Chapter 41 新しい縁、続いてきた縁
日の出環境コーポレーションとの契約が決まっても、白石玲奈の机から提案書が減ることはなかった。
むしろ増えている。
メインスポンサーが決まったことで、今度は別の説明ができるようになった。
MUNE RACINGには、すでに世界へ一緒に出ていく企業がいる。
新規参戦チームへの協賛を迷っている相手にとって、それは小さくない材料だった。
白石はパソコンの画面を見ながら、次に連絡する企業を選んでいた。
ふと顔を上げる。
少し離れた休憩スペースで、宗村が携帯ゲーム機を手にしていた。
珍しい光景ではない。
「宗村さん」
「んー?」
「それ、いつもやってますよね」
「これ?」
宗村が画面をこちらへ向ける。
「面白いよ。派手じゃないんだけど、ちゃんと作ってあるんだよね」
白石は画面に表示されたタイトルを見た。
『灰壁の魔術師』。
以前から何度も見ていたはずなのに、メーカーまで意識したことはなかった。
「それ、どこの会社でしたっけ?」
「シルバードッグソフト」
白石の指が止まった。
「……シルバードッグ」
「知ってる?」
「会社は知ってます」
ゲームソフトメーカーとして30年以上。
スマートフォンゲームが市場の大きな部分を占めるようになっても、コンシューマーゲームを作り続けている会社だ。
何百万本という大ヒットを連発するメーカーではない。
その代わり、長く売れる。
何年経っても遊ぶ人がいて、中古市場でも値崩れしにくい。
白石は宗村の手元を見る。
「宗村さん、それ、結構やってます?」
「結構どころじゃないよ。何周したか覚えてない」
「……へえ」
「何、その顔」
「いえ。ちょっと仕事を思いついただけです」
宗村が嫌な予感でもしたような顔をした。
「俺、なんか余計なこと言った?」
「いいえ。とても有益な情報でした」
白石は自分の席へ戻った。
スポンサー候補のリストに、1社追加する。
――シルバードッグソフト。
ゲームとIGP。
将来的な展開まで考えれば、接点を作れない相手ではない。
ただし、これまでモータースポーツとの大きな関係があるわけでもない。
白石自身、期待はしていなかった。
だからこそ。
「駄目元で行ってみようかな」
*
後日。
シルバードッグソフトとの打ち合わせは、白石が想像していたものとは少し違った。
IGPの説明。
MUNE RACINGが新規参戦すること。
日の出環境コーポレーションがメインスポンサーとして決まったこと。
世界各地を転戦するカテゴリーであること。
白石が用意してきた話を一通り聞いた久我山慎吾社長は、提案書を閉じた。
「白石さん」
「はい」
「うちのゲーム、やったことあります?」
来た。
白石は一瞬だけ考えた。
ここで知ったかぶりをするのはまずい。
「申し訳ありません。私はそれほどゲームに詳しくなくて。ただ、うちの代表が御社のゲームをずっと遊んでいます」
「代表が?」
「はい。休憩時間になると、かなりの頻度で」
久我山が少し笑った。
「何をやってるんです?」
「『灰壁の魔術師』です」
その瞬間、相手の表情が変わった。
「……それですか」
白石は見逃さなかった。
「何度も遊んでいるみたいです。派手じゃないけど、ちゃんと作ってあるって」
「そう言ってました?」
「はい」
久我山はしばらく黙った。
それから、少し身を乗り出す。
「じゃあ白石さん。うちの作品で1番好きなのは?」
白石の頭に浮かんだタイトルは、1つしかなかった。
「『灰壁の魔術師』です!」
言い切ったあとで、少しだけまずかったと思った。
久我山が白石を見る。
白石も目を逸らさない。
数秒後。
久我山が吹き出した。
「白石さん、それしか知らないでしょう」
「……ばれました?」
「ばれますよ」
白石も笑った。
「すみません」
「いや、いいですよ。むしろ変に知ったふりされるよりいい」
久我山は椅子にもたれた。
「でも、よりによって『灰壁の魔術師』か」
その声には、先ほどまでとは違うものが混じっていた。
『灰壁の魔術師』は、会社にとって特別な1本だった。
シルバードッグソフトが創業時から作品を出し続け、久我山自身も愛着を持っていたゲームハード。
そのハードが市場から撤退することになった時、最後に送り出したソフトだった。
売れた本数は、およそ12,000本。
もうそのハードが撤退することになり、他社はソフトをほぼ出していなかったため、ユーザーがほとんど残っていなかったのだ。
そんな中、およそ12,000本という数字は売れた方ではあるが、商業的な大成功とは言えない。
だが、限られた予算の中で妥協せず作った。
遊んだ人からの評価は高く、発売から年月が経った現在では、中古価格が当時の定価の10倍近くになることもある。
「売れなかったんですよ」
久我山は笑った。
「でもね、今でも好きだと言ってくれる人がいる」
白石は黙って聞いていた。
「作った側としては、そういうのって忘れないんです」
久我山がもう1度、MUNEの提案書を開く。
新規参戦。
実績なし。
世界最高峰への挑戦。
そして、そこに書かれた言葉。
Every Lap Matters.
「白石さん」
「はい」
「やりましょうか」
「……え?」
「スポンサー」
今度は白石が固まった。
「本当ですか?」
「ただし、今度、宗村さんに会わせてください。本当に『灰壁の魔術師』をやってるのか確認します」
「そこですか?」
「重要ですよ」
「分かりました。何周したかまで聞いてください」
「それは楽しみだ」
白石が駄目元で持ち込んだ提案は、予想を超える形でまとまった。
スポンサー規模は中規模。
ロゴは、MR-01のリアウイング翼端板へ。
新しい縁が、1つ増えた。
*
その日の夕方。
桐生の電話が鳴った。
表示された相手を見て、少し表情が変わる。
フランスからだった。
プロールの国際営業責任者、エロディ・マルタン。
フランスでオーダーメイド家具を手掛ける企業であり、LMP2時代からMUNEを支えてきたスポンサーの担当者だった。
宗村とも桐生とも付き合いは長い。
IGPへ参戦すると伝えた時、プロールのオーナーは驚かなかった。
むしろ、
『宗村ならやりかねない』
と笑っていた。
ただし、スポンサーとしての関係はLMP2で終える予定だった。
IGPとなれば規模が違う。
桐生も無理に継続を求めなかった。
長く支えてもらったからこそ、相手の判断を尊重した。
「もしもし」
聞き慣れた声が返ってくる。
「久しぶりですね」
しばらくは近況の話だった。
市原のファクトリー。
公開テスト。
MR-01。
宗村が相変わらずなのかという話。
桐生は自然に答えていった。
やがて、電話の向こうから話題が変わった。
ことねの記事を読んだという。
SNSも見ているらしい。
公開テストで17番手と19番手。
結果だけなら、世界を驚かせるようなものではない。
それでも、ゼロからIGPへ挑んだMUNEがどんなチームなのか。
記事を読めば、それが見えた。
「そうですか」
桐生は少し笑った。
「橘に伝えたら喜びます」
エロディが何かを言った。
「宗村さんですか? 変わってませんよ。相変わらずです」
また何か言われる。
「ええ。私もそう思います」
昔からの相手だからこそ、説明しなくても通じることがある。
LMP2で勝った日。
壊れて帰った日。
予算が厳しい中でも、約束した活動を続けたこと。
エロディも、プロールも、それを知っている。
だから桐生は、スポンサーになってほしいとは言わなかった。
言う必要もないと思っていた。
電話の向こうの声を聞いていた桐生の表情が、ふと止まった。
「……はい?」
聞き返す。
そして数秒後。
「本気ですか?」
桐生は椅子の背にもたれた。
小さく息を吐く。
「分かりました。玲奈に連絡させます」
通話を終える。
ちょうどそこへ白石が戻ってきた。
「美咲さん、シルバードッグソフト決まりました」
「え?」
「中規模です。リアウイング翼端板」
桐生が目を丸くする。
「本当に?」
「本当にです」
白石は得意げに笑った。
「宗村さんのゲームが仕事しました」
「……どういう営業したの?」
「それはあとで説明します」
「ちょうどよかった。玲奈、もう1件」
「はい?」
「プロール」
白石の表情が変わった。
「プロールって……LMP2で終了するって」
「その予定だったんだけどね」
桐生が電話を見る。
「続けてくれるって」
「IGPでも?」
「うん」
白石は一瞬、言葉を失った。
「……なんで?」
「橘の記事を読んだって。それと、久しぶりにエロディと話したからかな」
「美咲さんが?」
「私は普通に話しただけ」
白石はじっと桐生を見る。
「何?」
「いやあ。長い付き合いって強いなと思って」
「玲奈だってLMP2から付き合ってる会社あるでしょう」
「ありますけど」
桐生は少しだけ笑った。
「新しく付き合ってくれる会社も大事。でも、ずっと付き合ってくれる会社も大事だから」
白石は頷いた。
プロールのロゴは、MR-01のフロントモノコック両脇へ入ることになった。
*
翌日。
スポンサー配置図が更新された。
サイドポンツーンとリアウイングには、日の出環境コーポレーション。
サイドミラーにはJURAS。
リアウイング翼端板にはシルバードッグソフト。
そしてフロントモノコック両脇にはプロール。
少しずつ、MR-01から空白が消えていく。
宗村が配置図を眺めた。
「シルバードッグ、本当に決まったの?」
「決まりました」
白石が答える。
「『灰壁の魔術師』のおかげです」
「え、なんで?」
「今度、久我山社長が宗村さんに会いたいそうですよ」
宗村の顔が明るくなる。
「マジで?」
「何周したか確認するそうです」
「それはちゃんと数えとけばよかったなあ」
桐生が呆れたように見る。
「そこ?」
「大事でしょ」
「仕事の話してください」
「するよ。ゲームの話もするけど」
白石は笑いながら、配置図へ視線を戻した。
新しく知り合った会社。
昔から知っている会社。
理由は違う。
それでも、どちらもMUNEと一緒に世界へ出てくれる。
スポンサーという言葉だけでは見えないものが、そのロゴの1つ1つにあった。
白石は別の資料を開く。
まだ候補企業名が並んでいる。
1社ごとの金額は、日の出環境や今回の2社ほど大きくない。
だからといって、軽いわけではない。
「玲奈?」
桐生が声を掛ける。
「次、行きます」
「もう?」
「大きいところだけがスポンサーじゃないですから」
白石は受話器を取った。
MR-01には、まだ空いている場所がある。
そしてMUNE RACINGには、まだつながっていない人たちがいた。




