Chapter 54 2台、それぞれの戦い
4周目を終えた時点で、藤原蒼真は16位、中村信治は18位を走っていた。
15位のダニエル・コスタと藤原の差は0.8秒。信治は17位のアレックス・チェンから0.6秒後方につけ、その背後にはローラン・デュボワが迫っている。
MUNE RACINGの2台は近い位置を走っていたが、使っているタイヤも、狙う時間帯も異なっていた。
藤原の7号車では、スタート直後に鈍かったスーパーハードが、ようやく安定した反応を示し始めている。
〈蒼真、コスタとの差は0.8秒。後ろはチェンです〉
ラスタス・パルナーの声が届く。
〈了解。前は少し苦しくなっている〉
〈こちらでも確認しています。無理に急がず、立ち上がりを合わせてください〉
コスタのVega Competitionは、低速コーナーへ入るたびにリアを小さく滑らせていた。アクセルへ鋭く反応するAEGIS V8の高い音が立ち上がりで跳ね上がる一方、出口ではその力を路面へ伝え切れていない。
藤原は距離を詰めても、すぐには仕掛けなかった。
スーパーハードへ熱が入ったからといって、グリップそのものがソフトタイヤと同じになるわけではない。進入で無理に並べば、止まり切れずに接触する危険がある。
藤原はコスタのラインを見ながら、加速へ移る瞬間だけを合わせ続けた。
*
その後方で、信治はチェンの背後から抜け出せずにいた。
ソフトタイヤの反応は良く、低速区間では明らかに前の車より速かった。
しかし、ウォールに挟まれたコースでは、速さがあっても横へ並ぶ場所がない。チェンは直線の手前だけを丁寧に立ち上がり、22号車へ隙を与えなかった。
〈遼。近づいても、直線で並び切れない〉
〈見えてる。ブレーキングで全部取り返そうとしなくていい。後ろはデュボワ、0.7秒〉
〈分かった。もう少し前を動かす〉
信治はチェンのミラーへ入る位置を少しずつ変えた。右へ寄り、次の周には左へ振る。実際に飛び込むのではなく、どちらから来るかを意識させる。
チェンがブレーキングをわずかに遅らせ、その分だけ立ち上がりが鈍ったが、信治が狙った内側はすぐに閉じられた。
〈今のは行けなかった〉
〈それでいい。判断できてる〉
〈褒められると、行かなかったのを後悔しそうだな〉
〈後悔するのはレースが終わってからにしてくれ〉
信治は短く笑い、再びチェンを追った。
*
国際映像は、前後の車を異なるやり方で追う2台のMR-01を交互に映していた。
「MUNEの2台、走り方がまったく違いますね。藤原さんはコスタの後ろで静かに待っていますが、中村さんはチェンへ何度も動きを見せています!」
「タイヤだけじゃなく、ドライバーの特徴も出ているわね。中村はブレーキングを武器に相手へ圧力を掛けている。藤原は相手のタイヤと動きを見ながら、抜ける状況になるまで自分のタイヤを使わない」
「パイセン、スーパーハードの藤原さんが、だんだんコスタへ近づいています!」
「藤原のタイヤが使える状態へ入ったのもあるけれど、コスタの方が序盤の集団でタイヤを使っている。コンパウンドの差だけでなく、そこまでの走り方の差も出始めているわね」
5周目。
コスタが高速区間の出口で、わずかに姿勢を乱した。
藤原はアクセルを戻さず、滑らかに回転を伸ばすHELIOS V10の加速を使って7号車を外側へ運ぶ。次のブレーキングまでに並びかけると、コスタは内側を守った。
藤原はさらに深く入ろうとせず、いったん半車身だけ後ろへ下がる。
コスタが防御を意識したままコーナーへ入り、出口で加速が遅れた。
藤原はそこでラインを交差させ、7号車をコスタの内側へ入れると、次の短い直線で前へ出た。
「藤原さんがコスタを抜きました! スタートで失った順位を取り戻し、16位から15位へ戻ります!」
「最初の進入で決めようとしなかったのが良かった。コスタに内側を守らせて、出口で前へ出た。スーパーハードで無理に止める必要のない抜き方ね」
〈蒼真、15位。前はベルティーニ、2.4秒〉
〈了解。タイヤは安定している〉
〈今のペースを維持してください〉
7号車がコスタとの間を少しずつ広げていく。
MUNEのガレージでは、チーフストラテジストの朝倉智樹が2台の位置関係を追い、神谷英治がタイヤ温度と車体の動きを確認していた。神谷が表示を見たまま口を開く。
「想定より早く安定域へ入りましたね」
宗村宗一が隣から画面を見る。
「成功?」
「まだ5周です」
「ラスタスと同じこと言うなあ」
「5周で戦略の成否を決める方がおかしいんです」
宗村は反論せず、15位へ戻った藤原の表示を見つめた。
*
6周目に入ると、信治の背後にいたデュボワが0.5秒まで迫った。
前を抜きたい焦りと、後ろから抜かれたくない意識が同時に生まれる。
〈信治、前だけ見すぎるな。デュボワが近い〉
〈分かってる。でも、チェンが守るたびに2台とも遅くなってる〉
〈だから後ろも詰まる。次の高速区間で並ばれないよう、出口を優先してくれ〉
〈了解〉
信治はチェンとの距離を一度広げた。ブレーキングで無理に近づくのをやめ、立ち上がりでソフトのグリップを使う。高速区間へ入った時には、デュボワとの差が再び0.8秒まで開いた。
「中村さん、少し下がりました。仕掛けるのをやめたのでしょうか?」
「逆ね。チェンへ近づきすぎて出口を失っていたから、一度間隔を作った。次の直線へ速度をつなげるための距離よ」
次の周、信治は最終区間でチェンとの間を詰めた。今度は直線へ入った時点で、22号車の速度が明らかに高い。
しかし、その直前だった。
コース脇で黄色い旗が振られた。
〈イエローフラッグ。追い越し禁止〉
結城の声に、信治はすぐアクセルを緩めた。
〈確認した〉
*
7周目。
最後尾を走っていたエミール・ノヴァークが、低速コーナーの立ち上がりでウォールへ接触していた。
Stratos Racingのマシンはフロント部分を損傷し、その場で停止する。
「ノヴァークが止まっています! 低速コーナーの出口でウォールへ接触しました!」
「立ち上がりでリアが流れたように見えたわね。車両はコース外へ寄っている。今のところセーフティーカーは出ていません」
コースの一部がローカルイエローとなり、追い越しは禁止された。
ノヴァークは7周目、接触事故によりリタイア。タイミングモニターの表示は「RET」へ変わり、走行台数は21台となった。
ノヴァークはMUNEの2台より後方を走っていたため、藤原と信治の順位に変化はない。藤原は15位、信治は18位のままだった。
〈焦るな。再開後も同じ形を作れる〉
結城が信治へ伝える。
〈分かってる。チェンも出口で詰まってる〉
〈イエロー解除はこちらで伝える〉
マーシャルが停止した車両の処理を進め、やがて黄色い旗が下ろされた。
〈グリーン。追い越し可能〉
信治はチェンの後方で、再びアクセルを踏み込んだ。
8周目。
22号車は前の周に作れなかった速度差を、同じ場所でもう一度作った。
チェンが内側を守る。
信治は外側へ振り、ブレーキングをわずかに遅らせた。ソフトタイヤが路面を捉えたまま、2台が並んでコーナーへ入る。
チェンも引かない。
出口のウォールが近づく中、信治はステアリングを急に切り込まず、外側の幅を使って加速した。
22号車が半車身、前へ出る。次のコーナーまでにチェンを抑え、信治は18位から17位へ上がった。
「中村さん、今度は決めました! チェンを抜いて17位です!」
「イエローで一度機会を失っても、同じ形を作り直した。外側に必要な幅も残していた。落ち着いていたわね」
〈信治、17位。前はコスタ、1.6秒〉
〈了解。まだ行ける〉
〈タイヤを使い切るな。13周目まで持たせる〉
〈分かってる〉
ソフトで前へ出た信治と、スーパーハードで長い先を見ている藤原。
8周目終了時点で、藤原は15位、信治は17位。2台のMR-01は同じレースの中で、違う時間を走り始めていた。
【8周目終了時点・レース状況】
・藤原蒼真/7号車:15位。前はベルティーニ、後ろはコスタ。スーパーハード8周使用。ピット0回。車両異常なし。
・中村信治/22号車:17位。前はコスタ、後ろはチェン。コスタとの差は1.6秒。ソフト8周使用。ピット0回。車両異常なし。
・順位変動:5周目、藤原がコスタをオーバーテイクし16位→15位。コスタは15位→16位。8周目、信治がチェンをオーバーテイクし18位→17位。チェンは17位→18位。ノヴァークのリタイアはMUNEの順位へ影響なし。
・ピット:なし。
・天候/路面:ドライ。7周目にローカルイエロー、同周中に解除。8周目終了時点で黄旗、SC、VSCなし。
・リタイア:ノヴァーク(7周目/接触事故)。停止描写あり。タイミングモニターは「RET」。残り21台。




