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IGNITION  作者: ムネディ


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20/69

Chapter 19 残すもの、変えるもの

市原ファクトリーへ戻った翌朝。

設計室の大型モニターには、MR-01の3次元モデルが映し出されていた。

昨日まで走っていたMR-00とは、まるで違う。

MR-00は旧LMP2資産を利用し、自分たちがフォーミュラカーを作るうえで何を知らないのかを確かめるための車だった。

対して、目の前にあるものは最初からIGPを走るために設計されている。

MR-01。

まだ画面の中にしか存在しない、MUNE RACING初のIGP参戦車だった。

榊原直哉がマウスを操作すると、モデルの一部が拡大された。

「まず、ここです」

神谷英治が腕を組む。

「昨日のやつか」

「はい。MR-00で出た姿勢変化をこっちのモデルでも再計算しました。やっぱり、今のままだと少し気になります」

「少し?」

榊原が苦笑した。

「かなりです」

「最初からそう言え」

「神谷さん、機嫌悪くなるじゃないですか」

「もう悪い」

ラスタス・パルナーが隣で笑う。

藤原蒼真も椅子に座ったまま画面を眺めていた。

MR-00のテスト終了から、まだ1日しか経っていない。

だが榊原は昨夜のうちにデータを整理し、MR-01との比較を始めていた。

もちろん、すべてを変えるわけではない。

神谷はテーブルに置かれた資料をめくった。

「で、変更すると何を失う?」

榊原が答える。

「この案なら高速域の安定性は改善できます。ただ、低速側では少し不利になる可能性があります」

「重量は?」

「ほぼ変わりません」

「製作は?」

「形状変更だけなら対応できます。ただし、今決めないと後で面倒です」

神谷はラスタスを見る。

「どう思う?」

「私は変更した方がいいと思います。ただ、MR-00と同じ問題がMR-01でも同じ大きさで出るとは限りません」

「だよな」

神谷は藤原へ視線を移した。

「お前は?」

藤原は少し考えてから答えた。

「MR-00で気になったのは、単純にフロントが足りないことじゃないです。姿勢が変わる途中で感触まで変わることでした。MR-01でそこが抑えられるなら、俺は多少の低速側よりそっちを取ります」

榊原が頷く。

「僕も同じです」

神谷はしばらく画面を見つめた。

「変更」

榊原がチェックを入れる。

1つ目だった。

次の項目へ移る。

今度はサスペンションだった。

MR-00では、セットアップ変更に対する反応そのものは確認できた。ただ、変更量とドライバーが感じる差が必ずしも一定ではなかった。

「ここは?」

神谷が聞く。

榊原は首を横に振る。

「僕は触らない方がいいと思います」

「理由は?」

「MR-00の結果だけなら変えたくなります。でもMR-01は最初から別のジオメトリーです。昨日の結果だけを理由に、今の設計を崩す根拠がありません」

神谷がわずかに笑った。

「よし」

榊原が怪訝そうに見る。

「何です?」

「お前なら全部直したがるかと思ってた」

「僕だって学習しますよ」

ラスタスが口を挟んだ。

「昨日1番学んだのは、榊原さんだったかもしれませんね」

「それ褒めてます?」

「もちろん」

「ラスタスさんに言われると怪しいんですよね」

藤原が小さく笑った。

変更するもの。

残すもの。

追加で検証するもの。

判断を保留するもの。

会議はその4つへ分けながら進んだ。

MR-00で問題が出たからといって、MR-01でも無条件に変更するわけではない。

2台は別の車だ。

MR-00の失敗を恐れて設計を歪めれば、それこそ試作車に本番車が引っ張られる。

神谷が何度も確認したのは、その変更に理由があるかどうかだった。

昼を過ぎた頃、宗村宗一が設計室へ顔を出した。

「進んでる?」

神谷はモニターから目を離さない。

「見りゃ分かるだろ」

「分からないから聞いてるんだけど」

宗村は空いていた椅子を引き寄せ、MR-01を眺めた。

「これ、昨日からどれくらい変わったの?」

榊原が答える。

「見た目ではほとんど分からないと思います」

「じゃあ変わってない?」

「全然違います」

「難しいねぇ」

神谷がため息をつく。

「宗村さんは、完成してから見に来い」

「代表なのに?」

「代表だからだよ」

宗村は笑った。

だが、すぐに少し真面目な顔で画面を見た。

「壊れない?」

神谷がようやく宗村を見る。

「まだ分からん」

「そっか」

「でも、壊れにくくする」

宗村は頷いた。

それ以上は聞かなかった。

速いかどうかではなく、最初にそこを聞く。

神谷には、その理由が分かっていた。

新規参戦のMUNEに、最初から優勝争いができる車など作れない。

それでもレースはできる。

走り切れば、データが残る。

走り切れば、ドライバーが学べる。

走り切れば、次の改良につなげられる。

止まってしまえば、そこで終わる。

「まず壊れない車だ」

神谷が言った。

宗村が笑う。

「それ、前から言ってるね」

「変える理由がないからな」

午後。

最後に残ったのは、MR-01の将来だった。

榊原がモデルを回転させる。

「ここ、今ならもっと詰められます」

神谷が画面を見る。

「開幕仕様だけならな」

「ですよね」

ラスタスも頷いた。

「詰めすぎると、シーズン中に動かせなくなります」

藤原が二人を見る。

「最初からアップデートを考えて空けておく?」

「そういうことだ」

神谷は画面を指した。

「開幕戦で100点の車なんか作れない。俺たちは特にな」

宗村がまだ部屋にいた。

「70点くらい?」

「点数にするな」

「じゃあ80点」

「上げるな」

藤原が笑った。

神谷は呆れながら続ける。

「開幕時点で必要なのは、ちゃんと予選を通れて、レースを走り切れて、セットアップを変えたら素直に反応する車だ。その先はシーズン中に育てる」

ラスタスが頷いた。

「最初から完成させようとすると、後で何もできなくなります」

榊原は画面を見ながら、少し考えた。

「余白を残すんですね」

「手抜きとは違うぞ」

「分かってます」

神谷はMR-01を見つめた。

「速くする場所を残すんだ」

夕方。

長かった確認作業が終わった。

榊原の画面には、変更箇所と保留箇所が整理されている。

昨日持ち帰ったMR-00のデータが、すべてMR-01へ入ったわけではない。

必要なものだけを選んだ。

正しかった設計は残した。

間違っていたものは直した。

分からないものは、分からないまま勝手に決めなかった。

神谷が最後の一覧を確認する。

「これで行く」

榊原が聞いた。

「基本設計、固めますか?」

「ああ。ただし、これで完成じゃない」

「もちろんです」

「解析も風洞も続ける。製作に入ってから出る問題もある」

ラスタスが笑った。

「そして完成したら、今度はドライバーが問題を見つけます」

藤原が振り返る。

「俺の仕事みたいに言わないでくださいよ」

「違いますか?」

「……否定はしません」

宗村が笑った。

神谷は椅子から立ち上がる。

モニターにはMR-01が残っている。

MR-00から受け取ったものは、形ではなかった。

失敗。

数字。

感覚。

そして、自分たちの設計を疑うこと。

それらを選び直しながら、MUNEは初めてのIGPマシンを形にしていく。

神谷は画面を1度だけ見て言った。

「じゃあ、作るぞ」

MR-01は、図面の中だけのレーシングカーではなくなろうとしていた。

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