Chapter 38 最初のアタック
公開テストの走行も終盤へ入っていた。
MUNE RACINGのガレージでは、これまでとは少し違う空気が流れている。
神谷がモニターを見ながら言った。
「最後に1回ずつやるか」
宗村が振り返る。
「タイム?」
「ああ。今の状態でどこまで出るか見ておきたい」
これまでMUNEは、1周の速さを追ってこなかった。
セットアップを変え、反応を見る。
他車と比較し、MR-01の弱点を探す。
壊さず、確実にデータを持ち帰る。
だが公開テストを終える前に、1度だけ現在地を数字にしておく意味はある。
ラスタスが藤原を見る。
「蒼真、1周だけだ」
「分かりました」
結城も信治のところへ向かう。
「信治も1周。無理に藤原さんを狙わなくていいから」
「それ、言われると狙いたくなるんだけど」
「だから言ってる」
信治が笑った。
「了解」
*
先にコースへ出たのは藤原だった。
タイヤを整えながら間隔を作る。
ラスタスが無線を入れた。
〈蒼真、前は空いてる〉
〈了解〉
最終コーナーを立ち上がる。
HELIOS V10の太い響きが回転の上昇とともに澄み、甲高い音へ変わった。短く鋭い変速音を挟みながら、MR-01がコントロールラインを通過する。
1周だけ。
藤原は最初のブレーキングから迷わなかった。
ここまでの走行でMR-01が何を好み、何を嫌うのかは分かっている。
限界を越えて振り回すのではない。
使える性能を1周の中へ並べていく。
高速区間。
MR-01は悪くない。
だが速度を落としたコーナーからの立ち上がりでは、Horizonと比較して見つけた弱点が顔を出す。
アクセルを開けたい。
しかし、まだ待たなければならない。
藤原は無理をしなかった。
最後のコーナーを抜ける。
コントロールライン。
タイムが表示された。
ガレージにいた宗村が画面を見る。
「……出たね」
トップとの差。
1.9秒。
順位は17番手。
22台中17番手。
もちろん、各チームの燃料搭載量も走行目的も分からない。
純粋な予選順位ではない。
それでも、初めてMUNEが世界と同じ数字の上に並んだ。
藤原が戻ってくる。
「どう?」
宗村が聞くと、藤原はヘルメットを脱ぎながら答えた。
「まだ縮められます」
「今日?」
「車を良くすれば」
神谷が小さく笑った。
「そっちか」
「今の車で無理して0.1秒拾うより、その方が早いでしょう」
神谷は何も言わなかった。
ただ、満足そうにモニターへ戻った。
*
次は信治だった。
22号車がコースへ出る。
結城がタイミングを見ている。
〈信治、前との間隔は十分。焦らなくていい〉
〈了解〉
信治はタイヤを整える。
心臓が少し速い。
レースではない。
予選でもない。
それでもタイムを出せと言われれば、ドライバーは速く走りたくなる。
最終コーナーへ入る。
〈行っていいよ〉
〈行く〉
アクセルを踏み込んだ。
HELIOS V10が低い唸りを押し出し、回転の上昇に合わせて鋭い高音へ駆け上がる。
1コーナー。
信治らしく、藤原よりわずかに奥までブレーキを残す。
MR-01が向きを変える。
「速い」
結城が呟いた。
セクタータイムが出る。
藤原より速い。
宗村が反応する。
「お?」
結城は画面から目を離さない。
次の区間。
信治は攻めた。
だが低速コーナーの出口で、アクセルを開けるまでほんの少し待たされた。
そこでタイムを失う。
〈信治、最後まとめて〉
〈分かってる〉
最終区間。
MR-01をラインへ乗せる。
コントロールラインを通過した。
表示されたタイム。
トップから2.2秒。
19番手。
藤原との差は0.3秒。
信治は無線を入れなかった。
結城から声を掛ける。
〈信治〉
少し間がある。
〈悔しい〉
結城が笑う。
〈戻ってから聞くよ〉
〈了解〉
*
2台の走行が終わった。
17番手と19番手。
トップとの差は1.9秒と2.2秒。
数字だけなら、喜べるものではない。
しかし新規参戦のMUNEが、最初の公開テストで既存チームの数台を上回った。
そしてトップとの差も見えた。
神谷は順位より、別のデータを見ていた。
「ペクト」
「はい」
「エンジン側は?」
ペクトは走行開始時から蓄積したデータを確認する。
その隣では忍も画面を見ていた。
「思ったより落ちてません」
宗村が近づく。
「何が?」
「出力です。もちろん走行を重ねれば状態は変わります。でも、この走行量に対して性能低下が小さい」
ペクトが忍を見る。
忍は画面から目を離さずに答えた。
「JY-03、ちゃんと仕事してます」
神谷が聞く。
「オイルの効果だと言い切れるか?」
「全部がオイルのおかげとは言いません。でも、交換前のデータと比べても傾向はいいです」
神谷は頷いた。
それで十分だった。
根拠のない断言は必要ない。
だが、長い距離を走ったあとでもHELIOS V10の性能低下が小さい。
レースを最後まで走ることを考えれば、1周の速さとは違う武器になる。
宗村が忍を見る。
「藤村さん」
「はい?」
「ありがとう」
忍が少し困ったような顔をした。
「まだ1回の公開テストですよ」
「じゃあ、シーズン終わったらもう1回言うよ」
「そのとき結果が悪かったら?」
「一緒に反省会」
忍が笑った。
「それならいいです」
*
ガレージ中央に、今日までのデータが集められた。
藤原が信治のタイムを見る。
信治はまだ少し悔しそうだった。
「最初のセクター、俺より速かったな」
信治が顔を上げる。
「でも最後は負けました」
「1周まとめるのも速さだから」
「分かってます」
「なら次だな」
信治は少し黙ったあと、頷いた。
「はい」
結城が横から信治を見る。
「戻ったらデータ見る?」
「見る。どこで0.3秒落としたか全部知りたい」
「たぶん長くなるよ」
「付き合ってよ、遼」
「仕事だからね」
「冷たいな」
2人のやり取りを見ていた宗村が笑う。
「へぇ~、そこまでの仲になれたか」
信治と結城が同時に振り返った。
「何ですか、それ」
「いや別に」
宗村はニヤニヤしながら離れていった。
*
公開テストの走行が終わる。
MR-01が2台並んでガレージに収まった。
17番手。
19番手。
トップから1.9秒。
2.2秒。
だが神谷は順位表を見ながら言った。
「勘違いするなよ。参考値だ」
宗村が隣に立つ。
「分かってる」
「燃料も違う。タイヤの使い方も違う。向こうが本気でタイムを出したかも分からん」
「うん」
宗村は画面を見る。
世界一を目指す。
そう言って始めた。
その世界一までの距離が、初めて数字になった。
正確な距離ではない。
明日には変わるかもしれない。
それでも――。
「追いかける数字ができたね」
神谷は少しだけ笑った。
「まずは2秒だ」
宗村も笑う。
「じゃあ、そこから始めよう」
ガレージの外では、ことねが最後までカメラを構えていた。
2台のMR-01。
疲れたスタッフ。
モニターを囲むエンジニア。
話し続けるドライバー。
そして、順位表を見上げる宗村と神谷。
シャッターが切られる。
公開テストは終わった。
だが、その数日間を誰かへ伝える仕事は――。
これから始まる。




