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IGNITION  作者: ムネディ


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Chapter 11 選ぶ理由

 朝倉智樹が市原のファクトリーを訪れたのは、昼前だった。

受付を済ませた朝倉を迎えたのは、宗村本人だった。

「初めまして。宗村です。今日はありがとうございます」

「朝倉です。こちらこそ」

握手を交わす。

宗村が想像していたより、朝倉は静かな男だった。

愛想が悪いわけではない。

ただ、必要以上に自分を大きく見せようとする感じがない。

藤原が名前を出した理由を、宗村は少しだけ理解した気がした。

「藤原さんから、どこまで聞いてます?」

「ストラテジストを探してるから、一度話を聞いてほしい。それだけです」

宗村は笑った。

「藤原さんらしいなあ」

「昔から、あんな感じです」

朝倉も少し笑う。

宗村は会議室へ向かおうとして、一度足を止めた。

「その前に、ちょっと見ます?」

朝倉の視線が作業エリアへ向く。

「いいんですか?」

「隠すほど完成してないので」

作業エリアへ入ると、LMP2時代から使われてきた設備と、その中央に置かれたMR-00が見えた。

朝倉が足を止める。

「これがMR-00ですか」

「うん。レースには出ないけどね」

宗村がそれだけ答える。

朝倉は車体へ近づいた。

フォーミュラカーとして見れば、洗練されているとは言い難い。

だが、雑に作られているわけでもない。

周囲ではスタッフがいつも通り作業を続けている。

見学者へ良く見せようと取り繕う様子もない。

ここは展示場ではなく、仕事場だった。

「これでレースには出ないんですよね?」

「出ません。ここで失敗しておけば、本番車で同じことをやらなくて済むかなって」

「ずいぶん遠回りですね」

「お金がないんで」

朝倉が宗村を見る。

「普通、金がないなら余計な車は作らないでしょう」

「だから安く失敗するんです。高い車で失敗したら困るから」

一瞬の間。

朝倉が笑った。

「なるほど」

二人は作業エリアを離れた。

*

会議室には桐生も同席した。

朝倉の前に置かれた資料は、必要なものだけだった。

新規参戦。

限られた予算。

IGPでの実績はまだない。

これから組織そのものも拡大していかなければならない。

朝倉は資料を一通り確認すると、宗村を見た。

「聞いていた通りですね。楽なチームじゃない」

「そこは否定できないなあ」

桐生が横から宗村を見る。

「宗村さん、面談する側なんですから、もう少し頑張ってください」

「だって本当だし」

朝倉は二人のやり取りを見ていた。

妙なチームだと思う。

新規参戦チームがIGP経験者を迎えようとしているなら、もっと自分たちを大きく見せてもいい。

将来性を語り、設備を語り、成功する理由を並べる。

しかし宗村は、それをしなかった。

朝倉が資料を閉じる。

「一つ聞いてもいいですか。俺に何を求めています?」

宗村は少しだけ考えた。

「勝てる戦略を作ってください、とは言いません。今の俺たちはIGPでどう戦うかを知らない。だから朝倉さんが知っていることを貸してほしい。でも、朝倉さん1人に全部やってもらうつもりもないです」

朝倉は黙って聞いている。

「朝倉さんがいないと何もできないチームじゃなくて、朝倉さんがいることで、みんなが強くなるチームにしたいんです」

「時間がかかりそうですね」

「かかるでしょうね」

「その間に結果が出なかったら?」

「出なかった理由を調べます」

宗村の答えは、それだけだった。

朝倉は椅子の背にもたれた。

隣の桐生も、あえて口を挟まない。

しばらくして朝倉が口を開いた。

「藤原から、昔と同じ仕事をすればいいと言われました」

「はい」

「俺と藤原が組んだレース、調べました?」

「5位だったことだけ」

朝倉が少し意外そうな顔をする。

「映像は?」

「見てません。藤原さんが朝倉さんを推薦した。それで十分だったので」

「ずいぶん信用するんですね」

「藤原さんって、自分から誰かを推薦するタイプじゃないでしょう?」

朝倉は答えなかった。

ただ、ほんの少し笑った。

その通りだった。

*

時計を見ると、ちょうど昼を少し回っていた。

宗村が立ち上がる。

「朝倉さん、昼まだですよね?」

「まだですけど」

「じゃあ食べていきましょう」

「これから条件の話をするんじゃ?」

「腹減ったまま話してもしょうがないでしょ」

桐生がため息をつく。

「宗村さんの場合、本当に先に食事しますからね」

三人は食堂へ向かった。

扉を開けた瞬間、味噌汁と炊きたての米の匂いが朝倉を包んだ。

レースチームの食堂というより、どこか町の定食屋に近い。

カウンターの向こうでは牧村和代が手を動かしている。

宗村が声をかけた。

「今日、なめろうある?」

「あるよ」

「じゃあ三つ」

桐生がすぐに止める。

「私は別のにします」

「美咲さん、そこは一緒に」

「食べたいものを食べさせてください」

朝倉が思わず笑う。

「普段からこんな感じなんですか?」

「だいたい」

桐生の返事が早かった。

ほどなくして朝倉の前になめろう定食が置かれた。

細かく叩かれた魚に味噌と薬味。

湯気の立つ白飯。

味噌汁。

朝倉は箸で少し取り、口へ運ぶ。

魚の旨味。

味噌の濃さ。

生姜と葱の香り。

舌に脂が残る前に薬味が抜けていく。

白飯を一口。

もう一度なめろう。

「……これは」

宗村が嬉しそうに見る。

「どう?」

「美味いですね」

「でしょ?」

「宗村さんが作ったわけじゃないですよね」

桐生が冷静に言う。

「チームの設備だから半分くらい俺の功績じゃない?」

「違います」

朝倉が吹き出した。

食事を続けながら、周囲を見る。

作業着姿のスタッフが昼を食べている。

技術者も、事務方も、同じ場所にいる。

大きな声で仕事の話をする者もいれば、くだらない話で笑っている者もいた。

ここだけ見れば、世界最高峰へ行こうとしている組織とは思えない。

しかし、不思議と嫌ではなかった。

「こういう場所、ちゃんとあるんですね」

朝倉が言う。

宗村が箸を止める。

「食堂?」

「それもありますけど」

朝倉は周囲を見た。

「チームとしての場所です」

宗村は何も言わなかった。

ただ、少しだけ笑った。

*

食事を終えたあと、条件について必要な話をした。

朝倉はその場で結論を出さなかった。

玄関まで宗村と桐生が見送る。

「返事、少し待ってもらえますか」

「もちろん」

宗村は引き止めない。

朝倉はファクトリーを出た。

車へ向かいながら、一度だけ振り返った。

MR-00。

使い込まれた設備。

変わった代表。

そして、なめろう定食。

判断材料として最後の一つだけ妙なものが混ざった気がした。

*

数日後。

藤原の携帯電話が鳴った。

表示された名前を確認して電話に出る。

「もしもし」

「俺だけど」

朝倉だった。

藤原は黙って続きを待った。

「MUNEに行くことにした」

「そうか」

「……それだけか?」

「来ると思ってたからな」

電話の向こうから呆れたような息が聞こえた。

少しして、朝倉が笑う。

「あのなめろう定食は卑怯だろ……」

藤原の口元が緩む。

「食ったのか」

「食った。あれ食わせてから条件の話をするのは反則じゃないのか?」

「宗村さんなら何も考えてないと思うぞ」

「それが一番たちが悪いな」

藤原が小さく笑った。

数年ぶりに、同じチームで仕事をする。

5位になったあの日のように、大げさな言葉は必要なかった。

「じゃあ、またよろしく」

「よろしく」

電話を切る。

MUNE RACINGに、IGPを知るもう一人の人間が加わる。

朝倉が選んだ理由は、一つではない。

藤原への信頼。

自分の経験が必要とされていること。

未完成だからこそ、自分の仕事がチームの力へつながること。

そして――。

ほんの少しだけ。

市原の食堂で食べた、なめろう定食も。

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