしたからこそ選べたタイヤね」
「ずっとタイムの出にくいタイヤで我慢して、最後に最も速いタイヤを使う作戦ですか」
「でも、交換しただけでは意味がないわ。ここから順位を取り戻して、初めて戦略が成立する」
7号車がピットレーンを離れる。
藤原は信治の後方でコースへ復帰し、15位から18位へ下がった。藤原のピットインによって、信治は18位から17位へ上がっている。
前方の並びは、16位イバニェス、17位信治、18位藤原となった。
〈蒼真、現在18位。前は22号車、その前がイバニェスだ〉
〈了解。タイヤを起こす〉
〈最初の周は温度を入れよう。その後、エンジン側も使える範囲を広げる〉
〈了解〉
藤原は信治との間隔を保ちながら、スーパーソフトへ熱を入れていった。
*
45周目、先に仕掛けたのは信治だった。
前を走るイバニェスのタイヤは、22号車の新品ソフトほど立ち上がりで速度を伸ばせない。
信治は低速コーナーの出口で並び、次のブレーキングで内側へ入った。荒く濁ったPHOENIX V8の音が横で弾けるなか、信治は走行線を譲らず、そのまま前へ出る。
イバニェスを抜き、信治は17位から16位へ上がった。抜かれたイバニェスは17位へ下がり、その後方には18位の藤原が続いている。
〈信治、現在16位。いい追い越しだ〉
〈次はコスタだ〉
〈見えている。今のリズムを続けよう〉
その直後、藤原もイバニェスへ追いついた。
スーパーソフトの温度が上がると、7号車の動きはそれまでとは別のマシンのように変わった。高速区間で向きを変えても修正が残らず、低速から加速してもフロントが狙った方向を外さない。
藤原は直線でイバニェスへ並び、ブレーキングで前へ出た。ヴァァァァァァーーンと淀みなく回転を伸ばすHELIOS V10の音を残し、7号車が先にコーナーを立ち上がっていく。
藤原は18位から17位へ上がり、イバニェスは18位へ下がった。
「MUNEの2台が、順番にイバニェスを抜きました!」
「同じ相手を抜いても、使っているタイヤは違う。中村はソフトで最後まで走るためのペース、藤原はスーパーソフトの短い寿命を使い切るペースよ」
46周目、16位の信治は15位のコスタを追い詰めた。
22号車は最終コーナーから離されずに立ち上がり、直線で横へ出る。コスタもブレーキングで抵抗し、AEGIS V8がキィィンッ、キィィィーーン! と鋭く音程を跳ね上げたが、信治は内側の走行線を守ったまま前へ出た。
信治は16位から15位へ上がり、コスタは16位へ下がった。
後方から追いついた藤原も、同じ周の後半でコスタへ仕掛ける。スーパーソフトのグリップ差を生かし、低速区間のブレーキングで迷わず内側へ入った。
コスタを抜き、藤原は17位から16位へ上がった。コスタは17位へ後退した。
*
47周目、15位の信治の前には14位のリヒターがいた。
〈信治、前はリヒター。タイヤは向こうの方が古い〉
〈分かってる。高速の出口で並ぶ〉
信治は高速区間でわずかに間隔を残し、出口へ向けて一気に距離を縮めた。立ち上がりでリヒターの横へ並ぶと、次のコーナーで前へ出る。
リヒターを抜き、信治は15位から14位へ上がった。リヒターは15位へ下がる。
その周に記録した1分32秒376は、信治の開幕戦における決勝自己ベストとなった。
「中村さん、自己ベスト! そして14位です!」
「タイヤを温めたあと、きれいに速さへ変えられている。スタート直後のように、ひとつのブレーキングだけで全部を決めようとしていないわね」
16位の藤原も、リヒターの背後へ迫った。
リヒターは内側を守ったが、藤原は出口で加速を合わせ、次のコーナーで前へ出る。
藤原は16位から15位へ上がり、リヒターは16位へ下がった。藤原の前を走るのは、14位の信治だった。
〈信治、後ろは7号車。戦略が違う。争わず、自分のペースを続けよう〉
〈了解〉
〈蒼真、前は22号車だ。こちらが速いことは伝えてある〉
〈了解〉
48周目、藤原は直線で信治へ追いついた。
信治は無理に走行線を塞がず、次のコーナーへ向けて自分のブレーキングを続ける。藤原は空いた側へ7号車を運び、そのまま前へ出た。
藤原は15位から14位へ上がり、信治は14位から15位へ下がった。
その周に藤原が記録した1分31秒842は、開幕戦における決勝自己ベストだった。
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49周目、14位の藤原は13位のデュランへ仕掛けた。
スーパーソフトのグリップを生かして低速区間の出口で並び、次のブレーキングで前へ出る。
デュランを抜き、藤原は14位から13位へ上がった。デュランは14位へ下がる。
続く50周目、藤原は12位を走るデュボワの背後へ接近した。
デュボワは低速区間で内側を守ったが、出口でわずかに加速が鈍る。藤原は立ち上がりで並び、次のブレーキングで前へ出た。
デュボワを抜き、藤原は13位から12位へ上がった。デュボワは13位へ後退した。
「藤原さん、12位! ピットアウト時の18位から、6台を抜きました!」
「スーパーハードで残したタイヤの選択肢を、スーパーソフトで順位へ変えた。ここまで来て、ようやく戦略が結果になったと言えるわね」
50周目終了時点で、藤原は12位、信治は15位。
チェッカーまで、残り8周。
守るために残した速さは、もうない。
ここから先は、2人とも最後まで使い切るために走る。
【50周目終了時点・レース状況】
・藤原蒼真/7号車:12位。前を走る11位の車両は正典で未確定。後ろはデュボワ。前後車との正確なギャップは正典で未確定。スーパーソフト7周使用。ピット1回。タイヤ、車両ともに異常なし。主要無線担当はラスタス。
・中村信治/22号車:15位。前はデュラン、後ろはリヒター。前後車との正確なギャップは正典で未確定。ソフト9周使用。ピット2回。タイヤ、車両ともに異常なし。主要無線担当は結城。
・順位変動:42周目/トーマス・ベルクがリタイア/藤原16位→15位、信治19位→18位。42周目/信治がピットイン/18位のまま復帰。44周目/藤原がピットイン/15位→18位、信治18位→17位。45周目/信治がイバニェスをコース上で抜く/17位→16位。45周目/藤原がイバニェスをコース上で抜く/18位→17位。46周目/信治がコスタをコース上で抜く/16位→15位。46周目/藤原がコスタをコース上で抜く/17位→16位。47周目/信治がリヒターをコース上で抜く/15位→14位。47周目/藤原がリヒターをコース上で抜く/16位→15位。48周目/藤原が信治をコース上で抜く/15位→14位、信治14位→15位。49周目/藤原がデュランをコース上で抜く/14位→13位。50周目/藤原がデュボワをコース上で抜く/13位→12位。
・ピット:42周目、信治がミディアムから新品ソフトへ交換。今季決勝2回目のピットストップ。44周目、藤原がスーパーハードから新品スーパーソフトへ交換。今季決勝1回目のピットストップ。その他の車両について、このChapter内で個別に確定したピットはなし。
・リタイア:42周目、トーマス・ベルクがブレーキトラブルで停止し、RET表示。既存のリタイアは、ノヴァーク(7周目/接触事故/RET)、チェン(18周目/サスペンショントラブル/RET)、フェレイラ(31周目/エンジントラブル/RET)。リタイアは合計4台。
・天候/路面:ドライ。黄旗なし。SC、VSCなし。
・残存台数:18台。




