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IGNITION  作者: ムネディ


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39/71

Chapter 38 最初のアタック

公開テストの走行も終盤へ入っていた。

 

MUNE RACINGのガレージでは、これまでとは少し違う空気が流れている。

 

神谷がモニターを見ながら言った。

 

「最後に1回ずつやるか」

 

宗村が振り返る。

 

「タイム?」

 

「ああ。今の状態でどこまで出るか見ておきたい」

 

これまでMUNEは、1周の速さを追ってこなかった。

 

セットアップを変え、反応を見る。

 

他車と比較し、MR-01の弱点を探す。

 

壊さず、確実にデータを持ち帰る。

 

だが公開テストを終える前に、1度だけ現在地を数字にしておく意味はある。

 

ラスタスが藤原を見る。

 

「蒼真、1周だけだ」

 

「分かりました」

 

結城も信治のところへ向かう。

 

「信治も1周。無理に藤原さんを狙わなくていいから」

 

「それ、言われると狙いたくなるんだけど」

 

「だから言ってる」

 

信治が笑った。

 

「了解」

 

*

 

先にコースへ出たのは藤原だった。

 

タイヤを整えながら間隔を作る。

 

ラスタスが無線を入れた。

 

〈蒼真、前は空いてる〉

 

〈了解〉

 

最終コーナーを立ち上がる。

 

HELIOS V10の太い響きが回転の上昇とともに澄み、甲高い音へ変わった。短く鋭い変速音を挟みながら、MR-01がコントロールラインを通過する。

 

1周だけ。

 

藤原は最初のブレーキングから迷わなかった。

 

ここまでの走行でMR-01が何を好み、何を嫌うのかは分かっている。

 

限界を越えて振り回すのではない。

 

使える性能を1周の中へ並べていく。

 

高速区間。

 

MR-01は悪くない。

 

だが速度を落としたコーナーからの立ち上がりでは、Horizonと比較して見つけた弱点が顔を出す。

 

アクセルを開けたい。

 

しかし、まだ待たなければならない。

 

藤原は無理をしなかった。

 

最後のコーナーを抜ける。

 

コントロールライン。

 

タイムが表示された。

 

ガレージにいた宗村が画面を見る。

 

「……出たね」

 

トップとの差。

 

1.9秒。

 

順位は17番手。

 

22台中17番手。

 

もちろん、各チームの燃料搭載量も走行目的も分からない。

 

純粋な予選順位ではない。

 

それでも、初めてMUNEが世界と同じ数字の上に並んだ。

 

藤原が戻ってくる。

 

「どう?」

 

宗村が聞くと、藤原はヘルメットを脱ぎながら答えた。

 

「まだ縮められます」

 

「今日?」

 

「車を良くすれば」

 

神谷が小さく笑った。

 

「そっちか」

 

「今の車で無理して0.1秒拾うより、その方が早いでしょう」

 

神谷は何も言わなかった。

 

ただ、満足そうにモニターへ戻った。

 

*

 

次は信治だった。

 

22号車がコースへ出る。

 

結城がタイミングを見ている。

 

〈信治、前との間隔は十分。焦らなくていい〉

 

〈了解〉

 

信治はタイヤを整える。

 

心臓が少し速い。

 

レースではない。

 

予選でもない。

 

それでもタイムを出せと言われれば、ドライバーは速く走りたくなる。

 

最終コーナーへ入る。

 

〈行っていいよ〉

 

〈行く〉

 

アクセルを踏み込んだ。

 

HELIOS V10が低い唸りを押し出し、回転の上昇に合わせて鋭い高音へ駆け上がる。

 

1コーナー。

 

信治らしく、藤原よりわずかに奥までブレーキを残す。

 

MR-01が向きを変える。

 

「速い」

 

結城が呟いた。

 

セクタータイムが出る。

 

藤原より速い。

 

宗村が反応する。

 

「お?」

 

結城は画面から目を離さない。

 

次の区間。

 

信治は攻めた。

 

だが低速コーナーの出口で、アクセルを開けるまでほんの少し待たされた。

 

そこでタイムを失う。

 

〈信治、最後まとめて〉

 

〈分かってる〉

 

最終区間。

 

MR-01をラインへ乗せる。

 

コントロールラインを通過した。

 

表示されたタイム。

 

トップから2.2秒。

 

19番手。

 

藤原との差は0.3秒。

 

信治は無線を入れなかった。

 

結城から声を掛ける。

 

〈信治〉

 

少し間がある。

 

〈悔しい〉

 

結城が笑う。

 

〈戻ってから聞くよ〉

 

〈了解〉

 

*

 

2台の走行が終わった。

 

17番手と19番手。

 

トップとの差は1.9秒と2.2秒。

 

数字だけなら、喜べるものではない。

 

しかし新規参戦のMUNEが、最初の公開テストで既存チームの数台を上回った。

 

そしてトップとの差も見えた。

 

神谷は順位より、別のデータを見ていた。

 

「ペクト」

 

「はい」

 

「エンジン側は?」

 

ペクトは走行開始時から蓄積したデータを確認する。

 

その隣では忍も画面を見ていた。

 

「思ったより落ちてません」

 

宗村が近づく。

 

「何が?」

 

「出力です。もちろん走行を重ねれば状態は変わります。でも、この走行量に対して性能低下が小さい」

 

ペクトが忍を見る。

 

忍は画面から目を離さずに答えた。

 

「JY-03、ちゃんと仕事してます」

 

神谷が聞く。

 

「オイルの効果だと言い切れるか?」

 

「全部がオイルのおかげとは言いません。でも、交換前のデータと比べても傾向はいいです」

 

神谷は頷いた。

 

それで十分だった。

 

根拠のない断言は必要ない。

 

だが、長い距離を走ったあとでもHELIOS V10の性能低下が小さい。

 

レースを最後まで走ることを考えれば、1周の速さとは違う武器になる。

 

宗村が忍を見る。

 

「藤村さん」

 

「はい?」

 

「ありがとう」

 

忍が少し困ったような顔をした。

 

「まだ1回の公開テストですよ」

 

「じゃあ、シーズン終わったらもう1回言うよ」

 

「そのとき結果が悪かったら?」

 

「一緒に反省会」

 

忍が笑った。

 

「それならいいです」

 

*

 

ガレージ中央に、今日までのデータが集められた。

 

藤原が信治のタイムを見る。

 

信治はまだ少し悔しそうだった。

 

「最初のセクター、俺より速かったな」

 

信治が顔を上げる。

 

「でも最後は負けました」

 

「1周まとめるのも速さだから」

 

「分かってます」

 

「なら次だな」

 

信治は少し黙ったあと、頷いた。

 

「はい」

 

結城が横から信治を見る。

 

「戻ったらデータ見る?」

 

「見る。どこで0.3秒落としたか全部知りたい」

 

「たぶん長くなるよ」

 

「付き合ってよ、遼」

 

「仕事だからね」

 

「冷たいな」

 

2人のやり取りを見ていた宗村が笑う。

 

「へぇ~、そこまでの仲になれたか」

 

信治と結城が同時に振り返った。

 

「何ですか、それ」

 

「いや別に」

 

宗村はニヤニヤしながら離れていった。

 

*

 

公開テストの走行が終わる。

 

MR-01が2台並んでガレージに収まった。

 

17番手。

 

19番手。

 

トップから1.9秒。

 

2.2秒。

 

だが神谷は順位表を見ながら言った。

 

「勘違いするなよ。参考値だ」

 

宗村が隣に立つ。

 

「分かってる」

 

「燃料も違う。タイヤの使い方も違う。向こうが本気でタイムを出したかも分からん」

 

「うん」

 

宗村は画面を見る。

 

世界一を目指す。

 

そう言って始めた。

 

その世界一までの距離が、初めて数字になった。

 

正確な距離ではない。

 

明日には変わるかもしれない。

 

それでも――。

 

「追いかける数字ができたね」

 

神谷は少しだけ笑った。

 

「まずは2秒だ」

 

宗村も笑う。

 

「じゃあ、そこから始めよう」

 

ガレージの外では、ことねが最後までカメラを構えていた。

 

2台のMR-01。

 

疲れたスタッフ。

 

モニターを囲むエンジニア。

 

話し続けるドライバー。

 

そして、順位表を見上げる宗村と神谷。

 

シャッターが切られる。

 

公開テストは終わった。

 

だが、その数日間を誰かへ伝える仕事は――。

 

これから始まる。

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