81話 境界、その終焉
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Yamagata.T@puripuripunipuniuni・3時間前
境界とは距離ではない。それは「意思」が形づく
る向こう側だ。古の王たちは、権威のために神を
求めた。だが、境界を超える者は皆、己の中に神
を宿す。
境界は今日、静かに開く。
それを望む者の意思によって。
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***
邪神の影は麒麟から発せられる光を拒むかのように、そこだけが闇になっていた。
その闇は光を飲み込み膨張していく。
——光すら呑み込むブラックホールみたいになったら……
「「余は……余は……滅す……かへり……」」
響き渡る言葉もすでに、意味をなしていない。
「千尋……あれヤバい……」
「爆発したら……」
もう言葉は届かない?
でも、届けないと……
救えない。
「カイくん! 鏡を邪神に向けて!」
マカーベはタイラーから鏡を受け取ると鏡面を邪神の影に向ける。
鏡面は日の光を反射し、邪神の影を貫いた。
一瞬、向こう側の青空が見え、再び闇に覆われていく。
「「ああぁぁぁ……」」
苦しげに邪神は呻いた。
「ダメか……」
「日向! 草薙剣を振ってみて」
「届かないよ?」
「光を乗せる感じで」
「……やってみる」
日向は鞘から剣を抜くと、両手で頭上に振り上げた。
太陽の光が刃にきらめく。
「このまま振り下ろせばいいの?」
「うん。勢いよく」
「……分かった」
日向は草薙剣を振り下ろした。
「やっぱり、届かないか……」
草薙剣は虚しく空を切っただけだった。
『早く、飛び込め……』
麒麟の思念が響いた。
黄金に輝く麒麟の体が、さらに強さを増していく。
邪神の影の境界が、光でぼやけていく。
しかし影は消えず、薄まったまま膨張していった。
「麒麟でも、厳しいって……」
「どうする? マジでヤバい」
でも、まだ手段は何かあるはず。
考えろ。
こちらは三種の神器と麒麟がいる。
三種の神器……?
ふと閃いた。
「マカーベくんに鏡を私たちに向けてもらおう!」
「チヒロ……?」
「え?」
「日向! 草薙剣を構えて!」
「大丈夫なの?」
「分からないけど……」
最後の賭け……
三つの加護に賭けるしかない。
八咫鏡、草薙剣、そして麒麟。
「マカーベくん。邪神と私たちが一緒に映るように向けて欲しいの」
仮面ごしに目が合った。
マカーベの目が揺らいだ。
「それ、危険」
「お願い、合図をしたら……」
「……」
「信じて……」
「……それでも、やるんだな」
マカーベはかすかにうなずいた。
鏡を伏せて私たちの背後にゆっくりと移動する。
「あとは、勾玉……」
私はみんなに声をかけた。
勾玉で守ってもらう。
「みんなが一つずつ持っていよう」
「そうだね」
私の手の中に握りしめた五つの勾玉。
「白虎の勾玉」
柚月に手渡す。
「日向。青竜の勾玉」
「うん」
そしてスミレに振り向いた。
「これ、朱雀の勾玉。ずっとスザクで頑張ってたスミレさんが持ってて」
「いいの?」
「持ってて」
私はスミレに手渡した。
「わんわんわん!!」
「スザクもここにいてね」
私はマカーベに振り向いた。
「マカーベくん……カイくん!」
私はマカーベの元に向かって、柔らかな毛の上を走っていく。
「カイくん、返すね」
また目が合った。
今度はしっかりと視線が合った。
その手を握るようにマカーベの勾玉を手渡す。
たくましい手のひらが温かかった。
私はまた走って戻っていく。
「カイくん! 合図を出したら鏡を向けて!」
「分かった」
「日向! いい?」
「りょっ!」
「スミレさんも、こっちに来てください」
八咫鏡は真実を映し出す鏡。
邪神と一緒に映りこんだら、見えないものが見えるはず。
草薙剣は魔を斬り、邪を祓う。
私は目を閉じて深呼吸をした。
そして目を開けた。
「カイくん! 向けて!」
「行くぞ」
マカーベは鏡を私たちに向けた。
三つの光が、一つに重なった。
太陽の光が反射し、私たちと後ろの邪神をその鏡面に映し出す。
——かへりたし……かへりたい……かへれない……かへさぬ……
そのとき——
鏡の中から幾多の黒い亡霊が影となって飛び出してきた。
まるで私たちに取り憑こうとしているように。
私たちに向かって襲いかかった。
「日向! 斬って!」
「やーッ!!」
日向は掛け声とともに草薙剣を振り下ろした。
光に反射した草薙剣が影を切り裂く。
「もっと!」
「えいッ!」
日向は草薙剣を振り回した。
亡霊の影が剣に触れて消えていく。
「「ああぁぁ……ぁぁ……」」
後ろの影も、急速に萎んでいくのが鏡越しに見えた。
人の影がその中から現れる。
今だったら!
「スミレさん! 瀬をはやみ!」
「……分かった」
今なら分かる。
この世界に来て、この歌を残した意味が。
「「瀬をはやみ~ 岩にせかるる 滝川のぉ われても末にぃ あはむとぞ思ふ~」」
三度目のスミレさんと歌ったその歌は、完璧にシンクロした。
歌い終わると鏡から出て来た影が、光の中に消えていった。
——離れていても、また会える。
この歌は、そういう歌だったんだ。
みんなの想いも、連れて帰る……
「「ぁぁ……」」
邪神の影は人ほどの姿になっていく。
私は振り向いた。
「帰りたいんでしょ……私たちも帰りたい。一緒に帰ろうよ……」
邪神の影が揺れる。
「ストーク……一緒に帰ろう」
自然に口に出た。
この呪いの連鎖から、すべてを解き放ちたい。
「「か……へ……り……」」
「あれ、人の形……」
「泣いてる……?」
影はこちらに手を伸ばす。
「うん。一緒に……」
「か……へ……」
そして、影は光の粒子となって消えた。
「呪いが解けた……?」
柔らかな風が吹いた。
晴れ渡った青空が夕暮れで赤く輝く。
「終わったの……?」
「……終わった」
私は膝から崩れ落ちた。
「やっと……」
何かの気配がして、振り向く。
「……カイくん?」
「もう時間がない」
麒麟の姿も消えかかっていた。
『境界はついに消える……』
麒麟の声が遠くなる。
『この世界も人の世になる……』
麒麟の役目は終わった……?
もう神様はいらないの……?
「ヤバい!」
「急がないと!」
「わんわんわん!!」
「スザクも飛び込め!」
日向と柚月ががばと立ち上がり、スミレの両手を引っ張った。
「え?」
スミレがモノノーベたちがいる方向に顔を向けた。
そして、小さくうなずいた。
「夢の国に行きましょう!」
「帰ろう!」
「……そうね」
「そうこなくちゃ」
「いくよ! せーのッ!」
「きゃああ!!」
そのままスミレを突き落とすと柚月がスザクを抱え、二人も光の中に飛び込んだ。
「千尋も! 早く!」
柚月の声が響いた。
「マカーべ! 千尋をお願い!」
日向が叫ぶ。
「え?」
底なしの穴。
目も眩む高さ。
足が震え、身が竦む。
でも、飛び込まないと……
そのとき、マカーベに抱き抱えられた。
その腕が、一瞬だけ強く震えた。
「カイくん?」
「後を、お頼み申す……」
「いいの?」
マカーベはアベーノとタイラーに頭を下げた。
「チヒロ、行こう」
「うん! お願い!」
私はマカーベの首筋にしがみついた。
前方後円墳の穴の光は、消えかかっていた。
壁の淵から元の土が戻ってきている。
そこに私を抱えたマカーベが飛び込んだ。
「きゃっ!!」
必死にマカーベにしがみつく。
何かの抵抗を一瞬感じた。
見上げると、穴の上に麒麟の姿が見えた。
そして穴が再び閉ざされていく。
青空が消える。
落下する速度が光が消える速度に追いついた。
光の中を落ちていく。
どこまで落ちるのか分からない。
この世界で出会った人々のことが、脳裏を駆け巡る。
——この世界にも、生活がある。
生きるための仕事は、ここもそう変わらない……
残された人々も怨念となった人々も、同じ……
怨念から解き放たれれば……
あの二神も解き放たれた……
もうこの世界には、神様は必要ない。
私はいつの間にか気を失った。
*
「……尋!」
野太い声がする。
カビ臭い土の匂い。
どこかで嗅いだ匂い。
柚月の呻き声が聞こえた。
「……千尋!」
「……お父さん?」
「千尋!」
「お父さん!」
頭の上に涙に濡れた、しわくちゃとなった髭面の顔があった。
ランタンの明かりで照らされたその空間は、子どものときに落ちた、あの旧日本軍の遺構だった。
見上げると通風口の入り口が頭上に迫っていた。
「良かった……」
父は脱力して座り込んだ。
「日向! 柚月!」
「帰ってきた……?」
二人は起き上がった。
「スミレさん!」
「本当に……ほんとに帰ってきたのね……」
スミレは目に涙を溜めていた。
私ははっとした。
「……カイくん?」
マカーベが呆然と座り込んでいた。
汚れた毛皮のチョッキと鎖帷子がこの場では浮いて見えた。
「こっちに来ちゃったね……」
「……チヒロ」
マカーベは頼りなさそうな目で私を見た。
私のダース仮面は外されていた。
ランタンの明かりでその空間を改めて見てみた。
子どものときよりも、土砂が堆積していた。
そのとき、記憶が蘇った。
昔、ここに落ちたときは扉を開けてトンネルを抜けたんだった。
でも、そのトンネルに通じる扉は土砂に半ば塞がれていた。
——あの世界に戻らなかったら、あの扉は開かなかった……?
そうしたら、崩落の土砂に埋もれていた?
首を振った。
テントが張られている。
父の見慣れたテント。
「お父さん、……ただいま」
「おかえり……千尋……」
「待っててくれたんだ……ここで……」
これ以上は、もう言えなかった。
目頭が熱くなったと思ったら、とめどない涙が流れてきた。
「うえええん! 帰ってきたよ!」
「よしよし」
柚月が日向の背中を叩いている。
「あ、秋田さん。山形です。ええ、三人を無事に保護しました。ええ、車で送ります」
父はスマホで連絡を取り合っていた。
「草薙剣なくしちゃった……」
「八咫鏡もないね」
「でも……」
連絡を取り終えた父に聞いた。
「お父さん。今日って何日……?」
「……ああ、八月三十一日だよ」
「「八月三十一日!?」」
「マジか……」
「とんでもない夏休みになっちゃった……」
私たちは笑いあった。
地下から見上げる通風口には、スチールの梯子がかけられていた。
これならカイくんに背負われなくても登れる。
「お前たち、これから大変だぞ」
「おじさん。怖いこと言わないで」
「スミレさんも……連絡しないとだね」
「ええ……」
「夢の国、いついく?」
「カイくんは、どうするの?」
日向が聞いた。
「うちで。いいでしょ? お父さん! 境界の人だよ!」
父親はマカーベを見た。
「話したいこと、いっぱいある!」
「まずは、着替えと風呂だな。車で帰ろう」
通風口を登るとツクツクボウシが鳴いていた。
夏の終わりの夕方、気だるい暑さがまだ残っていた。
麒麟で、邪神も魔のものも祓われた。
あの世界の夏も、もうすぐ終わる。
私は玄武の勾玉を握りしめた。




