Chapter 43 帰り道から世界へ
「……はい。以前はありがとうございました」
白石が椅子へ座り直す。
電話の向こうで名乗ったのは、夕陽ドリンコ広報部主任の押角直樹だった。
会社名を聞いた桐生と小野寺も顔を上げていた。
夕陽ドリンコ。
仕事帰り、学校帰り、部活帰り、塾帰り。
1日の終わりに、ふと飲みたくなるもの。
そんな少し変わったところに商品コンセプトを絞っている清涼飲料水メーカーだった。
白石がこの会社を知ったきっかけも、いかにもMUNEらしいものだった。
以前、休憩中の宗村が夕陽ドリンコの商品を飲んでいた。
「尖ったメーカーだね~」
たった、それだけ。
けれど白石は覚えていた。
そこから会社を調べ、最初に持ち込んだ話はIGPではなかった。
――千夏ちゃん弁当と一緒に販売しませんか。
MUNEの食堂から生まれた弁当と、夕陽ドリンコの商品。
帰り道に飲みたくなる商品を作る会社なら、食との組み合わせにも可能性があるのではないか。
そんなところから始まった関係だった。
「はい。もちろん覚えています」
白石は相手の話を聞きながら、手元へメモを取っていく。
やがて、そのペンが止まった。
「……スポンサー、ですか?」
桐生が白石を見る。
小野寺も画面から目を離した。
「ありがとうございます。ぜひ一度、詳しくお話を聞かせてください」
電話を終える。
数秒、誰も話さなかった。
最初に口を開いたのは桐生だった。
「夕陽ドリンコ?」
「はい」
白石はまだ少し驚いていた。
「正式にスポンサーの話をしたいそうです」
小野寺が聞く。
「金額は?」
「そこはこれからです。ただ、以前こちらから出していた提案より、かなり具体的な話になりそうです」
桐生がスポンサー配置図へ目を向けた。
大きく空いているエンジンカウル。
白石も同じ場所を見る。
「まだ決まったわけじゃないですからね」
「分かってる」
「美咲さん、ちょっと期待してません?」
「玲奈ほどじゃない」
「私は仕事です」
「顔が笑ってるけど」
白石は口元を押さえた。
「……行ってきます」
*
夕陽ドリンコとの商談は、これまでとは少し違った。
日の出環境コーポレーションのように、IGPという広告媒体そのものを一から説明する必要はなかった。
すでにMUNEとの接点がある。
相手も公開テストを見ていた。
そして何より、最初の付き合いがスポンサー営業ではなかった。
「最初に白石さんから連絡をいただいた時、驚きましたよ」
押角が笑った。
「レーシングチームから電話が来て、スポンサーの話かと思ったら弁当でしたから」
「私も、いきなりスポンサーの話をしても難しいと思いましたので」
「それで『千夏ちゃん弁当と一緒に販売しませんか』ですからね」
白石も笑う。
「でも、御社の商品コンセプトには合うと思ったんです」
帰り道。
その言葉には、夕陽ドリンコが長く守ってきた考えがある。
仕事を終えた人。
学校を終えた学生。
部活動で汗を流した子供。
塾から家へ向かう学生。
そうした人たちの日常に、1本の商品を置く。
派手ではない。
しかし、誰に飲んでもらいたいのかは明確だった。
押角が資料を開いた。
「MUNE RACINGさんも、少し似ていると思いまして」
「うちがですか?」
「誰にでも同じように見せようとしていないでしょう?」
白石は少し考えた。
確かにそうかもしれない。
ことねの記事もそうだった。
格好いいレーシングカーだけを見せているわけではない。
整備する人。
食堂で働く人。
初めてIGPへ挑む若いスタッフ。
試行錯誤を続ける信治。
それを支える藤原や結城。
世界最高峰へ行くチームなのに、市原の日常が消えていない。
「だから、うちとしても面白いと思ったんです」
押角が提示した条件を、白石は確認した。
スポンサーとしては十分にありがたい。
ただ――。
白石はすぐに返事をしなかった。
エンジンカウル。
そこへ掲示するには、少し違う。
「率直に申し上げてもいいですか?」
「どうぞ」
「この条件ですと、こちらが想定しているエンジンカウルの広告価値とは合いません」
押角が黙る。
白石は続けた。
「だからといって、御社に増額をお願いしたいという意味ではありません。契約規模に合った別の場所をご提案します」
空いているから安く売る。
それだけはしない。
桐生から何度も言われてきたことだった。
スポンサーとの関係は、1年で終わらせるものではない。
無理をして始めれば、続かない。
押角は白石を見たあと、別の資料を取り出した。
「実は、もう一つ条件があります」
「条件?」
「広告契約とは別に、こちらもMUNE RACINGさんを使いたい」
白石が資料を見る。
そこには4人の名前があった。
藤原蒼真。
中村信治。
桐生美咲。
白石玲奈。
「……はい?」
「この4人に、うちのCMへ出演していただきたいんです」
白石はもう一度確認した。
やはり自分の名前がある。
「藤原さんと信治君は分かります」
「はい」
「美咲さんも……まあ、分からなくはありません」
「はい」
「私、何で入ってるんですか?」
押角が笑った。
「白石さんもMUNE RACINGでしょう?」
「そうですけど、私はドライバーじゃないですよ」
「だからです」
白石は言葉を失った。
夕陽ドリンコが求めているのは、レーシングドライバーだけではなかった。
世界へ挑むチームで働く人たち。
それを商品のコンセプトと重ねたいという。
CM出演を含めることで、スポンサー契約の提示額も増額される。
白石は改めて数字を確認した。
今度は――エンジンカウルを任せられる。
「持ち帰らせてください」
「もちろんです」
「特に2人ほど、説得が必要なので」
「2人?」
白石は答えなかった。
*
「嫌」
市原へ戻って話をすると、桐生は即答した。
「まだ全部説明してないんですけど」
「私がCMに出るところまで聞いた」
「そこが重要なんです」
「藤原さんと信治君でいいじゃない」
「先方は4人を希望しています」
「玲奈も出るんでしょう?」
「出ますよ」
「……よく平気ね」
「仕事ですから」
「便利な言葉ね、それ」
少し離れたところで宗村が笑いを堪えていた。
桐生が睨む。
「宗村さん」
「俺、何も言ってないよ」
「顔」
「顔?」
「楽しんでますよね」
宗村は諦めて笑った。
「いやあ、美咲さんと玲奈さんがCMかあ」
「宗村さんも出ます?」
「俺はいいかな」
「じゃあ黙っててください」
そこへ藤原と信治も呼ばれた。
白石が条件を説明する。
信治は意外にも反応が早かった。
「スポンサーの条件なら、俺は大丈夫ですよ」
「助かる」
藤原も資料を一度見ただけだった。
「日程がレースやテストに影響しないなら構いません」
「そこは調整します」
残ったのは1人。
全員の視線が桐生へ向く。
「……何?」
宗村がにやにやしている。
「美咲さん待ち」
「宗村さん」
「はい」
桐生は大きく息を吐いた。
「チームに必要なんでしょう?」
白石が頷く。
「はい」
「分かった。出ます」
宗村が拍手する。
「おお」
「宗村さんはあとで話があります」
「なんで?」
出演について4人の了承が揃うと、正式契約へ進む前に、小野寺が提示条件と収支の確認を始めた。
スポンサー料が増える。
だから、そのまま全部使える。
そんな単純な話ではない。
入金時期。
契約期間。
既存のスポンサー収入。
遠征費。
給与。
部品代。
シーズン中の開発費。
予想外の事故や故障に備える資金。
小野寺は一つずつ確認していった。
白石と桐生が待つ。
しばらくして、小野寺が画面から顔を上げた。
「これなら、かなり違う」
白石が聞く。
「余裕できます?」
「余った、とは言わないよ」
即答だった。
「でも、前より選択肢は増える。開発費を最初から削る前提にしなくていいし、何かあった時のためのお金も残しやすくなる」
桐生が小さく頷いた。
「戦える?」
小野寺は少し考えてから答えた。
「少なくとも、お金が怖いから何もしない、という計画にはしなくて済む」
白石が息を吐いた。
それが一番聞きたかった。
新規参戦チームに、無限の予算などない。
トップチームと同じ開発競争もできない。
それでも、壊さないことだけを考えて18戦を回るのと、必要な時に必要な一手を打てるのとでは違う。
宗村が資料を覗き込む。
「じゃあ――」
「余ってません」
小野寺が言った。
宗村が止まる。
「まだ何も言ってないけど」
「宗村さんがそういう顔する時、大体何か買おうとしてるから」
桐生が吹き出した。
白石も笑う。
「信用ないですね」
「必要なものならちゃんと出すよ」
小野寺は宗村を見る。
「だから先に相談して」
「はい」
宗村が素直に返事をした。
小野寺の確認を終え、白石は夕陽ドリンコとの契約手続きを進めた。
そして、正式に契約がまとまった。
*
数日後。
MR-01のスポンサー配置が更新された。
サイドポンツーンとリアウイングには、日の出環境コーポレーション。
サイドミラーにはJURAS。
リアウイング翼端板にはシルバードッグソフト。
フロントモノコック両脇にはプロール。
そのほかにも、MUNEを支える企業の名前が各所へ入った。
そして――エンジンカウル。
そこに夕陽ドリンコのロゴが加わった。
宗村が少し離れたところからMR-01を見る。
「埋まったねえ」
隣にいた白石は首を振った。
「埋めたんじゃないですよ」
「ん?」
「一緒に走ってくれる会社が増えたんです」
宗村はMR-01を見た。
「そうだね」
一つ一つのロゴには理由がある。
昔から支えてくれた会社。
新しくMUNEを知った会社。
誰かとの縁からつながった会社。
ことねの記事を読んだ会社。
信治を以前から支えてきた会社。
そして、1本の飲み物と弁当から始まった会社。
MR-01は同じ車のはずだった。
それでも白石には、以前より少しだけ強く見えた。
速くなったわけではない。
軽くなったわけでもない。
エンジンの出力が上がったわけでもない。
ただ。
この車を走らせたいと思っている人が、確実に増えていた。
MUNE RACINGは、もう自分たちだけで世界へ行くチームではなかった。




