Chapter 17 直すもの、残すもの
千葉ウッドレイクサーキット。
完全非公開で行われているMR-00の2日間のテストは、2日目の朝を迎えた。
昨日とは違い、ピットの中に初走行前の張り詰めた空気はない。
代わりにあったのは、仕事の山だった。
MR-00の前には神谷、ラスタス、榊原、柴崎が集まっている。
テーブルの上には昨日の走行データと藤原のコメントが並んでいた。
重量感。
姿勢変化時の空力。
前後の応答。
タイヤの使い方。
着座位置。
視界。
操作系。
宗村が紙を覗き込んだ。
「1日でよく出たねぇ」
「出すために来たんだ」
神谷はそう答えながら、1つの項目に印を付ける。
ラスタスが横から見る。
「今日はどこまでやります?」
「全部はやらない」
神谷は即答した。
「MR-00を完成させに来たわけじゃない。走行確認に必要なものと、原因を切り分けられるものだけやる」
榊原が頷く。
「一度に変えるのは1項目ですね」
「ああ。何か良くなっても、何が効いたのか分からなきゃ意味がない」
宗村が腕を組んだ。
「じゃあ、昨日見つけた問題を全部直すわけじゃないんだ」
「直してどうする」
神谷が宗村を見る。
「こいつでIGPに出るわけじゃないんだぞ」
「そうでした」
「忘れるな」
ラスタスが笑う。
「でも宗村さん、こういう車ほど直したくなるものですよ」
「でしょ?」
「煽るな、ラスタス」
「すみません」
謝っているわりに、ラスタスは笑っていた。
最初に手を入れたのは、藤原が指摘した着座位置だった。
大幅な作り直しではない。
ドライバーが正確に車を評価できるよう、現状で可能な範囲の調整を行う。
藤原がコックピットへ収まり、前を見る。
神谷が横から覗き込んだ。
「どうだ?」
「昨日よりいいです。右膝も気にならない。視界は……これなら走れます」
「操作系は?」
藤原はグローブをしたままスイッチ類へ指を伸ばす。
「ここはまだ少し遠いです。でも、MR-00で作り直すほどじゃないですね。次の車では最初から位置を考えてください」
「分かった」
神谷はメモを取る。
宗村がその様子を見ていた。
昨日までなら、コックピットに人が収まれば、それで成立しているように見えた。
だが実際に走らせる人間にとっては違う。
数センチの位置。
手を伸ばす角度。
前方の見え方。
それらもすべて、レーシングカーの性能だった。
MR-00がコースへ出る。
最初の走行では、昨日確認された前後の応答をもう一度見る。
藤原が数周を走り、ピットへ戻った。
「昨日と同じです。向きを変えた時に、前が動いてから後ろがついてくる感じがあります」
榊原がデータを確認する。
「数字にも出ています」
神谷が聞いた。
「どうする?」
榊原は画面を見たまま少し考える。
「まず1つだけ変えたいです。前後を同時に触ると分からなくなるので」
「それでいこう」
変更が施される。
再び藤原がコースへ出た。
数周。
そして戻ってくる。
ヘルメットを外した藤原に、神谷が聞く。
「どうだ?」
「変わりました。良くなったというより、反応の仕方が変わった感じです」
「狙った方向か?」
「半分くらいですね」
榊原が顔を上げる。
「半分?」
藤原は手を使って車の動きを示した。
「最初の入りは良くなってます。でも、そのあとリアが追いついてくるところはまだ待つ。だから入り口だけ見ると良くなったように感じるけど、コーナー全体だとまだつながってないです」
ラスタスが榊原の画面を見る。
「面白いですね」
榊原も頷く。
「最初の走行で記録した動きと、少し違います」
神谷が二人を見る。
「原因は?」
榊原はすぐには答えなかった。
データを確認し、それから首を横に振る。
「まだ分かりません」
神谷が頷く。
「それでいい」
宗村が少し意外そうな顔をした。
神谷は気づいた。
「分からないのに分かったふりされる方が困る」
「なるほどね」
「だから次を走るんだ」
午前の走行は、地味な作業の繰り返しになった。
1つ変える。
走る。
藤原が感じる。
榊原が数字を見る。
ラスタスが過去の経験と照らし合わせる。
神谷が次を決める。
劇的に速くなることはない。
むしろ変更によって悪くなることもあった。
そのたびに元へ戻した。
宗村には、それが少し不思議に見えた。
速くなった時よりも、悪くなった時の方が技術陣の会話が増える。
昼前。
MR-00がピットへ戻った。
藤原が降りてくる。
「今のはダメですね」
榊原も苦笑した。
「数字もきれいにダメです」
神谷がデータを見る。
「じゃあ戻す」
宗村が聞く。
「それだけ?」
「それだけって?」
「いや、失敗したのに」
ラスタスが振り返った。
「宗村さん。今ので1つ、やらなくていいことが分かりました」
宗村は少し考えてから笑った。
「なるほど。失敗を1つ回収したわけだ」
神谷が呆れた顔をする。
「だから最初からそう言ってるだろ」
「実際に見ると違うんだよ」
「宗村さんが今さら学ぶな」
「俺も成長してるってことで」
藤原が飲み物を受け取りながら小さく笑った。
午後の走行を終える頃には、昨日とは違う種類のメモが増えていた。
問題点の羅列ではない。
変更するとどう動くか。
藤原の感覚とデータがどこまで一致するか。
どこから先はMR-00へ時間と金を使う意味が薄いのか。
神谷はチェックシートを見ながら項目を分けていく。
宗村が横から尋ねた。
「直すやつと、直さないやつ?」
「違う」
神谷は紙を指した。
「MR-00で確認するものと、MR-01の設計段階から潰すものだ」
「なるほど」
「この車を速くするなら、まだいくらでもやれる。でも、それを始めたら終わらない」
宗村はピットに止まったMR-00を見る。
昨日初めて走った車は、今日も完璧にはならなかった。
それでいい。
「じゃあ、こいつは未完成のまま?」
神谷は少し考えた。
「いや」
MR-00を見る。
「役目を果たした車だ」
宗村は、その言葉にしばらく黙った。
2日間の走行が終わった。
藤原がMR-00から降り、ヘルメットを置く。
「お疲れ」
宗村が声を掛けた。
「お疲れさまです」
「どうだった?」
藤原は車を振り返った。
「まだ分からないことはあります。でも、最初より何を見るべきかは分かりました」
神谷が近づいてくる。
「次はもっと細かくやる。設定を変えた時の反応と、榊原たちが持ってる計算やシミュレーションとのズレも見る」
「了解です」
それが、予算上あと1回だけ許されたMR-00の実走テストになる。
そこで得たものを、MR-01へ持っていく。
宗村はピットの中を見渡した。
神谷が柴崎と車の確認を始める。
榊原とラスタスは、もうデータについて話している。
藤原もその輪へ向かった。
誰も「成功した」とは言わない。
速さを証明したわけでもない。
それでも2日前まで、MUNEは自分たちの作ったフォーミュラカーが実際にどう動くのかを知らなかった。
今は違う。
分からないことが、見えるようになった。
間違った方向も、1つずつ分かり始めた。
宗村はMR-00を見た。
「いい車だね」
隣にいた神谷が怪訝そうな顔をする。
「さっきまでダメなところだらけだっただろ」
「うん。でも、こんなにいろいろ教えてくれる」
神谷は少しだけ笑った。
「だから作ったんだよ」
千葉ウッドレイクサーキットでの2日間が終わる。
MR-00は完成形へ近づいたわけではない。
その代わり、MUNE RACINGは確実に前へ進んだ。
次にこの車を走らせる時は、ただ問題を探すためではない。
自分たちが考えたことと、実際の車がどこまで一致するのか。
それを確かめるための、最後の実走になる。




