Chapter 52 同じ土俵に立たない
決勝前ブリーフィングの開始時刻になると、MUNE RACINGのスタッフが部屋へ集まった。
正面の画面には、サザンクロス・ストリートサーキットのコース図と、FP2で取得したロングランデータが表示されている。
神谷英治、ラスタス・パルナー、朝倉智樹、結城遼に加え、藤原蒼真と中村信治も席に着いた。
宗村宗一は、先ほどから手にしていた資料をテーブルへ置いた。
朝倉が口を開く。
「まず、現時点の基本案を確認します。藤原さんは15番グリッド、中村は19番グリッド。2台とも序盤の混雑を避けられません。スタート直後の接触を避け、前後の動きを見ながらレースへ入ることを優先します」
画面が切り替わり、各コンパウンドのペースと摩耗傾向が並んだ。
「藤原さんはミディアム、中村はソフトから入る案を中心に検討しています。中村は序盤のグリップを使い、前方の車列についていく。藤原さんはタイヤを管理しながら第1スティントを延ばす形です」
「ちょっといい?」
宗村が手を上げた。
神谷が、やはり来たかという顔をする。
「宗村さん。何ですか」
「藤原さん、スーパーハードでスタートしない?」
部屋の空気が止まった。
「反対です」
最初に答えたのは藤原だった。
「私も勧めません」
ラスタスが続く。
「現時点では採用できません」
朝倉も間を置かなかった。
ほぼ同時に返された反対に、信治が3人の顔を順番に見る。
宗村だけは特に驚いていなかった。
「人気ないね、スーパーハード」
「人気の問題ではありません」
朝倉が資料を開く。
「IGPではほとんど使われないタイヤです。発熱に時間が掛かるうえ、スタート直後は周囲の車より明確にグリップが劣る可能性がある。15番手から使えば、序盤に順位を失う危険が大きすぎます」
藤原もうなずいた。
「燃料を積んだ状態で、最初の数周を集団の中で走ることになる。タイヤが使えるようになる前に後ろから来られたら、守るだけで余計に時間を失います」
「分かってる。だから藤原さんなんだよ」
宗村は手元の資料を開いた。
「15番手なら、前も後ろも車がいる。序盤から抜こうとしても、タイヤを使うことになるでしょう? 逆に守っても使う。だったら最初から、その状況で減りにくいタイヤを選ぶのはどうかなって」
「タイヤが減らなくても、ペースが足りなければ意味がありません」
朝倉の声は冷静だった。
「うん。でも、MR-01はスーパーハードを履いた時の落ち幅が、ほかのタイヤほど大きくない」
神谷が宗村を見る。
「どこでそれを見ました?」
「FPと、その前のデータ。神谷さんたちがまとめてくれたやつ」
「自分で計算したような言い方をしないでください」
「見つけたのは俺だから、半分くらいは俺の手柄でいいでしょう?」
「駄目です」
信治が吹き出しそうになり、慌てて口元を押さえた。
宗村は気にせず、画面上の数値を示す。
「もちろん、スーパーハードを履けばトップチームより速くなるなんて言ってないよ。でもMR-01は、このタイヤでも挙動が大きく崩れていない。神谷さんがLMP2でやってきたことが、結果的に生きてるんじゃない?」
神谷は答えず、表示されたデータへ目を移した。
MUNEがLMP2で使用していたハードタイヤと、IGPのスーパーハードは特性が近い。MR-01はその知見を直接流用した車ではないが、神谷が積み重ねてきた設計と運用の考え方は新設計の各部に残っていた。
宗村は続ける。
「それに藤原さんは、タイヤを残せる。長いスティントになっても、使える範囲を見つけられるでしょう?」
「それだけなら、まだ賭けの方が大きいですね」
ラスタスの声は穏やかだが、賛成には遠かった。
「うん。だから、もう少しある」
次に表示したのは、HELIOS V10の連続走行データだった。
「公開テストから、距離を重ねても性能の落ち方が比較的小さい。開幕戦でも同じ傾向が出てる。それからJY-03」
神谷がデータを拡大する。
「事前想定より、走行後の残燃料がわずかに多い」
「そう。まだ燃費が良くなったと断定できるほどじゃない。でも、同じ傾向が続いている。決勝の搭載量をほんの少し軽くできれば、重い燃料とスーパーハードの組み合わせによる不利を減らせる」
「大幅には減らせませんよ」
朝倉がすぐに釘を刺す。
「集団内で走れば燃料消費は計算どおりにならない可能性があります。順位争いによる加減速も増えます」
「うん。ぎりぎりまで減らせとは言ってない。計算上、安全を残せる範囲だけでいい」
宗村は藤原を見る。
「タイヤを残せる藤原さん、長い距離でも落ち込みの少ないエンジンとオイル、それにスーパーハードで性能を落としにくいMR-01。この組み合わせなら、15番手から前のチームと同じ戦略で速さだけを競うより、試す価値ないかな?」
誰もすぐには答えなかった。
藤原は腕を組んで再びタイヤデータを見つめ、ラスタスは燃料搭載量を変えた場合の計算へ目を移す。その隣では、朝倉が想定されるトラフィックとピットタイミングを確認していた。
宗村が小さくうなずく。
「はい決定。ピットプラン考えといてね」
「決まっていません」
朝倉が即座に否定した。
「今から検証します」
「そこは乗ってくれてもいいのに」
「乗った結果、58周走れなくなれば困るのはドライバーです」
藤原が宗村を見る。
「やるなら、想定よりペースが上がらない場合の切り替えを決めてください。タイヤが使えるまでに順位を落とした場合も含めて」
「もちろん。そこは朝倉さんに」
「宗村さんも考えてください」
「はい」
*
朝倉はFP2のロングランを基準にスーパーハード使用時のペース変化を組み直し、ラスタスは藤原のタイヤ入力と燃料重量の影響を照合する。神谷も車高変化と温度域を確認し、提案がMR-01で実行できるかを車両側から検証していた。
結城と信治も、22号車側の戦略を詰めていた。
「信治はソフトスタートを維持する」
結城が画面を示す。
「藤原さんとは逆に、序盤のグリップを使う。前が詰まって無理に動けないならタイヤを守るけど、機会があれば最初の数周で前へ出る」
「早めに止まる前提だな?」
「ああ。ただし、周回数は固定しない。摩耗とトラフィックを見て決める」
「分かった。藤原さんと同じタイヤで比べるんじゃないんだな」
「今回は2台を同じ条件にするより、展開が変わった時に選択肢を残す」
信治はスーパーハードの欄を見た。
「藤原さんなら、あれで本当に行けますか?」
「行けるかどうかを、今みんなで確認してる」
「宗村さん、たまにすごいこと言いますね」
「たまに、は余計だよ」
離れた席から宗村の声が飛び、信治は苦笑した。
やがて朝倉が計算を止めた。
「成立する範囲には入っています」
宗村が顔を上げる。
「じゃあ――」
「まだです」
「はい」
ラスタスが画面を見ながら続ける。
「理屈として成立しないわけではない。MR-01の特性と蒼真の走らせ方を合わせれば、長い第1スティントは可能です。ただし序盤のペースは確実に苦しい。前方が早くピットへ入る展開にならなければ、時間だけを失う可能性もあります」
「それでも、後半にタイヤと選択肢を残せる」
藤原が言った。
「代替プランがあるなら走れます。最初の数周で無理に守らず、自分のペースを作ることを優先します」
朝倉は最後にピットウインドウと切り替え条件を確認した。
「7号車はスーパーハードでスタートし、長い第1スティントを基本とします。ただし、ペース、タイヤ温度、前後のトラフィックによって早めの切り替えも残します。22号車はソフトでスタートし、序盤のグリップを使って7号車より早いタイミングでのピットを基本とします」
神谷が2台分のデータを見比べる。
「車両側の数値に、実行できない理由はありません」
朝倉が宗村を見る。
「これで正式決定です」
「ほら、さっき決めたとおりでしょう?」
「決めたのは今です」
*
ブリーフィングを終え、スタッフが部屋を出ていく。
桐生美咲は画面に残されたデータを見ていた。
「確かに、ほかのチームよりスーパーハードで安定していますね」
「神谷さんがLMP2で積み上げたものが、自然に入ってるんだろうね」
宗村も画面を見る。
「全部、先にいるIGPチームと同じ土俵で戦う必要はないと思うんだ。向こうの常識だけで勝負したら、経験の少ない俺たちはずっと後追いになる」
「そのために、神谷さんが技術判断へ集中できる体制を作ってきたんですか?」
「余計な横槍で、神谷さんの考えを曲げたくなかったからね。結果的に使えるものができたなら、ちょっとぐらいメリット欲しいじゃん」
宗村は笑った。
「あ、これ神谷さんたちにはナイショだよ?」
「本当にもう……。あとでちょっとお話があります」
「えっ!? なんで?」
ブリーフィングルームの外では、7号車のスーパーハードと22号車のソフトがスタート用の指定セットとして確認され、規定のタイミングで装着できるよう準備が進められていた。
同じMR-01でも、選んだ道は違う。
MUNE RACINGは2台を、初めての決勝へ送り出そうとしていた。




