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IGNITION  作者: ムネディ


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30/70

Chapter 29 二人の言葉

千葉ウッドレイクサーキット。MR-01のシェイクダウンは続いていた。

 

MR-01が再びコースへ出ていった。

 

最初の走行とは違う。

 

信治にも、何を確かめればいいのかが少しずつ見えてきていた。

 

ブレーキを踏む位置を変える。

 

踏力を変える。

 

そこからステアリングを入れたとき、フロントがどう反応するのか。

 

一度に試すことは一つ。

 

〈今のコーナー、さっきより奥まで行った〉

 

〈見えてる。フロントの入りは?〉

 

〈悪くない。でも、ブレーキを残したまま入ると少しリアが軽い〉

 

結城はモニターへ視線を落とした。

 

ブレーキ圧。

 

車速。

 

ステアリング角。

 

信治の言葉とデータを重ねていく。

 

〈了解。そのままもう1周。同じことを確認して〉

 

〈分かった〉

 

MR-01がストレートを駆け抜ける。

 

HELIOS V10の澄んだ高音が、シフトアップの一瞬だけ途切れ、次の段で厚みを伴って立ち上がる。その響きがピットまで届いた。

 

結城は次のデータを待った。

 

信治が戻ってくる。

 

同じコーナー。

 

今度もブレーキを残して進入する。

 

〈やっぱり出る〉

 

〈こっちでも確認できた。次は普通に走って〉

 

〈了解〉

 

短いやり取りだった。

 

だが、最初の走行よりずっと速く意思が通じる。

 

結城が必要としている情報を信治が理解し始め、信治が何を言おうとしているのかを結城も掴み始めていた。

 

その様子を少し離れた場所からラスタスが見ていた。

 

「いいですね」

 

神谷がモニターから目を離さないまま答える。

 

「何がだ?」

 

「2人ですよ。まだ荒いですけど」

 

「そりゃそうだ。初めて組んだんだから」

 

「だからいいんですよ」

 

ラスタスは笑った。

 

「最初から出来上がっている必要はありません」

 

神谷は何も答えなかった。

 

だが否定もしなかった。

 

やがて信治がピットへ戻ってきた。

 

エンジンが止まり、メカニックたちがMR-01を囲む。

 

信治はヘルメットを脱ぎながら結城を探した。

 

何度も無線を交わしているうちに、声をかけるまでの迷いも消えていた。

 

「遼」

 

「ん?」

 

結城が振り返る。

 

「最後の2周、見た?」

 

「見た。最初の方がリアの動きが大きい。2回目は信治がブレーキ抜くの早かっただろ」

 

「ああ。やっぱりそこか」

 

「たぶん。ただ、車を触る前に藤原さんのデータとも比べたい」

 

「俺もそう思う」

 

2人はそのままモニターへ向かった。

 

その後ろで、宗村が立ち止まっていた。

 

「……へぇ~」

 

隣にいた桐生が嫌な予感でもしたように宗村を見る。

 

「何ですか、その顔」

 

宗村は信治と結城を指した。

 

「いやぁ、そこまでの仲になれたか」

 

口元が完全に笑っている。

 

桐生は2人を見た。

 

「何がです?」

 

「今、聞かなかった? 遼、信治って」

 

「それが?」

 

「この前まで結城さん、中村さんだったじゃない」

 

桐生は少し考えた。

 

確かにそうだった。

 

だが、いつから変わったのかと聞かれると分からない。

 

「仕事がしやすいならいいんじゃないですか?」

 

「そうだけどさぁ。若い2人が一緒に成長してる感じがしていいじゃない」

 

「そういう意味なら同意しますけど、そのニヤニヤした顔はやめてください」

 

「なんで?」

 

「別の意味に見えるからです」

 

「え?」

 

宗村は一瞬考え、慌てて表情を戻した。

 

「いや、違う違う。そういう意味じゃないから」

 

「分かってます」

 

今度は桐生が少し笑っていた。

 

*

 

藤原のデータと信治のデータが並べられた。

 

神谷、ラスタス、結城、藤原、信治。

 

榊原も解析画面を確認している。

 

同じMR-01を走らせても、2人の使い方は違っていた。

 

藤原は車の動きを崩さず、操作をつなげている。

 

信治はブレーキングでより積極的にフロントへ荷重をかけ、その状態から車を曲げようとしていた。

 

神谷が腕を組む。

 

「藤原」

 

「はい」

 

「中村が言ってるリアの軽さ、感じたか?」

 

「あります。ただ、俺の乗り方なら今の段階では気になるほどじゃないです」

 

「中村は?」

 

「俺はもう少し安定してほしいです。でも、今すぐ変えてほしいって意味じゃないです」

 

結城が信治を見る。

 

「もう少し乗る?」

 

「うん。今変えると、俺が合わせられてないだけなのか分からなくなる」

 

藤原が小さく頷いた。

 

「それでいいと思う」

 

信治が藤原を見る。

 

「藤原さんなら変えません?」

 

「今日は変えない」

 

「理由は?」

 

「まだ車より自分たちの方が変わってるから」

 

信治は一瞬黙った。

 

藤原はモニターを見ながら続ける。

 

「1周ごとに運転も変わってるし、エンジニアとのやり取りも変わってる。その状態で車まで変えたら、何が良くなったのか分からなくなるだろ」

 

「ああ……」

 

信治は納得したように画面へ目を戻した。

 

神谷が言った。

 

「今日はそのまま行く」

 

誰も異論を挟まなかった。

 

速くしたい。

 

もっと自分に合わせたい。

 

ドライバーなら当然そう思う。

 

だが、今のMUNEに必要なのは、1度の走行で速い車を作ることではない。

 

MR-01という車を理解することだった。

 

午後。

 

信治はさらに走行を重ねた。

 

〈遼、さっきのところ、今度はリア出なかった〉

 

〈確認した。ブレーキの抜き方が違う〉

 

〈やっぱり?〉

 

〈うん。もう1回同じので行って〉

 

〈了解〉

 

いつから名前で呼んでいたのか、2人とも意識していなかった。

 

呼び方を決めた覚えもない。

 

何度も無線を交わし、戻ればデータを見て、また走る。

 

それを繰り返しているうちに、名字で呼ぶ方が不自然になっていた。

 

次の周回。

 

同じ場所。

 

信治はブレーキを残しすぎないよう意識しながらMR-01を曲げた。

 

リアは落ち着いている。

 

〈今のは?〉

 

少し間があった。

 

〈いい。さっきよりずっときれい〉

 

〈だよな〉

 

〈でも調子に乗るなよ〉

 

信治が笑った。

 

〈分かってるって〉

 

ピットで結城も笑っていた。

 

その様子を宗村が遠くから見ている。

 

桐生が横から釘を刺した。

 

「宗村さん」

 

「何も言ってないよ?」

 

「顔です」

 

「顔まで禁止?」

 

「仕事してください」

 

「チームマネージャーって厳しいなぁ」

 

コーナーを立ち上がったHELIOS V10の中音が太さを増し、回転の上昇とともに澄んだ高音へ変わりながら近づいてくる。

 

宗村は再びコースへ目を向けた。

 

マシンだけではない。

 

ドライバーも。

 

エンジニアも。

 

チームも。

 

走るたびに、少しずつ変わっていく。

 

MR-01がストレートを通過した。

 

まだ世界と戦える速さがあるのかは分からない。

 

それを知るのは、もう少し先だ。

 

だが宗村には1つだけ分かったことがあった。

 

この車を育てる人間たちは、確実にチームになり始めていた。

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