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IGNITION  作者: ムネディ


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64/69

Chapter 58 止まらない理由

31周目、藤原蒼真の前を走っていたマテオ・フェレイラのマシンから白煙が上がった。

 

最初は細い筋だった煙が、長い全開区間を抜ける頃には車体後方を覆い、荒く濁ったPHOENIX V8の咆哮も、ガァァ……と途切れながら急速に力を失っていく。

 

「フェレイラにトラブル! 白煙が大きくなっています!」

 

「エンジンね。フェレイラは後続車へオイルが掛からないよう、すぐに走行線を外している。後ろのドライバーも、路面を確認しながら通過する必要があるわ」

 

フェレイラは速度を落とし、安全な位置までマシンを運ぶとエンジンを止めた。

 

Mistral Engineeringの1台が、31周目でレースを終える。

 

フェレイラは藤原より前を走っていたため、藤原は15位から14位、中村信治は19位から18位へ上がった。

 

7号車が白煙の残る区間へ近づく前に、ラスタス・パルナーの声が無線へ入った。

 

〈蒼真、フェレイラがリタイア。現在14位。前方は黄旗だ〉

 

〈了解。路面に何か出てるか?〉

 

〈今のところ大きな流出は確認されていない。ただし、煙の薄い側を通ってくれ〉

 

〈分かった〉

 

続いて結城遼が、22号車へ状況を伝える。

 

〈信治、フェレイラが止まった。現在18位。黄旗区間では追い越し禁止だ〉

 

〈了解。煙がまだ残ってる〉

 

〈路面を確認しながら通過してくれ。タイヤの温度も落としすぎないように〉

 

〈分かった〉

 

信治は早めにアクセルを戻し、前方の視界と路面を確かめながら煙の薄い側を通過した。コース脇には、エンジンを止めたフェレイラのマシンがある。

 

黄旗区間では前方との間隔を詰められない。それでも信治は必要以上に速度を落とさず、ミディアムの温度を保てる入力をつないだ。

 

*

 

フェレイラのマシンが撤去され、局所黄旗が解除されたあとも、MUNE RACINGのガレージでは7号車のラップタイムへ視線が集まっていた。

 

藤原が履くスーパーハードは、すでに30周以上を走っている。

 

新品時から鋭い速さを発揮するタイヤではないが、燃料が減ったことでMR-01に掛かる負担も軽くなり、藤原のペースは急激には落ちていなかった。

 

朝倉智樹が、区間ごとの数値とピットアウト後の予測位置を並べる。

 

「高速区間は前の周とほぼ同じです。低速の立ち上がりだけ少し失っていますが、今止めると復帰先がよくありません」

 

ラスタスはタイヤ温度と藤原の入力を照合した。

 

「低速で失った分のすべてが摩耗ではありません。新しいタイヤの車を先へ行かせるため、蒼真が走行線を調整した影響も入っています」

 

「まだ交換する理由にはならない?」

 

宗村宗一が尋ねると、朝倉はピットアウト後の予測を指した。

 

「今入れると、前後で争っている集団へ戻ります。新しいタイヤへ替えても、自分のペースで走れない可能性が高い。あと数周で空くなら、今のタイヤを使った方が後半の選択肢を残せます」

 

神谷英治は7号車のラップ推移を確認したまま付け加えた。

 

「ただし、スーパーハードが何周持つかを証明するために走らせるわけではありません。競争力がなくなれば、その時点で交換します」

 

「分かってます。記録へ挑戦してるんじゃないからね」

 

宗村は答え、7号車のオンボードへ視線を戻した。

 

ラスタスが無線を開く。

 

〈蒼真、現在のバランスを教えてくれ〉

 

〈高速は問題ない。低速ではアクセルを入れた時に後ろが少し動くが、予測できる範囲だ〉

 

〈あと数周、このまま行けるか?〉

 

〈行ける。後ろから来る車だけ早めに教えてくれ〉

 

〈了解。プランを継続する〉

 

藤原の答えを受け、朝倉は交換準備の指示をまだ出さなかった。

 

止まらないのは、古いタイヤへ固執しているからではない。交換したあとに速さを使える場所と、終盤に選べるタイヤを残すためだった。

 

*

 

国際映像が、14位を走る7号車を捉えた。

 

「藤原さん、フェレイラのリタイアで14位へ上がりましたが、まだピットへ入りません。スーパーハードは32周目です。パイセン、ここまで使うのは予定どおりなんでしょうか?」

 

「長く使う方針は決めていたでしょうけど、何周目までと最初から固定しているわけではないはずよ。藤原はタイヤの状態だけでなく、交換後にどこへ戻れるかまで見ながら走っている」

 

「表示は14位でも、まだ1度も止まっていません。そのままの順位だと思っちゃいけないんですよね」

 

「ええ。ただ、未交換だから今の走りに価値がないわけでもない。周囲が先にタイヤを使っている間に、藤原は終盤へ向けた選択肢を残している。評価できるのは、交換を終えてからね」

 

「走りながら、今の順位より先の準備をしているんですね」

 

「そういうこと。ようやく分かりやすくなったわね、レイナ」

 

「最初から分かりやすくお願いします、パイセン」

 

中継映像が22号車へ切り替わる。

 

信治は18位を走り、前方のローラン・デュボワを追っていた。

 

13周目に装着したミディアムは競争力を保っているものの、イバニェスを抜いた時ほど自由にブレーキングを詰められる状態ではない。

 

〈信治、右前輪の状態は安定している。このペースで続けよう〉

 

〈前には少しずつ近づいてる。でも、高速でついていくと最後が苦しい〉

 

〈高速区間では間を残していい。今はタイヤを使って追いつく必要はない〉

 

〈了解。低速の出口を合わせる〉

 

信治は高速コーナーへの進入でデュボワとの間隔をわずかに広げ、乱れた空気の影響を減らした。低速区間へ入ると、HELIOS V10のヴァァァァァァーーンという滑らかな伸びを使い、再び距離を縮めていく。

 

追いつくことだけを優先すれば、前輪を早く消耗する。抜ける場所へ、抜ける状態で届かなければ意味がない。

 

「信治も待てるようになりましたね」

 

宗村が口にすると、結城はモニターを見たまま答えた。

 

「今はまだ、こちらが待たせています。自分から待てるようになったかは、次に仕掛ける時に分かります」

 

「厳しいなあ」

 

「本人も、それを望んでいますから」

 

*

 

35周目を迎えても、藤原のラップタイムは大きく崩れていなかった。

 

スーパーハードは標準的な走行範囲へ入っている。低速コーナーでは新品時ほどリアが素直についてこないが、藤原はアクセルを開ける位置をわずかに遅らせ、余計な修正を増やさずに走り続けた。

 

朝倉は残り周回、周囲のピット状況、復帰先のトラフィックを更新し、ラスタスへ確認を求めた。

 

「この傾向が続けば、当初案より短いタイヤも選択肢へ入ります」

 

「数字の上ではそうですね。ただ、スーパーソフトで最後まで戦える周回まで延ばせるかは、まだ判断が早い。蒼真の感触と次の数周を見ましょう」

 

「ええ。走れるかではなく、戦えるかで決めます」

 

宗村は会話へ口を挟まず、2人の判断を聞いていた。

 

スーパーハードでスタートする案を出したのは宗村だったが、それをいつまで使い、次に何を履くのかは、もう発案者の思いつきで決める段階ではない。

 

36周目を終えても、藤原は14位を保っていた。信治も18位でデュボワを追いながら、ミディアムを守っている。

 

7号車が残そうとしているのは、終盤に選べるタイヤと、交換後に攻められる場所。22号車が残しているのは、デュボワへ仕掛ける時に使うグリップだった。

 

止まらないことも、追いつきすぎないことも、先で速さを使うための選択だった。

 

【36周目終了時点・レース状況】

 

・藤原蒼真/7号車:14位。前の走行車は正典で未確定、後ろはコスタ。スーパーハード36周使用。ピット0回。低速立ち上がりでリアがわずかに動くが予測可能な範囲で、車両異常なし。主要無線担当はラスタス。

 

・中村信治/22号車:18位。前はデュボワ、後ろはイバニェス。ミディアム24周使用。ピット1回。右前輪を含めタイヤは競争力を維持し、車両異常なし。主要無線担当は結城。

 

・順位変動:31周目/マテオ・フェレイラ/走行中からリタイア/エンジントラブル。藤原は15位から14位、信治は19位から18位へ上昇。以後、36周目終了までMUNE両車の確定した順位変動なし。

 

・ピット:Chapter 58内でMUNE両車のピットなし。藤原は0回、信治は13周目に行った1回目のピットストップを終えている。その他の車両について、このChapter内で個別に確定したピットはなし。

 

・リタイア:31周目、フェレイラがエンジントラブルで停止しRET。ノヴァーク(7周目/接触事故/RET)、チェン(18周目/サスペンショントラブル/RET)と合わせ、リタイアは3台。

 

・天候/路面:ドライ。31周目にフェレイラ停止区間で局所黄旗が提示され、撤去後に解除。36周目終了時点で黄旗なし。SC、VSCなし。

 

・残存台数:19台。

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