Chapter 40 名前を預ける
公開テストを終えて数日。
市原ファクトリーでは、MR-01の開幕仕様へ向けた作業が続いていた。
その一方で、白石玲奈の机に積まれているものは、部品でも走行データでもない。
名刺と提案書だった。
公開テストで交換した名刺を整理し、反応のあった企業へ連絡を入れる。返事がなければ時期を見てもう1度。興味を示した企業には、相手に合わせて資料を作り直す。
公開テストが終わっても、白石の仕事は終わらない。
むしろ、ここからだった。
電話が鳴った。
「はい、MUNE RACING、白石です」
相手の名を聞いた瞬間、白石の背筋が伸びた。
日の出環境コーポレーション。
以前から白石が提案を続けていた企業だった。
一般への知名度は決して高くない。
自然環境調査や労働者環境をはじめ、様々な環境関連サービスを扱い、業績規模は1,000億円を超える。
白石がこの会社を知ったきっかけは、少し変わっていた。
宗村が休憩中に読んでいたゴルフ雑誌。
何気なく置かれていたその雑誌の裏表紙に、日の出環境の広告があった。
それを白石が覚えていた。
調べてみれば、派手ではないが事業基盤はしっかりしている。
何より――。
『メインスポンサーは、金額だけで選ばないで』
以前、桐生から言われた言葉を白石は覚えている。
『きちんと支払ってくれること。できれば1年で終わらず、何年も付き合える可能性があること。そっちを優先して』
だから白石は日の出環境を選んだ。
1度の大金より、長く一緒に歩ける企業。
新規参戦のMUNEには、そちらの方が重要だった。
電話の向こうから告げられたのは、改めて話をしたいという申し出だった。
「もちろんです。ありがとうございます」
電話を切ったあとも、白石はしばらく受話器を見ていた。
「……来た」
まだ契約ではない。
分かっている。
それでも、これまでとは違う感触があった。
*
日の出環境との打ち合わせ。
これまで白石が何度も説明してきたIGPの市場規模や、MUNE RACINGの計画を最初から繰り返す必要はなかった。
相手もすでに理解している。
だからこそ、話は早かった。
「以前お話しいただいた時は、正直なところ抵抗がありました」
広報部長の高瀬由紀子が率直に話した。
白石は頷く。
「モータースポーツへの広告出稿ですか?」
「ええ。弊社の事業とレースが、すぐには結びつきませんでしたから」
当然の反応だった。
日の出環境は、自社のサービスを今後さらに広げるため、新しい広告媒体を探していた。
しかし、広告なら何でもいいわけではない。
特に日の出環境のような事業では、知名度だけでなく信用が重要になる。
そこで白石が提案したのがIGPだった。
世界最高峰の舞台で活動するチームのスポンサーになる。
企業として継続的に支援できるだけの基盤があり、チームからもパートナーとして認められている。
その事実自体を企業イメージにつなげられないか。
白石が提案してきた考えだった。
「経営陣も、そこには興味を持ちました」
「ありがとうございます」
「ただ、やはり最後まで残ったのが――なぜMUNE RACINGなのか、でした」
白石は黙って続きを待った。
新規参戦。
実績なら他のIGPチームの方がある。
当然だった。
高瀬が手元の端末を操作した。
表示された画面を見て、白石は目を瞬かせる。
見覚えがある。
「……これ」
「橘さん、でしたね」
ことねが公開テスト後に書いた記事だった。
『最初の数字、その向こう側。』
そこには17番手と19番手という結果だけではなく、MUNEで働く人たちの姿があった。
「SNSも拝見しました」
高瀬が続ける。
「最初は、広告媒体としてMUNE RACINGを見ていました。どれだけ露出するのか。どれだけ弊社の名前が映るのか。それが判断材料でした」
白石は静かに聞いていた。
「ですが、これを読んで少し考えが変わりました」
画面がスクロールされる。
公開テストを終え、順位表示を見つめる宗村と神谷の後ろ姿。
「会社の名前を載せるということは、その場所に名前を預けることでもあるんですね」
白石は画面から高瀬へ視線を移した。
「それなら、こういう人たちに預けてみてもいいんじゃないか。そう思いました」
白石の胸の奥で、何かがほどけた。
ことねが契約を取ったわけではない。
白石がこれまで説明してきたことも、提案してきたことも、無駄ではなかった。
でも最後に相手を動かしたのは、数字では伝えられなかったMUNEの姿だった。
「白石さん」
「はい」
「経営陣の承認が下りました」
一瞬、意味を飲み込むのが遅れた。
「……承認、ですか?」
「正式に、御社とのスポンサー契約を進めたいと思います」
白石は反射的に頭を下げかけた。
だが、まだ確認しなければならない。
仕事だ。
「ありがとうございます。契約条件について確認させてください」
提示された内容を1つずつ確認する。
そして、スポンサー金額の欄で白石の目が止まった。
もう1度見る。
間違いではない。
「こちらの金額で承認されているんですか?」
「はい」
白石は用意してきたMR-01の広告配置案を開いた。
この規模なら――。
「サイドポンツーンとリアウイングをご提案できます」
高瀬が少し驚いた。
「そこまで大きく?」
「はい。メインスポンサーとして」
今度は、白石がはっきりと言った。
日の出環境のコーポレートカラーは青。
蒼を基調とするMUNEのマシンとも相性がいい。
白石はMR-01の図面上にロゴの配置案を表示した。
高瀬がしばらくそれを眺める。
「いいですね」
その一言で、白石はようやく笑った。
*
市原へ戻った白石は、そのまま桐生を探した。
「美咲さん」
「どうしたの?」
桐生は手元の資料から顔を上げた。
白石は少しだけ間を置いた。
「日の出環境とのメインスポンサー契約を進められます」
桐生の手が止まった。
「経営陣の承認が下りたの?」
「はい」
「契約期間は?」
白石が苦笑する。
「最初にそれですか?」
「当たり前でしょう。支払条件は?」
「そこも問題ありません。向こうも単年の広告効果だけを見るつもりではないそうです」
桐生は白石から資料を受け取り、目を通していく。
金額。
支払い条件。
広告位置。
契約内容。
白石は黙って待った。
やがて桐生が資料を閉じた。
「……うん」
「どうです?」
「いいと思う」
それから、表情を少しだけ緩めた。
「よくやったね、玲奈」
白石は一瞬黙った。
「……それ、結構効きますね」
「何が?」
「なんでもないです」
白石は笑った。
必要な確認と契約手続きを終えたあと、完成したスポンサー配置案が宗村の前へ置かれた。
宗村は椅子にもたれながら声を上げた。
「おお」
MR-01のサイドポンツーン。
そしてリアウイング。
そこへ日の出環境コーポレーションのロゴが入っている。
「一気にレーシングカーっぽくなったね」
白石が眉を上げた。
「今まで何だったんですか」
「いや、JURASだけだったからさ」
宗村が配置図を見る。
「でも、いいね。青だから車にも合う」
「そこも先方には気に入っていただけました」
「玲奈ちゃん、やったねえ」
「ありがとうございます」
そこへ、ことねが顔を出した。
「何見てるんですか?」
白石が手招きする。
ことねが隣へ来て、画面を見る。
「わっ」
すぐに気づいた。
「スポンサーですか?」
「メインスポンサー」
「えっ!」
ことねが白石を見る。
「すごい!」
「ことねちゃんにも、ちょっとお礼言わなきゃね」
「私?」
白石は日の出環境との打ち合わせで聞いた話を簡単に伝えた。
ことねの表情が変わる。
「私の記事が……?」
「最後のひと押しになったって」
ことねは喜ぶより先に戸惑っていた。
「でも、私……記事を書いただけですよ」
「それでいいんだよ」
白石は笑った。
「私は企業にMUNEの価値を伝える。ことねちゃんは、いろんな人にMUNEを見せる。前に言ったでしょ?」
ことねは小さく頷いた。
「今回は、それがつながったってこと」
宗村が2人を見ながら笑う。
「いいチームになってきたじゃん」
白石はすぐに宗村を見る。
「まだです」
「え?」
「これで終わりじゃありませんから」
自分の机へ戻る。
スポンサー候補をまとめたリストを開いた。
1つの欄を書き換える。
日の出環境コーポレーション――契約。
その文字を少しだけ眺めてから、白石は次の候補企業へ視線を移した。
ほかにも、これまで声を掛け続けてきた企業がある。
まだMR-01には空いている場所があった。
「白石さん?」
ことねが覗き込む。
「どうしたんですか?」
白石は次の企業の資料を開いた。
「まだまだってこと」
「まだ?」
「うん」
白石はMR-01のスポンサー配置図を見た。
日の出環境の青いロゴが加わった。
でも、これが完成形ではない。
「せっかく世界を走るんだから――」
白石は電話を手に取った。
「空いてるところ、全部埋めたいじゃん」
MUNE RACINGに、初めてメインスポンサーがついた。
けれど白石玲奈の仕事は、まだ始まったばかりだった。




