76話 神託
「じゃ、邪神じゃ……どうか、御鎮まりくだされ……」
タイラーがひれ伏した。
「グルルル……」
「スザク!?」
スザクが何かに気づき、唸り始めた。
「「器……」」
子どもの姿が光の中に揺らぐ。
すでに扉は消えていた。
——神様ッ!! 助けて……
でも、そんな都合の良い神様なんていないのは分かってる。
暗闇の中、アントークの怨霊と向き合うことになるなんて……
私は顔を上げた。
——八咫鏡はアントークの御霊を鎮めていた。
よく見るとアントークの姿はセイリューで見たときより威圧感は感じなかった。
「……早く……器を」
その顔が苦しげに歪む。
伸ばした手の先が明滅する。
だったら、まだ!
私は前を見据えて、日向を庇うように立ち上がった。
「日向っ! しっかり!」
「……千尋?」
「スザク! 大丈夫?」
「わんわんわん」
日向は座り込んだままだったが、柚月とスザクは元気そうだった。
「ミヤビさん!」
私はミヤビに声をかけた。
「はッ!」
呆然としていたミヤビもその呼びかけに正気に返ったようだった。
「ミヤビさん。女神の力で、アントークを祓えない?」
ミヤビも不完全なアントークの姿を認識したようだった。
「「うつわ……」」
その不完全な影が日向に向かって近づいてくる。
「やってみましょう……」
ミヤビは懐から布に包まれた鈴を左手首にはめ、鉄扇を取り出した。
「確かに邪気はすくのうなっておりまする……」
左手に持つ薙刀を床に打ち付ける。
鈴がしゃんと鳴る。
どんしゃんどんしゃん……
鉄扇が優雅に舞う。
「女神の大いなる御霊の力を!! 聖なる光よ! 邪を祓いたまえッ!!」
ミヤビの一喝で強い光が鉄扇から放たれた。
それは、日向に近づいていた子どもの姿を光の中に閉じ込めた。
「「器に……」」
しかし、光の中から黒い腕が伸びてくる。
「ミヤビさん……まだ……」
「さすが、不完全とはいえども、神は神……」
ミヤビはさらに鈴と薙刀を鳴らし打ち付ける。
鉄扇の舞も大きくなっていく。
どんしゃんどんしゃん……しゃんしゃんどんどん……
心地よいリズム……どこかで聞いた……
「女神の大いなる御霊の力を!! 聖なる光よ! 邪を祓いたまえッ!!」
二度目の閃光はさらに強かった。
一瞬で子どもの影は光の中に消える。
「う、つわ……」
それでも光の中から黒い影が現れて手を日向に伸ばした。
「ひっ……!」
「もっと強く! ミヤビさん!」
ミヤビはさらに激しく鈴と薙刀を打ち鳴らす。
「……あ」
しゃんしゃんどんどん……
その音が脳内を駆け巡った。
「瀬をはやみ!」
あのゲンブの神殿でレイスを祓ったあのときのことを思い出す。
「スミレさん! 一緒に!」
「なに? 千尋ちゃん?」
「崇徳院のあの和歌を! 一緒に!」
しゃんしゃんどんどん……
「分かった! あのときみたいに、光るのね?」
「このリズムでッ! せーの!」
私は目をつむった。
どん! のタイミングで私たちは同時に口を開いた。
「「瀬をはやみ~ 岩にせかるる 滝川のぉ
われても末にぃ あはむとぞ思ふ~」」
「女神の大いなる御霊の力を!! 聖なる光よ! 邪を祓いたまえッ!!」
和歌の終わりとともに、ミヤビの三度目の光が放たれた。
そして——
目も眩む白。
床が揺れた。
地鳴り。
「……う、つ、……」
小さくアントークの声が響いて、消えた。
「どうなった……の?」
「戻ってきた……?」
目を開けたとき、元の玄室に立っていた。
松明の明かりが揺れた。
「日向っ!?」
「千尋……柚月……」
「……大丈夫?」
日向の頬には赤みが少し差していた。
ゆっくりと日向は立ち上がる。
「呪い……解けた?」
私は尋ねた。
日向はうなずいたが、すぐに首を振った。
「最後、別の声が聞こえてきた……」
日向は柚月にもたれかかった。
「千尋の瀬をはやみ、のあと……声が……」
「声? 柚月、聞こえた?」
「……聞こえなかった、私」
柚月が指を顎につけて首をかしげた。
「なんて、聞こえたの?」
「あ、あれから……」
日向が指差した石棺の上に、何かの影がうごめき始めた。
「こっちかも……」
両方の石棺から影が湧き立つ。
「な、なに?」
「ストクとケイタイ」
スミレが言った。
そしてため息をついた。
「麒麟はびっくりしたけど、これは結局、この二神を呼び出すための儀式……」
「え? そうなの? ……スミレさん?」
「なんで? 知ってたの?」
私たちが驚いたのに、スミレは怪訝な声を出した。
「なんでって、あなたたち、女神でしょ?」
「は? 女神だけど……それが……?」
「え? ……どういうこと?」
「……アントークは、消えたの?」
私は混乱した。
どういうこと?
「まさか、聞いてないの? ストクからも?」
「……!!」
——ストクからもって、何?
今まで、味方だと思っていたスミレさんが……
急に得体の知れないものに変わっていく。
そのスミレの声が緊張を帯びた。
その言葉に神官たち、ミヤビが眉をひそめた。
マカーベが下を向く。
「な……なにをですか?」
「やっぱり……”神託”を受けてないのね……」
「神……託……?」
「私は神獣白虎と契約した」
柚月が言った。
スミレはため息をついた。
「伝説ではね、神獣使いはね。神様だけじゃないのよ」
ミヤビも補足する。
「”偉大なる母”も、神獣使いであり申した」
「マジか……」
「え? 女神って、神託を受けて、なるものなの?」
「……みんな、勘違いしてたってこと?」
私はアベーノを見た。
アベーノはうつむく。
マカーベ以外の視線が私たちに突き刺さる。
マカーベは何も言えず、ただ唇を噛み締めてうつむいていた。
私たちは言葉を失った。
——なに? ずっと神様だ、女神だと言い続けてきて、今更……
「じゃ、麒麟は?」
私は混乱した頭で整理してみようとした。
「麒麟は、原初の神なんでしょ?」
——それを一時的にでも、呼び出したのなら……
私はタイラーを見た。
タイラーは視線を逸らした。
「四神を統一した神は、今までいなかったんでしょ?」
「……」
「四神は邪神を食い止める存在ゆえ……」
「麒麟は……?」
「はて? 知りませぬ……」
アベーノの声が低くなった。
——そうか。
私は今更ながら思い至った。
神の神託を受けて初めて、魔の物が鎮まるのか……
神レベルって、そこから始まる……?
マジか……
それで邪神化すると、ヒュドラとかキマイラとか引き寄せる……
それを祓うのが勾玉と神獣……?
なにそれ? そんなの誰も教えてくれなかった……
「……」
「私たちは、帰りたかっただけなの!」
日向が叫んで、うずくまった。
「う、う……」
「日向……」
日向は泣き崩れた。
「私も、ただただ! 帰りたい!!」
柚月も叫んだ。その目に涙が潤んだ。
「……絶対に帰る」
私は拳を握った。
でも視界がぼやけた。
「どうやって? ……みんな帰りたいのよ」
スミレがやさしく言った。
「この世界の人はみんな、もともとはビャッコの言う迷い人とその子孫」
「スミレさん……」
「でも、困ったわね……女神じゃないとしたら……」
スミレはため息をついて腕を組んだ。
その言葉に冷たいものが背中を走った。
「どうしようかしら……」
——もしかしたら、死罪……?
私の目の前が、真っ暗になった。
知らずに膝から、崩れ落ちていた。
もう頼りの勾玉は奉納してしまった。
神獣たちは、もう守ってくれない?
鏡も剣も……
詰んだ……
完全に、終わった……
帰れないどころか、処刑……?
この世界に来て、これ以上の絶望はなかった。
日向が泣き叫ぶ声が聞こえる。
柚月も声を殺して、泣いている。
神様は、いない……
とめどなく流れる涙にも気が付かない。
——お父さん……
お母さん……
会いたい……
私、泣いてる……?
そう思ったとき、頭の中に鳴り響く声が聞こえてきた。
石棺の上の大きな勾玉が一瞬、輝いた。
——神として、生きる意思はあるか……?
その声に、もう一つの叫びが混じった。
——器だ……”それ”は我の器……




