Chapter 29 二人の言葉
千葉ウッドレイクサーキット。MR-01のシェイクダウンは続いていた。
MR-01が再びコースへ出ていった。
最初の走行とは違う。
信治にも、何を確かめればいいのかが少しずつ見えてきていた。
ブレーキを踏む位置を変える。
踏力を変える。
そこからステアリングを入れたとき、フロントがどう反応するのか。
一度に試すことは一つ。
〈今のコーナー、さっきより奥まで行った〉
〈見えてる。フロントの入りは?〉
〈悪くない。でも、ブレーキを残したまま入ると少しリアが軽い〉
結城はモニターへ視線を落とした。
ブレーキ圧。
車速。
ステアリング角。
信治の言葉とデータを重ねていく。
〈了解。そのままもう1周。同じことを確認して〉
〈分かった〉
MR-01がストレートを駆け抜ける。
HELIOS V10の澄んだ高音が、シフトアップの一瞬だけ途切れ、次の段で厚みを伴って立ち上がる。その響きがピットまで届いた。
結城は次のデータを待った。
信治が戻ってくる。
同じコーナー。
今度もブレーキを残して進入する。
〈やっぱり出る〉
〈こっちでも確認できた。次は普通に走って〉
〈了解〉
短いやり取りだった。
だが、最初の走行よりずっと速く意思が通じる。
結城が必要としている情報を信治が理解し始め、信治が何を言おうとしているのかを結城も掴み始めていた。
その様子を少し離れた場所からラスタスが見ていた。
「いいですね」
神谷がモニターから目を離さないまま答える。
「何がだ?」
「2人ですよ。まだ荒いですけど」
「そりゃそうだ。初めて組んだんだから」
「だからいいんですよ」
ラスタスは笑った。
「最初から出来上がっている必要はありません」
神谷は何も答えなかった。
だが否定もしなかった。
やがて信治がピットへ戻ってきた。
エンジンが止まり、メカニックたちがMR-01を囲む。
信治はヘルメットを脱ぎながら結城を探した。
何度も無線を交わしているうちに、声をかけるまでの迷いも消えていた。
「遼」
「ん?」
結城が振り返る。
「最後の2周、見た?」
「見た。最初の方がリアの動きが大きい。2回目は信治がブレーキ抜くの早かっただろ」
「ああ。やっぱりそこか」
「たぶん。ただ、車を触る前に藤原さんのデータとも比べたい」
「俺もそう思う」
2人はそのままモニターへ向かった。
その後ろで、宗村が立ち止まっていた。
「……へぇ~」
隣にいた桐生が嫌な予感でもしたように宗村を見る。
「何ですか、その顔」
宗村は信治と結城を指した。
「いやぁ、そこまでの仲になれたか」
口元が完全に笑っている。
桐生は2人を見た。
「何がです?」
「今、聞かなかった? 遼、信治って」
「それが?」
「この前まで結城さん、中村さんだったじゃない」
桐生は少し考えた。
確かにそうだった。
だが、いつから変わったのかと聞かれると分からない。
「仕事がしやすいならいいんじゃないですか?」
「そうだけどさぁ。若い2人が一緒に成長してる感じがしていいじゃない」
「そういう意味なら同意しますけど、そのニヤニヤした顔はやめてください」
「なんで?」
「別の意味に見えるからです」
「え?」
宗村は一瞬考え、慌てて表情を戻した。
「いや、違う違う。そういう意味じゃないから」
「分かってます」
今度は桐生が少し笑っていた。
*
藤原のデータと信治のデータが並べられた。
神谷、ラスタス、結城、藤原、信治。
榊原も解析画面を確認している。
同じMR-01を走らせても、2人の使い方は違っていた。
藤原は車の動きを崩さず、操作をつなげている。
信治はブレーキングでより積極的にフロントへ荷重をかけ、その状態から車を曲げようとしていた。
神谷が腕を組む。
「藤原」
「はい」
「中村が言ってるリアの軽さ、感じたか?」
「あります。ただ、俺の乗り方なら今の段階では気になるほどじゃないです」
「中村は?」
「俺はもう少し安定してほしいです。でも、今すぐ変えてほしいって意味じゃないです」
結城が信治を見る。
「もう少し乗る?」
「うん。今変えると、俺が合わせられてないだけなのか分からなくなる」
藤原が小さく頷いた。
「それでいいと思う」
信治が藤原を見る。
「藤原さんなら変えません?」
「今日は変えない」
「理由は?」
「まだ車より自分たちの方が変わってるから」
信治は一瞬黙った。
藤原はモニターを見ながら続ける。
「1周ごとに運転も変わってるし、エンジニアとのやり取りも変わってる。その状態で車まで変えたら、何が良くなったのか分からなくなるだろ」
「ああ……」
信治は納得したように画面へ目を戻した。
神谷が言った。
「今日はそのまま行く」
誰も異論を挟まなかった。
速くしたい。
もっと自分に合わせたい。
ドライバーなら当然そう思う。
だが、今のMUNEに必要なのは、1度の走行で速い車を作ることではない。
MR-01という車を理解することだった。
午後。
信治はさらに走行を重ねた。
〈遼、さっきのところ、今度はリア出なかった〉
〈確認した。ブレーキの抜き方が違う〉
〈やっぱり?〉
〈うん。もう1回同じので行って〉
〈了解〉
いつから名前で呼んでいたのか、2人とも意識していなかった。
呼び方を決めた覚えもない。
何度も無線を交わし、戻ればデータを見て、また走る。
それを繰り返しているうちに、名字で呼ぶ方が不自然になっていた。
次の周回。
同じ場所。
信治はブレーキを残しすぎないよう意識しながらMR-01を曲げた。
リアは落ち着いている。
〈今のは?〉
少し間があった。
〈いい。さっきよりずっときれい〉
〈だよな〉
〈でも調子に乗るなよ〉
信治が笑った。
〈分かってるって〉
ピットで結城も笑っていた。
その様子を宗村が遠くから見ている。
桐生が横から釘を刺した。
「宗村さん」
「何も言ってないよ?」
「顔です」
「顔まで禁止?」
「仕事してください」
「チームマネージャーって厳しいなぁ」
コーナーを立ち上がったHELIOS V10の中音が太さを増し、回転の上昇とともに澄んだ高音へ変わりながら近づいてくる。
宗村は再びコースへ目を向けた。
マシンだけではない。
ドライバーも。
エンジニアも。
チームも。
走るたびに、少しずつ変わっていく。
MR-01がストレートを通過した。
まだ世界と戦える速さがあるのかは分からない。
それを知るのは、もう少し先だ。
だが宗村には1つだけ分かったことがあった。
この車を育てる人間たちは、確実にチームになり始めていた。




