Chapter 42 小さなロゴの重さ
「もう?」
桐生にそう言われた翌朝も、白石は電話をかけていた。
スポンサー営業に、一区切りというものはない。
日の出環境コーポレーションが決まり、シルバードッグソフトとプロールも加わった。
MR-01のスポンサー配置図は、少しずつレーシングカーらしくなっている。
それでも白石の手元には、まだ何社もの名前が残っていた。
*
最初に返事が来たのは、パウクコンピュータの法人営業課長、西尾隆史だった。
MUNEが使う法人向けパソコンを、用途に合わせてカスタマイズし、リースしてくれている会社でもある。
付き合いはLMP2時代から長い。
『IGPになったら、さすがに今までの金額じゃ無理ですよね』
電話の向こうから聞かれ、白石は資料を確認した。
「いえ。同額で大丈夫です」
『……本当に?』
「もちろんLMP2の頃と同じ場所というわけにはいきません。でも、ロゴはきちんと掲示できます」
少し間があった。
『じゃあ、続けます』
あっさりした返事だった。
白石は思わず笑う。
「ありがとうございます」
『こっちもMUNEさんにパソコン使ってもらってますから。世界中で壊さないでくださいよ』
「それはうちのスタッフに言っておきます」
『白石さんもですよ』
「私ですか?」
『一番酷使してそうだから』
否定できなかった。
パウクコンピュータのロゴは、サイドポンツーン下部へ入ることになった。
大きくはない。
それでも、LMP2から続く名前がIGPのマシンにも残る。
白石には、それが嬉しかった。
*
次の連絡は、白石からではなかった。
ことねが事務スペースへ顔を出した。
「白石さん、中村さん宛てにスポンサー関係の連絡が来てるんですけど」
「スポンサー?」
「セイトグラスの小宮山さんです」
白石はすぐに顔を上げた。
小宮山亮は、信治が国内トップフォーミュラで走っていた時代から付き合ってきたパーソナルスポンサーの担当者だった。
話を確認すると、先方はことねが公開テストで発信した記事やSNSを見ていた。
IGPへ行ったことで、信治がもう遠い存在になったと感じていた。
だが、そうではなかったらしい。
新しい環境に戸惑いながら、結城と話し、藤原から学び、MR-01を理解しようとしている信治の姿。
ことねが拾ってきたのは結果ではなく、その過程だった。
「私の記事……ですか」
「そうみたい」
白石が答えると、ことねは少し照れた。
そこへ信治がやって来た。
「何の話です?」
「セイトグラスさん」
「あ」
その一言で、信治の表情が変わった。
「MUNEにも付いてくれるって」
「本当ですか?」
「うん」
信治はしばらく黙ってから、ことねを見る。
「ありがとう」
「え?」
「俺がちゃんとやってるって伝えてくれたんでしょ」
ことねは少し困ったように笑った。
「私は見たことを書いただけです」
「それで十分だよ」
セイトグラスのロゴは、コクピット脇へ。
信治がIGPまで連れてきた、小さなロゴだった。
*
白石にとって、デルペインのブランドマーケティング課長、森川彩香からの返事は少し違う重みがあった。
LMP2時代から何度も提案してきた会社だった。
自動車用品メーカーとして、かつてはカーナビを大きな柱としていた。
しかし市場環境が変わり、その事業は縮小。
会社は得意としていた音響分野を強化し、ようやく業績を回復させている途中だった。
だから、白石も無理には押さなかった。
それでも提案だけは続けていた。
今回、状況を変えたのはJURASだった。
『あのジュラスが付いたって、本当ですか』
電話口で森川に聞かれ、白石は答えた。
「はい。オイル供給だけではなく、正式なスポンサーでもあります」
『そうですか……』
その後、森川から提示された額は大きくなかった。
それでも白石は迷わなかった。
「ありがとうございます。ぜひお願いします」
『こんな額でも?』
「額だけでスポンサーさんを見てませんから」
白石は資料を閉じた。
「ずっと話を聞いていただいてましたから。それが今回、契約になったことの方が私は嬉しいです」
フロントウイング翼端板に、デルペインのロゴが入ることになった。
何年も実らなかった営業が、ようやく一つの形になった。
*
同じフロントウイング翼端板には、もう1社。
クラバ。
洗車用品やコーティング剤を扱う会社で、こちらもLMP2時代からMUNEを支えてきた。
「IGPでもお願いします」
白石が改めて挨拶すると、モータースポーツ事業担当の坂元健吾から返ってきた答えは少し違った。
スポンサーは続ける。
さらに――MR-01の車体コーティングも毎戦施工する。
「毎戦ですか?」
『世界走るんでしょう? 汚い車走らせないでくださいよ』
「そこまでしていただいていいんですか?」
『LMP2の頃からやってるんだから、今さらでしょ』
白石は笑った。
「ありがとうございます」
電話を切ったあと、近くにいた宗村が聞いてきた。
「何だって?」
「クラバさん、IGPでも継続です。それと毎戦コーティングしてくれるそうです」
「おお。MR-01、いつもピカピカだ」
「宗村さんの感想、それですか?」
「大事じゃない?」
「大事ですけど」
世界最高峰を走る車でも、支える仕事は華やかなものばかりではない。
綺麗な車体でスポンサーの名前を背負って走ることも、チームの仕事だった。
*
そして、海を越えて新しく加わったのがクェースクだった。
ベルギーのオーダーメイド文房具メーカー。
白石が最初に接触した企業ではない。
きっかけは、またことねだった。
クェースクの海外マーケティング担当、ソフィー・デ・スメットが、ことねのSNSとブログを見つけて社内へ協賛案を持ち込んだ。
その後、先方からMUNEへ問い合わせが届いた。
ことねはメールを見ながら、何度も送り主を確認したという。
「ベルギーから来るとは思いませんでした」
白石も同じだった。
金額は小さい。
それでも、公開テストまでほとんど知られていなかった日本の新規チームに、海外の会社が自分たちから声をかけてきた。
「ことね」
「はい」
「これ、結構すごいことだからね」
「私がですか?」
「MUNEを知らなかった人が、あなたの記事を読んで連絡してきたの」
ことねは少し考えた。
「じゃあ……もっとちゃんと書かないと」
「違う違う」
白石は笑った。
「今まで通りでいいの。変にスポンサーを意識して書き始めたら、たぶん良さが消えるから」
ことねはしばらく考えてから頷いた。
クェースクのロゴは、パウクコンピュータと同じくサイドポンツーン下部へ入る。
また一つ、MR-01の空白が減った。
*
数日後。
白石は更新したスポンサー一覧を抱え、経理の小野寺真理のところへ向かった。
「真理さん、いいですか?」
「いいけど、何?」
「スポンサー、一度ここまででまとめました」
小野寺が受け取る。
日の出環境コーポレーション。
JURAS。
シルバードッグソフト。
プロール。
パウクコンピュータ。
セイトグラス。
デルペイン。
クラバ。
クェースク。
小野寺は喜ぶより先に、金額と契約条件を確認していった。
白石にとってロゴは、企業との縁だった。
小野寺にとっては、それと同時にMUNEが1年を戦うための収入でもある。
「入金時期は?」
「そこにまとめてあります」
「海外2社の扱いは?」
「契約書も一緒です」
「分かった。ちょっと時間ちょうだい」
小野寺はスポンサー収入だけを見ているわけではない。
遠征費。
給与。
部品代。
設備投資。
そして世界18戦を走れば、想定していなかった支出も必ず出る。
そこへ桐生もやって来た。
「どう?」
「まだ計算中」
小野寺は画面から目を離さなかった。
「スポンサーが増えたからって、全部使えるお金になるわけじゃないからね」
「分かってる」
桐生は隣の椅子へ座った。
白石も黙って待った。
やがて小野寺が画面を見たまま腕を組んだ。
「……うん」
桐生が見る。
「走り切れそう?」
「現状の想定なら、今シーズンを戦う計画は立てられる」
白石の肩から少し力が抜けた。
だが、小野寺は続けた。
「ただし、余裕があるとは言わない」
部品を壊すかもしれない。
輸送費が想定を超えるかもしれない。
シーズン中にMR-01を改良する必要もある。
レースチームの1年は、予算表通りには進まない。
「開発を止めれば楽になる。でも、それじゃIGPに出る意味がないでしょ」
桐生が頷いた。
「うん」
「だから開発費は残す。予備費も削りすぎない。その前提なら――もう少し欲しい」
白石は静かに息を吐いた。
小野寺は彼女を見る。
「玲奈にもっと取ってこいって言ってるわけじゃないよ」
「分かってます」
「無理な契約で今年だけ埋めても意味ないから」
それは桐生が最初から言ってきたことでもあった。
高い金額より、確実に支払われること。
そして、できれば何年も一緒に戦えること。
白石はスポンサー配置図へ目を向けた。
かなり埋まった。
サイドポンツーン。
リアウイング。
フロントモノコック。
サイドミラー。
コクピット脇。
フロントウイング。
小さなロゴまで含めれば、もう新規参戦当初の寂しい姿ではない。
それでも。
大きく空いている場所が、一つあった。
エンジンカウル。
白石がそこを見ていると、桐生が気づいた。
「玲奈」
「分かってます。安売りはしません」
「ならいい」
白石は配置図を閉じた。
その時。
机の電話が鳴った。
「はい、MUNE RACING、白石です」
相手の会社名を聞いた瞬間、白石の表情が変わる。
桐生と小野寺が顔を上げた。
「……はい。以前はありがとうございました」
白石は椅子へ座り直す。
そして、もう一度相手の名前を確認した。
夕陽ドリンコ。
空いたままのエンジンカウルを埋める話は、1本の電話から始まった。




