Chapter 19 残すもの、変えるもの
市原ファクトリーへ戻った翌朝。
設計室の大型モニターには、MR-01の3次元モデルが映し出されていた。
昨日まで走っていたMR-00とは、まるで違う。
MR-00は旧LMP2資産を利用し、自分たちがフォーミュラカーを作るうえで何を知らないのかを確かめるための車だった。
対して、目の前にあるものは最初からIGPを走るために設計されている。
MR-01。
まだ画面の中にしか存在しない、MUNE RACING初のIGP参戦車だった。
榊原直哉がマウスを操作すると、モデルの一部が拡大された。
「まず、ここです」
神谷英治が腕を組む。
「昨日のやつか」
「はい。MR-00で出た姿勢変化をこっちのモデルでも再計算しました。やっぱり、今のままだと少し気になります」
「少し?」
榊原が苦笑した。
「かなりです」
「最初からそう言え」
「神谷さん、機嫌悪くなるじゃないですか」
「もう悪い」
ラスタス・パルナーが隣で笑う。
藤原蒼真も椅子に座ったまま画面を眺めていた。
MR-00のテスト終了から、まだ1日しか経っていない。
だが榊原は昨夜のうちにデータを整理し、MR-01との比較を始めていた。
もちろん、すべてを変えるわけではない。
神谷はテーブルに置かれた資料をめくった。
「で、変更すると何を失う?」
榊原が答える。
「この案なら高速域の安定性は改善できます。ただ、低速側では少し不利になる可能性があります」
「重量は?」
「ほぼ変わりません」
「製作は?」
「形状変更だけなら対応できます。ただし、今決めないと後で面倒です」
神谷はラスタスを見る。
「どう思う?」
「私は変更した方がいいと思います。ただ、MR-00と同じ問題がMR-01でも同じ大きさで出るとは限りません」
「だよな」
神谷は藤原へ視線を移した。
「お前は?」
藤原は少し考えてから答えた。
「MR-00で気になったのは、単純にフロントが足りないことじゃないです。姿勢が変わる途中で感触まで変わることでした。MR-01でそこが抑えられるなら、俺は多少の低速側よりそっちを取ります」
榊原が頷く。
「僕も同じです」
神谷はしばらく画面を見つめた。
「変更」
榊原がチェックを入れる。
1つ目だった。
次の項目へ移る。
今度はサスペンションだった。
MR-00では、セットアップ変更に対する反応そのものは確認できた。ただ、変更量とドライバーが感じる差が必ずしも一定ではなかった。
「ここは?」
神谷が聞く。
榊原は首を横に振る。
「僕は触らない方がいいと思います」
「理由は?」
「MR-00の結果だけなら変えたくなります。でもMR-01は最初から別のジオメトリーです。昨日の結果だけを理由に、今の設計を崩す根拠がありません」
神谷がわずかに笑った。
「よし」
榊原が怪訝そうに見る。
「何です?」
「お前なら全部直したがるかと思ってた」
「僕だって学習しますよ」
ラスタスが口を挟んだ。
「昨日1番学んだのは、榊原さんだったかもしれませんね」
「それ褒めてます?」
「もちろん」
「ラスタスさんに言われると怪しいんですよね」
藤原が小さく笑った。
変更するもの。
残すもの。
追加で検証するもの。
判断を保留するもの。
会議はその4つへ分けながら進んだ。
MR-00で問題が出たからといって、MR-01でも無条件に変更するわけではない。
2台は別の車だ。
MR-00の失敗を恐れて設計を歪めれば、それこそ試作車に本番車が引っ張られる。
神谷が何度も確認したのは、その変更に理由があるかどうかだった。
昼を過ぎた頃、宗村宗一が設計室へ顔を出した。
「進んでる?」
神谷はモニターから目を離さない。
「見りゃ分かるだろ」
「分からないから聞いてるんだけど」
宗村は空いていた椅子を引き寄せ、MR-01を眺めた。
「これ、昨日からどれくらい変わったの?」
榊原が答える。
「見た目ではほとんど分からないと思います」
「じゃあ変わってない?」
「全然違います」
「難しいねぇ」
神谷がため息をつく。
「宗村さんは、完成してから見に来い」
「代表なのに?」
「代表だからだよ」
宗村は笑った。
だが、すぐに少し真面目な顔で画面を見た。
「壊れない?」
神谷がようやく宗村を見る。
「まだ分からん」
「そっか」
「でも、壊れにくくする」
宗村は頷いた。
それ以上は聞かなかった。
速いかどうかではなく、最初にそこを聞く。
神谷には、その理由が分かっていた。
新規参戦のMUNEに、最初から優勝争いができる車など作れない。
それでもレースはできる。
走り切れば、データが残る。
走り切れば、ドライバーが学べる。
走り切れば、次の改良につなげられる。
止まってしまえば、そこで終わる。
「まず壊れない車だ」
神谷が言った。
宗村が笑う。
「それ、前から言ってるね」
「変える理由がないからな」
午後。
最後に残ったのは、MR-01の将来だった。
榊原がモデルを回転させる。
「ここ、今ならもっと詰められます」
神谷が画面を見る。
「開幕仕様だけならな」
「ですよね」
ラスタスも頷いた。
「詰めすぎると、シーズン中に動かせなくなります」
藤原が二人を見る。
「最初からアップデートを考えて空けておく?」
「そういうことだ」
神谷は画面を指した。
「開幕戦で100点の車なんか作れない。俺たちは特にな」
宗村がまだ部屋にいた。
「70点くらい?」
「点数にするな」
「じゃあ80点」
「上げるな」
藤原が笑った。
神谷は呆れながら続ける。
「開幕時点で必要なのは、ちゃんと予選を通れて、レースを走り切れて、セットアップを変えたら素直に反応する車だ。その先はシーズン中に育てる」
ラスタスが頷いた。
「最初から完成させようとすると、後で何もできなくなります」
榊原は画面を見ながら、少し考えた。
「余白を残すんですね」
「手抜きとは違うぞ」
「分かってます」
神谷はMR-01を見つめた。
「速くする場所を残すんだ」
夕方。
長かった確認作業が終わった。
榊原の画面には、変更箇所と保留箇所が整理されている。
昨日持ち帰ったMR-00のデータが、すべてMR-01へ入ったわけではない。
必要なものだけを選んだ。
正しかった設計は残した。
間違っていたものは直した。
分からないものは、分からないまま勝手に決めなかった。
神谷が最後の一覧を確認する。
「これで行く」
榊原が聞いた。
「基本設計、固めますか?」
「ああ。ただし、これで完成じゃない」
「もちろんです」
「解析も風洞も続ける。製作に入ってから出る問題もある」
ラスタスが笑った。
「そして完成したら、今度はドライバーが問題を見つけます」
藤原が振り返る。
「俺の仕事みたいに言わないでくださいよ」
「違いますか?」
「……否定はしません」
宗村が笑った。
神谷は椅子から立ち上がる。
モニターにはMR-01が残っている。
MR-00から受け取ったものは、形ではなかった。
失敗。
数字。
感覚。
そして、自分たちの設計を疑うこと。
それらを選び直しながら、MUNEは初めてのIGPマシンを形にしていく。
神谷は画面を1度だけ見て言った。
「じゃあ、作るぞ」
MR-01は、図面の中だけのレーシングカーではなくなろうとしていた。




