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IGNITION  作者: ムネディ


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19/70

Chapter 18 数字と感覚

2度目のMR-00実走テスト。

千葉ウッドレイクサーキットのピットには、前回とは違う空気が流れていた。

最初の2日間は、MR-00が何をする車なのかを知るための時間だった。

今回は違う。

榊原直哉のノートパソコンには、前回の実走データを基にした解析結果が並んでいる。

CFD。

シミュレーション。

風洞で確認した空力特性。

そして藤原蒼真が実際に車を走らせて感じたこと。

それらが、本当に同じ方向を向いているのか。

その確認が、今回の目的だった。

神谷英治はMR-00の前で腕を組んだ。

「今日も1つずつだ」

榊原が頷く。

「分かってます」

「分かっててもやりたくなるんだよ。走行時間が限られてると、つい2つ、3つと変えたくなる」

「耳が痛いですね」

ラスタス・パルナーが笑った。

「若い頃、それをやって何度も迷子になりました」

神谷が横目で見る。

「今は?」

「1つずつ変えて迷子になります」

「ダメじゃねえか」

榊原が吹き出した。

少し離れたところで聞いていた宗村も笑っている。

「いいチームになってきたねぇ」

神谷は振り返らなかった。

「笑ってないで邪魔するなよ」

「まだ何もしてないよ」

「これからするだろ」

「信用ないなぁ」

「あるから言ってる」

宗村は首を傾げた。

褒められたのかどうか、よく分からなかった。

最初に確認するのは、姿勢変化に対する空力特性だった。

前回、藤原はブレーキングからターンイン、そして加速へ移る過程で、車の反応が綺麗につながらないと指摘していた。

榊原はそれを実走データと照合し、CFDと風洞で再検討していた。

だが計算上の車と、実際のMR-00は完全には一致していない。

藤原がコックピットへ収まる。

神谷が覗き込んだ。

「最初は基準状態。前回最後と同じだ。そのあと1項目だけ変える」

「了解です」

藤原はステアリングを握ったまま榊原を見る。

「何を見る?」

「高速コーナーへ入る時の姿勢変化です。前回、姿勢が変わった時に空力が少し不安定だと言っていましたよね」

「言った」

「そこが計算と合ってません。今日はそれを確かめたいです」

藤原が頷く。

「分かった」

MR-00のエンジンが始動する。

しばらくして車はピットを離れた。

数周後。

〈やっぱりある。ブレーキを残しながら入ると、途中で一度フロントの感触が薄くなる〉

榊原は画面を見つめた。

数値が流れていく。

「出てる……」

ラスタスが隣から画面を覗く。

「どこです?」

榊原が画面の一部を示した。

「ここ。車高変化が想定より大きいです。その瞬間に空力バランスも動いてる」

神谷が聞く。

「CFDでは?」

「ここまで動いてません」

「風洞は?」

「同じです」

神谷は画面を見たあと、コースへ視線を戻した。

「じゃあ、計算側の前提が実車と合っていない可能性がある」

榊原は少し黙った。

自分が担当してきた領域だった。

だが言い訳はしなかった。

「あります」

ラスタスが小さく頷く。

「それを確認するためのMR-00です」

榊原はもう一度画面を見る。

「はい」

藤原が戻ってくる。

ヘルメットを脱ぐと、すぐに榊原が近づいた。

「藤原さん。1か所だけ変えます。同じところを見てもらえますか?」

「いいよ」

「速く走ろうとしなくて大丈夫です。さっきと同じように走ってください」

藤原が少し笑った。

「そっちの方が難しいんだけどな」

変更作業が始まった。

一度に触るのは1つだけ。

それ以外は変えない。

やがてMR-00が再びコースへ出る。

榊原はモニターから目を離さなかった。

MR-00が高速コーナーへ入る。

「来るぞ」

神谷が呟く。

数値が変化した。

榊原が身を乗り出す。

「違う」

ラスタスも気づいた。

「さっきより小さいですね」

無線が入る。

〈今のはいい。さっきあった抜ける感じがかなり減ってる〉

榊原は思わず椅子にもたれた。

だが神谷は喜ばない。

「まだだ」

榊原が振り返る。

「はい?」

「1周だけで決めるな」

榊原はすぐに画面へ向き直った。

「藤原さん、同じ走り方でもう数周お願いします」

〈了解〉

MR-00は走り続ける。

1周。

2周。

3周。

藤原のコメントとデータは、ほぼ同じ傾向を示していた。

ピットへ戻った藤原が車を降りる。

榊原が尋ねた。

「かなり変わりましたよね?」

「変わった。ただ、別のところが気になるようになった」

藤原はMR-00を振り返った。

榊原の表情が止まる。

神谷は笑った。

「ほら来た」

「嬉しそうですね」

「当たり前だ。次に見るものが出た」

藤原も笑う。

「前が落ち着いた分、今度はリアの動きが分かりやすい。今まで前の違和感に隠れてたんだと思う」

ラスタスが頷く。

「1つ直すと、次が見える」

「ですね」

榊原はノートへ書き込んだ。

宗村が横から覗く。

「終わらないねぇ」

神谷が答える。

「レーシングカーなんてそんなもんだ」

「いつ完成するの?」

「完成したと思ったら負けだよ」

宗村が笑った。

「それ、怖いなぁ」

「だから金掛かるんだ」

今度は宗村の笑顔が消えた。

「もっと怖い話になった」

ラスタスが肩を揺らして笑った。

午後。

確認作業は続いた。

設定を1つ変える。

藤原が走る。

感覚を言葉にする。

榊原がデータと比較する。

ラスタスがIGPでの経験から意見を出す。

最後に神谷が判断する。

何度か、藤原の感覚とデータがきれいに一致した。

逆に一致しないこともあった。

そのたびに榊原は立ち止まった。

以前なら、数字の方を先に信じていたかもしれない。

だが今は違う。

「藤原さんが感じてるのに、こっちに出てないなら……取れてないだけかもしれない」

神谷が頷く。

「そういうことだ」

「センサーを追加しますか?」

「今日はやらない。MR-01の方で、最初から取れるようにする」

榊原はメモを残した。

MR-00を完成させるためではない。

すでに設計が進んでいるMR-01へ持ち帰るための記録だった。

MR-01の基本設計は、MR-00の完成を待って始めたものではない。

神谷たちはMR-00の製作と並行して、本番車の設計を進めていた。

MR-00で確認できたものは反映する。

想定と違ったものは見直す。

問題のなかった部分まで、理由もなく変えたりはしない。

MR-00は本番車の前に作った練習用の1台ではなかった。

MR-01を正しく作るために、設計と実走の間をつなぐ車だった。

最後の走行が終わった。

MR-00がピットへ戻される。

エンジンが止まると、榊原たちはすぐに最後のデータ確認を始めた。

宗村は少し離れた場所から車を眺めていた。

藤原が隣へ来る。

「終わりましたね」

「うん」

「寂しいですか?」

宗村は少し考えた。

「ちょっとね」

MR-00が再び実走テストを行う予定はない。

予算上、許された実走は2回まで。

その役目を終えた。

「でも、いい仕事したよね」

藤原が頷く。

「十分だと思います」

宗村はMR-00を見つめた。

速い車ではなかった。

完璧な車でもない。

むしろ問題ばかり見つかった。

だが、その問題を見つけるたびに、ファクトリーではMR-01の設計が修正されてきた。

もしMR-00を作らず、計算とシミュレーションだけを信じていたら。

このテストで初めて分かったことのいくつかは、MR-01が完成してから気づくことになっていたかもしれない。

神谷が二人のところへ来た。

「帰るぞ」

宗村が振り返る。

「MR-00は?」

「当然持って帰る」

「いや、そうじゃなくて。このあと」

神谷は車を見る。

「残すよ」

宗村の表情が少し変わる。

「売らない?」

「売っていくらになるんだよ。それより、こいつは残しておく意味がある」

藤原が小さく笑った。

「MUNEが最初に作ったフォーミュラカーですからね」

神谷は頷く。

「それに、まだ研究には使える。走らなくても学べることはある」

宗村はもう一度MR-00を見る。

分からないことを知るために作った車。

数字と現実の違いを教えた車。

そして、本番車へつながる材料を残した車。

「じゃあ帰ろうか」

宗村が言った。

「MR-01が待ってる」

神谷が歩き出す。

「ああ。戻ったら忙しくなるぞ」

榊原が振り返った。

「今回のデータ、結構ありますからね」

「だからだよ」

神谷は足を止めずに答えた。

「全部入れりゃいいってもんじゃない。残すものと変えるものを決める」

MR-00から得た数字。

藤原の感覚。

一致したもの。

一致しなかったもの。

すべてを持ち帰る。

その先で待っているMR-01は、まだ何もないところから生まれる車ではなかった。

基本設計はすでに進んでいる。

MR-00が走るより前から、神谷たちは本番車の設計を並行して進めてきた。

そして実走で新しいことが分かるたび、その結果も少しずつMR-01へ反映されている。

だから、これから始めるのではない。

2度の実走で得た最後の材料を加え、これまで積み上げてきた設計を固めていく。

次にMUNE RACINGが完成させるのは、技術を学ぶための車ではない。

世界最高峰へ持ち込むための1台。

MR-01。

MUNE RACINGは、その設計を確定させる段階へ入ろうとしていた。

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