Chapter 14 ロゴを売る女
「IGPには、もう日本のチームがあるからねぇ」
応接室の向こう側で、企業担当者が腕を組んだ。
白石玲奈は笑顔を崩さなかった。
テーブルにはMUNE RACINGのIGP参戦企画書が置かれている。すでに1時間近く話していた。
担当者の言っていることは分かる。
日本企業がモータースポーツを使って海外へ名前を売りたいなら、すでにIGPで実績を持つ日本チームという選択肢がある。
新規参戦のMUNEを選ぶ理由は何か。
「おっしゃる通りです」
白石が答えると、担当者が少し意外そうな顔をした。
否定されると思ったのだろう。
「実績だけを比較されれば、現時点で私たちが勝てるとは思っていません。MUNE RACINGはまだIGPを1戦も走っていませんから」
「そこを認めちゃうんだ」
「嘘をついても仕方ありませんので」
白石は資料を1枚めくった。
そこにはマシンとレーシングスーツの図がある。
「ただ、新規チームだからこそできることがあります」
担当者の視線が資料へ落ちた。
白石は指先で、マシンのサイド部分を示した。
「例えば同じ金額で既存の有力チームと契約した場合、この予算ではロゴを掲出できる場所や大きさに限界があります。すでに大口スポンサーがいますから」
次にMUNEの車体図を示す。
「でも私たちなら、同じ金額でもここまで大きくできます。マシンだけではありません。レーシングスーツやヘルメットにも展開できます」
担当者が身を乗り出した。
「ずいぶん違うね」
「はい。もちろん、大きく貼ればそれで宣伝になるとは申しません。初年度に私たちがどれだけ露出を作れるかは、これから証明しなければいけません。ただ、同じ予算なら御社の名前をより見える場所へ出すことができます」
白石はそこで話を止めた。
押し込まない。
相手に考える時間を与える。
昔、宗村から教わった。
相手が考えているときに、自分が不安だからとしゃべり続けるな。
沈黙は失敗ではない。
担当者が資料を見ながら言った。
「でも、新規参戦だと後ろを走る可能性もあるでしょう?」
「あります」
また即答した。
「初年度から優勝します、とは言えません。でも、だからこそ私たちはスポンサーさんと一緒に成長するチームにしたいんです。最初から完成されたものへ名前を載せるのではなく、MUNEがどこまで上がっていくかを一緒に見てもらう。その過程も価値にしたいと思っています」
「なるほどねぇ」
担当者はもう一度、企画書をめくった。
「少し、社内で検討させてもらっていい?」
「もちろんです」
白石は笑顔で頭を下げた。
「よろしくお願いいたします」
建物を出て駐車場へ向かう。
車へ乗り込んだ瞬間、白石は大きく息を吐いた。
「……疲れたぁ」
今日3社目だった。
1社目は断られた。
2社目は予算が合わなかった。
3社目で、ようやく「検討する」まで来た。
助手席に置いた鞄から、小さなノートを取り出す。
ページの上には、少し癖のある文字で書かれていた。
――相手の話を否定しない。
――弱点を隠さない。
――弱点の裏側にある利点を探す。
――相手が考えているときは黙る。
白石はそれを見て苦笑した。
「宗村さんのおじさんテクニック、今日も有効っと」
ペンで小さく丸を付ける。
本人に言えば、きっと嫌がるだろう。
だが、宗村がスポンサーと話すところを何年も横で見てきた。
高級な営業理論ではない。
相手の話を聞く。
できない約束をしない。
できることは具体的に示す。
そして、一度の契約で終わらせようとしない。
白石自身も、それを自分なりの方法へ変えてきた。
信頼は、数字より先に積み上げるもの。
それが彼女の仕事だった。
*
夕方。
市原のファクトリーへ戻ると、作業エリアにはまだ人の気配があった。
MR-00の周囲では神谷たちが作業を続けている。
白石はその横を通り、事務エリアへ入った。
「ただいま戻りました」
「おかえり」
桐生がパソコンから顔を上げる。
白石は自分の席まで行き、鞄を置いた。
そして椅子へ沈み込む。
「美咲さん、疲れたー」
「外でその顔してないでしょうね」
「してませんよ。外では完璧な白石玲奈です」
「自分で言う?」
「誰も言ってくれないので」
桐生は呆れたように笑った。
「どうだった?」
その一言で、白石の表情が変わった。
「3社です。1社は見送り。1社は金額面で難しいです。最後の1社は社内検討まで持っていけました」
「感触は?」
「悪くないです。ただ、やっぱり既存の日本チームと比較されますね」
桐生は頷いた。
「そこは避けられないでしょうね」
「なので、宗村さんのおじさんテクニックを使いました」
「何それ」
「新規だから、同じ金額でもロゴを大きく出せます作戦です」
桐生が一瞬黙った。
「ああ……宗村さんが昔よくやってたやつ」
「やっぱり知ってるじゃないですか」
「それを本人の前で『おじさんテクニック』って言わない方がいいわよ」
「もうノートにそう書いてあります」
「消しなさい」
二人が笑った。
そこへ宗村が入ってきた。
「何がそんなに面白いの?」
「宗村さんには関係ありません」
白石が即答する。
「なんで?」
桐生は笑いをこらえながら仕事へ戻った。
宗村は納得していない顔のまま、白石を見る。
「スポンサー、どうだった?」
「3社回って2社は厳しいです。1社は社内検討までいきました」
「1社残ってるじゃん」
白石は宗村を見た。
「その謎の前向きさ、たまに腹立ちますね」
「だってゼロじゃないでしょ?」
「そうですけど」
宗村は机に置かれた企画書を見る。
「何で押したの?」
「同額なら、うちの方が大きく露出できますって」
宗村の眉が上がった。
「おお」
「マシン、スーツ、ヘルメット。既存チームなら小さなロゴになる金額でも、MUNEならもっと目立つ場所を提供できる。初年度で効果を証明できたら、来年また相談させてください、と」
宗村が嬉しそうに笑う。
「いいじゃん」
「宗村さんから盗みました」
「人聞き悪いなぁ」
「技術継承です」
桐生が横から口を挟む。
「玲奈、それ以上言うと調子に乗るから」
「はい、美咲さん」
「二人とも俺への扱い雑じゃない?」
誰も答えなかった。
その日の夜。
白石は机に残り、今日訪問した企業の記録を整理していた。
断られた理由。
興味を示された部分。
次に説明すべき材料。
担当者の反応。
全部残す。
契約にならなかった訪問も無駄ではない。
なぜ選ばれなかったのかが分かれば、次に使える。
ふと窓の向こうを見る。
作業エリアにMR-00が見えた。
技術陣は、あの車から失敗を集めている。
白石は少し笑った。
やっていることは、自分も同じなのかもしれない。
断られて、理由を持ち帰る。
説明を変える。
また会いに行く。
マシンだけが、少しずつ形になっているわけではない。
机の上で携帯電話が鳴った。
昼間訪問した3社目の担当者だった。
白石はすぐに姿勢を正す。
「はい、MUNE RACINGの白石です」
電話の向こうの話を聞く。
白石の表情が少しずつ変わった。
「ありがとうございます。はい、もちろんです。では次回、もう少し具体的なプランをお持ちします」
通話を終える。
まだ契約ではない。
次の打ち合わせへ進んだだけだ。
それでも白石は、小さく拳を握った。
「……よし」
ファクトリーの奥では、MR-00を囲んで人が動いている。
1台のマシンを世界へ送り出すために必要なのは、エンジンや空力だけではない。
その車に貼られる1枚のロゴにも、誰かが積み重ねた時間がある。
MUNE RACINGの世界挑戦は、サーキットへ出るずっと前から始まっていた。




