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IGNITION  作者: ムネディ


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Chapter 31 残っていた提案書

「私、LMP2の頃に何度も営業に行ってますよ」

 

白石の言葉に、宗村は目を丸くした。

 

「ジュラスに?」

 

「はい」

 

「スポンサーで?」

 

「もちろんです」

 

白石は自分のデスクへ向かうと、椅子に腰を下ろした。

 

「昔から付き合いのあるチューニングメーカーさんに紹介してもらったんです。普通に連絡しても、まず会ってもらえない会社なので」

 

「そんなに?」

 

「一見さんお断りに近いですね。最初に紹介をお願いしたときも、ちょっと嫌な顔をされました」

 

宗村が笑う。

 

「何したの?」

 

「宗村さんに教えてもらった方法を使っただけですよ」

 

「俺?」

 

白石が呆れたように見る。

 

「忘れたんですか?」

 

宗村はしばらく考えたが、心当たりが多すぎた。

 

「どれだろ」

 

「相手が断りにくいところからお願いする、です」

 

「ああ」

 

「藤村社長が昔から信用しているところなら、紹介された相手を無下にはしないだろうと思って」

 

宗村の口元が緩んだ。

 

「悪いこと覚えたねぇ」

 

「誰に教わったんでしょうね」

 

白石も笑った。

 

だが、ジュラスへ行ってからは簡単ではなかった。

 

最初に藤村虎生と会えたとき、歓迎されているとは到底思えなかったという。

 

「それでオイルを売ってくださいって?」

 

「言ってません」

 

「え?」

 

「一言も」

 

宗村が白石を見る。

 

「何しに行ったの?」

 

「スポンサーになりませんかって」

 

「そっち?」

 

「そっちです」

 

白石は平然としていた。

 

ジュラスが簡単に製品を外へ出さない会社であることは、紹介してくれたチューニングメーカーから聞いていた。

 

ならば、初対面の自分がオイルの話をしても意味がない。

 

そう判断した。

 

「LMP2って面白いですよ。ル・マンってこんなレースですよ。MUNEはそこでこういうことをやってます。よかったら一緒にやりませんかって」

 

「それで?」

 

「断られました」

 

「だよね」

 

「即答でした」

 

2人で笑った。

 

それでも白石は、そこで終わらなかった。

 

2度目。

 

3度目。

 

ジュラスを訪れるたび、藤村は会ってくれた。

 

スポンサーになるとは一度も言わない。

 

だが、レースの話は聞いた。

 

特に、情報の少ないLMP2の話になると質問が増えた。

 

白石も無理に契約を迫らなかった。

 

ル・マンで何があったのか。

 

MUNEがどんなレースをしたのか。

 

どこで苦労したのか。

 

そんな話をして、最後に提案書を置いて帰る。

 

「藤村社長、レース好きなんですよ」

 

「なるほどね」

 

「だから営業というより、途中からレースの話をしに行ってた感じでした」

 

「それでスポンサーは?」

 

「最後までダメでした」

 

白石は笑った。

 

「でも、嫌われてもいないと思います」

 

宗村は腕を組んだ。

 

「じゃあ、行ってみようか」

 

「行きます?」

 

「ペクトがHELIOSと相性いいって言うなら、話くらい聞きたい」

 

白石の表情が仕事のものに変わった。

 

「分かりました。連絡してみます」

 

*

 

藤村虎生は、宗村をしばらく見ていた。

 

白石が隣にいる。

 

その顔を見た瞬間、藤村は小さく笑っていた。

 

「久しぶりだな」

 

「ご無沙汰しております」

 

「今度は世界最高峰か」

 

「はい」

 

「相変わらずだな」

 

何が相変わらずなのか。

 

白石には分かっているらしく、苦笑していた。

 

宗村が頭を下げる。

 

「今日はお時間いただいて、ありがとうございます」

 

「あんたが宗村さんか」

 

「はい」

 

「話は聞いてるよ」

 

藤村は白石を見る。

 

「この人からな」

 

「変なこと言ってませんよね?」

 

「どうだろうな」

 

「藤村社長」

 

少しだけ空気が和らいだ。

 

宗村は本題に入った。

 

「ジュラスさんのオイルを、うちのMR-01で使わせていただけないかと思っています」

 

藤村の表情が変わる。

 

「誰から聞いた?」

 

「HELIOSのペクト・ルーザです」

 

一瞬、藤村の目が細くなった。

 

「ペクトか」

 

「ご存じなんですね」

 

「何度も断ったからな」

 

宗村は思わず白石を見た。

 

白石も初耳らしく、わずかに眉を上げている。

 

「でも、最終的には渡したんですよね?」

 

「研究用としてな。直接取りに来るなら渡すと言った」

 

藤村は腕を組んだ。

 

「あいつは外国人で、しかも文系出身だ。それでも周りの連中に追いつきたいって、何度も頭を下げてきた。そこまでやるなら試してみろと思った」

 

「それがJY-01?」

 

「ああ」

 

宗村は少し身を乗り出した。

 

「ペクトは、HELIOSとすごく相性がいいと言っています」

 

「だろうな」

 

迷いのない返事だった。

 

「ただし」

 

藤村は宗村を見る。

 

「うちは、IGPに名前を売りたいわけじゃない」

 

「はい」

 

「大きく商売を広げたいとも思ってない」

 

「それも聞いています」

 

「だったら、なぜうちなんだ?」

 

宗村は少し考えた。

 

飾った答えは必要ないと思った。

 

「少しでも、今いるIGPチームと戦えるようにしたいからです」

 

藤村は黙っている。

 

「MUNEは新規参戦です。経験も設備も予算も、昔からやっているチームには敵わないものがたくさんあります。でも、だからって最初から諦めるつもりはありません」

 

宗村は続けた。

 

「使える可能性があるものを知ったなら、試したい。ジュラスさんのオイルがHELIOSと本当に相性がいいなら、それを確かめたいんです」

 

「速くなる保証はないぞ」

 

「もちろん」

 

「壊れない保証だってない」

 

「それも分かっています」

 

「じゃあ何を期待してる?」

 

宗村は笑った。

 

「今より少しでもいい状態で、公開テストへ持っていけたら十分です」

 

藤村はしばらく宗村を見ていた。

 

やがて席を立つ。

 

「ちょっと待ってろ」

 

部屋を出ていった。

 

宗村が白石を見る。

 

「怒らせた?」

 

「たぶん違うと思います」

 

「たぶん?」

 

「私のときより話してます」

 

「それ比較対象として大丈夫?」

 

白石が笑いを堪える。

 

しばらくして、藤村が戻ってきた。

 

手にはファイルがあった。

 

机の上に置く。

 

白石の表情が変わった。

 

「……これ」

 

「覚えてるか?」

 

中に入っていたのは、白石がLMP2時代に持ち込んだ提案書だった。

 

その横には見積書もある。

 

「残してたんですか?」

 

「何度も持ってくるからな」

 

藤村は椅子へ座った。

 

「捨てるほど雑には読んでない」

 

白石は何も言わなかった。

 

藤村は見積書を宗村の前へ置く。

 

「オイルの代金は払ってもらう」

 

「もちろんです」

 

「安くもしない」

 

「はい」

 

「今使ってるメーカーと同じだけ払え。それで供給する」

 

宗村は頷いた。

 

特別扱いはない。

 

それでいい。

 

「ありがとうございます」

 

「まだ終わってない」

 

藤村が白石の提案書を開いた。

 

「こっちだ」

 

指を置いた先には、スポンサー契約の項目があった。

 

白石が藤村を見る。

 

「まさか……」

 

「今でもこの金額か?」

 

白石は見積書を確認した。

 

「基本条件は変わっていません」

 

「なら、この金額で出す」

 

今度は宗村が意味を理解するまで少し時間がかかった。

 

「……スポンサー料を?」

 

「ああ」

 

藤村は当たり前のように答えた。

 

「その代わり、場所はこっちで決める」

 

「どこです?」

 

「左右のサイドミラー」

 

白石が思わず笑った。

 

「そこですか?」

 

「目立つだろ」

 

「目立ちますね」

 

「ならいい」

 

宗村も笑った。

 

オイルを値引きするわけではない。

 

無償で提供するわけでもない。

 

MUNEは正規の代金を支払う。

 

ジュラスも、正規のスポンサー料を支払う。

 

結果としてMUNEの負担は軽くなる。

 

ずいぶん不器用な支援だった。

 

「藤村さん」

 

宗村が言った。

 

「ありがとうございます」

 

「勘違いするなよ」

 

藤村は少しだけ視線を逸らした。

 

「俺はレースが好きなだけだ」

 

隣で白石が笑っている。

 

「はいはい」

 

「何だ、その返事は」

 

「何でもありません」

 

「昔から生意気だな」

 

「何度も営業に来る人間ですから」

 

藤村は呆れたように息を吐いた。

 

それから、宗村を見る。

 

「世界最高峰なんだろ?」

 

「はい」

 

「だったら、ちゃんと走れ」

 

宗村は笑った。

 

「そのつもりです」

 

LMP2時代。

 

契約にはならなかった白石の営業。

 

それでも、提案書は捨てられていなかった。

 

信頼は、数字より先に積み上げるもの。

 

白石が積み重ねてきたものが、何年も経ってからMUNEへ戻ってきた。

 

ジュラス。

 

誰もが知るメーカーではない。

 

IGPでは、その名を知る者すらほとんどいない。

 

だがMUNE RACINGは、また一つ世界へ挑むための仲間を得た。

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