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IGNITION  作者: ムネディ


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43/72

Chapter 42 小さなロゴの重さ

「もう?」

 

桐生にそう言われた翌朝も、白石は電話をかけていた。

 

スポンサー営業に、一区切りというものはない。

 

日の出環境コーポレーションが決まり、シルバードッグソフトとプロールも加わった。

 

MR-01のスポンサー配置図は、少しずつレーシングカーらしくなっている。

 

それでも白石の手元には、まだ何社もの名前が残っていた。


*

 

最初に返事が来たのは、パウクコンピュータの法人営業課長、西尾隆史だった。

 

MUNEが使う法人向けパソコンを、用途に合わせてカスタマイズし、リースしてくれている会社でもある。

 

付き合いはLMP2時代から長い。

 

『IGPになったら、さすがに今までの金額じゃ無理ですよね』

 

電話の向こうから聞かれ、白石は資料を確認した。

 

「いえ。同額で大丈夫です」

 

『……本当に?』

 

「もちろんLMP2の頃と同じ場所というわけにはいきません。でも、ロゴはきちんと掲示できます」

 

少し間があった。

 

『じゃあ、続けます』

 

あっさりした返事だった。

 

白石は思わず笑う。

 

「ありがとうございます」

 

『こっちもMUNEさんにパソコン使ってもらってますから。世界中で壊さないでくださいよ』

 

「それはうちのスタッフに言っておきます」

 

『白石さんもですよ』

 

「私ですか?」

 

『一番酷使してそうだから』

 

否定できなかった。

 

パウクコンピュータのロゴは、サイドポンツーン下部へ入ることになった。

 

大きくはない。

 

それでも、LMP2から続く名前がIGPのマシンにも残る。

 

白石には、それが嬉しかった。


* 


次の連絡は、白石からではなかった。

 

ことねが事務スペースへ顔を出した。

 

「白石さん、中村さん宛てにスポンサー関係の連絡が来てるんですけど」

 

「スポンサー?」

 

「セイトグラスの小宮山さんです」

 

白石はすぐに顔を上げた。

 

小宮山亮は、信治が国内トップフォーミュラで走っていた時代から付き合ってきたパーソナルスポンサーの担当者だった。

 

話を確認すると、先方はことねが公開テストで発信した記事やSNSを見ていた。

 

IGPへ行ったことで、信治がもう遠い存在になったと感じていた。

 

だが、そうではなかったらしい。

 

新しい環境に戸惑いながら、結城と話し、藤原から学び、MR-01を理解しようとしている信治の姿。

 

ことねが拾ってきたのは結果ではなく、その過程だった。

 

「私の記事……ですか」

 

「そうみたい」

 

白石が答えると、ことねは少し照れた。

 

そこへ信治がやって来た。

 

「何の話です?」

 

「セイトグラスさん」

 

「あ」

 

その一言で、信治の表情が変わった。

 

「MUNEにも付いてくれるって」

 

「本当ですか?」

 

「うん」

 

信治はしばらく黙ってから、ことねを見る。

 

「ありがとう」

 

「え?」

 

「俺がちゃんとやってるって伝えてくれたんでしょ」

 

ことねは少し困ったように笑った。

 

「私は見たことを書いただけです」

 

「それで十分だよ」

 

セイトグラスのロゴは、コクピット脇へ。

 

信治がIGPまで連れてきた、小さなロゴだった。


*

 

白石にとって、デルペインのブランドマーケティング課長、森川彩香からの返事は少し違う重みがあった。

 

LMP2時代から何度も提案してきた会社だった。

 

自動車用品メーカーとして、かつてはカーナビを大きな柱としていた。

 

しかし市場環境が変わり、その事業は縮小。

 

会社は得意としていた音響分野を強化し、ようやく業績を回復させている途中だった。

 

だから、白石も無理には押さなかった。

 

それでも提案だけは続けていた。

 

今回、状況を変えたのはJURASだった。

 

『あのジュラスが付いたって、本当ですか』

 

電話口で森川に聞かれ、白石は答えた。

 

「はい。オイル供給だけではなく、正式なスポンサーでもあります」

 

『そうですか……』

 

その後、森川から提示された額は大きくなかった。

 

それでも白石は迷わなかった。

 

「ありがとうございます。ぜひお願いします」

 

『こんな額でも?』

 

「額だけでスポンサーさんを見てませんから」

 

白石は資料を閉じた。

 

「ずっと話を聞いていただいてましたから。それが今回、契約になったことの方が私は嬉しいです」

 

フロントウイング翼端板に、デルペインのロゴが入ることになった。

 

何年も実らなかった営業が、ようやく一つの形になった。

 

*


同じフロントウイング翼端板には、もう1社。

 

クラバ。

 

洗車用品やコーティング剤を扱う会社で、こちらもLMP2時代からMUNEを支えてきた。

 

「IGPでもお願いします」

 

白石が改めて挨拶すると、モータースポーツ事業担当の坂元健吾から返ってきた答えは少し違った。

 

スポンサーは続ける。

 

さらに――MR-01の車体コーティングも毎戦施工する。

 

「毎戦ですか?」

 

『世界走るんでしょう? 汚い車走らせないでくださいよ』

 

「そこまでしていただいていいんですか?」

 

『LMP2の頃からやってるんだから、今さらでしょ』

 

白石は笑った。

 

「ありがとうございます」

 

電話を切ったあと、近くにいた宗村が聞いてきた。

 

「何だって?」

 

「クラバさん、IGPでも継続です。それと毎戦コーティングしてくれるそうです」

 

「おお。MR-01、いつもピカピカだ」

 

「宗村さんの感想、それですか?」

 

「大事じゃない?」

 

「大事ですけど」

 

世界最高峰を走る車でも、支える仕事は華やかなものばかりではない。

 

綺麗な車体でスポンサーの名前を背負って走ることも、チームの仕事だった。

 

*


そして、海を越えて新しく加わったのがクェースクだった。

 

ベルギーのオーダーメイド文房具メーカー。

 

白石が最初に接触した企業ではない。

 

きっかけは、またことねだった。

 

クェースクの海外マーケティング担当、ソフィー・デ・スメットが、ことねのSNSとブログを見つけて社内へ協賛案を持ち込んだ。

 

その後、先方からMUNEへ問い合わせが届いた。

 

ことねはメールを見ながら、何度も送り主を確認したという。

 

「ベルギーから来るとは思いませんでした」

 

白石も同じだった。

 

金額は小さい。

 

それでも、公開テストまでほとんど知られていなかった日本の新規チームに、海外の会社が自分たちから声をかけてきた。

 

「ことね」

 

「はい」

 

「これ、結構すごいことだからね」

 

「私がですか?」

 

「MUNEを知らなかった人が、あなたの記事を読んで連絡してきたの」

 

ことねは少し考えた。

 

「じゃあ……もっとちゃんと書かないと」

 

「違う違う」

 

白石は笑った。

 

「今まで通りでいいの。変にスポンサーを意識して書き始めたら、たぶん良さが消えるから」

 

ことねはしばらく考えてから頷いた。

 

クェースクのロゴは、パウクコンピュータと同じくサイドポンツーン下部へ入る。

 

また一つ、MR-01の空白が減った。

 

 

*

 

 

数日後。

 

白石は更新したスポンサー一覧を抱え、経理の小野寺真理のところへ向かった。

 

「真理さん、いいですか?」

 

「いいけど、何?」

 

「スポンサー、一度ここまででまとめました」

 

小野寺が受け取る。

 

日の出環境コーポレーション。

 

JURAS。

 

シルバードッグソフト。

 

プロール。

 

パウクコンピュータ。

 

セイトグラス。

 

デルペイン。

 

クラバ。

 

クェースク。

 

小野寺は喜ぶより先に、金額と契約条件を確認していった。

 

白石にとってロゴは、企業との縁だった。

 

小野寺にとっては、それと同時にMUNEが1年を戦うための収入でもある。

 

「入金時期は?」

 

「そこにまとめてあります」

 

「海外2社の扱いは?」

 

「契約書も一緒です」

 

「分かった。ちょっと時間ちょうだい」

 

小野寺はスポンサー収入だけを見ているわけではない。

 

遠征費。

 

給与。

 

部品代。

 

設備投資。

 

そして世界18戦を走れば、想定していなかった支出も必ず出る。

 

そこへ桐生もやって来た。

 

「どう?」

 

「まだ計算中」

 

小野寺は画面から目を離さなかった。

 

「スポンサーが増えたからって、全部使えるお金になるわけじゃないからね」

 

「分かってる」

 

桐生は隣の椅子へ座った。

 

白石も黙って待った。

 

やがて小野寺が画面を見たまま腕を組んだ。

 

「……うん」

 

桐生が見る。

 

「走り切れそう?」

 

「現状の想定なら、今シーズンを戦う計画は立てられる」

 

白石の肩から少し力が抜けた。

 

だが、小野寺は続けた。

 

「ただし、余裕があるとは言わない」

 

部品を壊すかもしれない。

 

輸送費が想定を超えるかもしれない。

 

シーズン中にMR-01を改良する必要もある。

 

レースチームの1年は、予算表通りには進まない。

 

「開発を止めれば楽になる。でも、それじゃIGPに出る意味がないでしょ」

 

桐生が頷いた。

 

「うん」

 

「だから開発費は残す。予備費も削りすぎない。その前提なら――もう少し欲しい」

 

白石は静かに息を吐いた。

 

小野寺は彼女を見る。

 

「玲奈にもっと取ってこいって言ってるわけじゃないよ」

 

「分かってます」

 

「無理な契約で今年だけ埋めても意味ないから」

 

それは桐生が最初から言ってきたことでもあった。

 

高い金額より、確実に支払われること。

 

そして、できれば何年も一緒に戦えること。

 

白石はスポンサー配置図へ目を向けた。

 

かなり埋まった。

 

サイドポンツーン。

 

リアウイング。

 

フロントモノコック。

 

サイドミラー。

 

コクピット脇。

 

フロントウイング。

 

小さなロゴまで含めれば、もう新規参戦当初の寂しい姿ではない。

 

それでも。

 

大きく空いている場所が、一つあった。

 

エンジンカウル。

 

白石がそこを見ていると、桐生が気づいた。

 

「玲奈」

 

「分かってます。安売りはしません」

 

「ならいい」

 

白石は配置図を閉じた。

 

その時。

 

机の電話が鳴った。

 

「はい、MUNE RACING、白石です」

 

相手の会社名を聞いた瞬間、白石の表情が変わる。

 

桐生と小野寺が顔を上げた。

 

「……はい。以前はありがとうございました」

 

白石は椅子へ座り直す。

 

そして、もう一度相手の名前を確認した。

 

夕陽ドリンコ。

 

空いたままのエンジンカウルを埋める話は、1本の電話から始まった。

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