75話 扉
「勾玉……多分、嵌める順序があるはず……」
窪みは横一列より、少しはみ出して彫られていた。
「トンナンシャーペー?」
「そうだと思う……」
柚月が家族麻雀で仕入れてきた言葉を使う。
「東だったら、青竜……」
私は日向を見た。
日向はうなずいた。
「嵌めてもいい……?」
「嵌めなきゃ、始まらない」
柚月が言う。
能面の下で表情は読めないが、反対していた柚月も諦めたようだった。
ここに来るまで強制転移はなかった。
強制転移をされたら、スミレとはさようならだった。
でも、あの時とは状況は異なる。
ひとつに、今は三種の神器がある。
もうひとつは、今は電波を探していない。
「日向、嵌めてみて……」
日向は勾玉を、落とさないように窪みに押し付けた。
「わっ! 吸い込まれた……磁石みたい……」
勾玉は窪みにぴたりと嵌まった。
日向はほっとしたような顔をした。
「呪いの影響はない?」
「分からない。……だるいのは同じ」
「次は、マカーベだけど……」
柚月がちらっとマカーベを振り向いた。
「先に、柚月が行って」
もしマカーベの勾玉がスザクのものでなかったら……
結局、マカーベの勾玉について聞く機会はなかった。
「ほんとだ。吸い込まれた……」
「でしょ?」
「じゃ、私……」
私はお守りから勾玉を取り出した。
熱はないが、怪しく光っている。
「お願い……」
ゲンブの勾玉は、窪みに吸い込まれてぴたっと嵌まった。
「最後……マカーベくん」
「……俺は」
マカーベは躊躇した。
最後の勾玉を嵌めたら、何が起きるか分からない。
ひょっとしたら、とんでもないことになるかも……
「もし、違ってたら、嵌まらないと思う」
もし嵌まらなかったら?
そうしたら、スザクの神殿に行って取ってこないといけない。
——そっか、アベーノに聞いておけば良かった。
本当にスザクの神殿に勾玉はあるの?
後悔、先に立たず。
どうする?
戻る?
振り向いた私にみんなの視線が刺さった。
「違ってたら、どうするの?」
スミレが腕を組んだ。
「アベーノさん。スザクの神殿の祭壇に勾玉はある?」
セイリューの神殿で八咫鏡があったあのピラミッドの祭壇。
そこにある?
もう、聞いてみるしかない。
しかし、アベーノは片膝をついたまま首を振った。
「あの祭壇の扉は開きませぬ。代々『開けるな』と言われているものゆえ……」
「……!」
誰かの息を呑む音が響いた。
「開けるな?!」
扉を開けるな。
夢の中での父の言葉……
記憶の底……でも、あのときはあの扉を開けて外に出たはず。
「千尋……? どうするの?」
ここまで来て引き返せない。
——開けるな……
開けるんじゃない。
帰る。
「マカーベくん、お願い!!」
マカーベは首を縦に振って、懐から勾玉を引っ張り出した。
視界の端で、ミヤビの目が見開いたのが見えた。
マカーベは勾玉を窪みに嵌めた。
「……は、嵌まった?」
「バウバウバウ!!」
「スザク……?」
そのとき、スザクが狂ったように吠え出した。
スザクの首輪のGPSリングから赤い光があふれた。
その光はマカーベの勾玉に吸い込まれていく。
そして残りの全ての勾玉が光った。
二つの石棺の上にある勾玉も一瞬だけ輝いた。
「きゃ……」
「なに……」
「え……」
「わ」
次の瞬間、視界が黒く塗りつぶされた。
一人、暗闇の中に立っている。
目の前に光り輝く巨大な扉が見えた。
「……とびら?」
声に出したはずなのに、その言葉は自分の耳に届かなかった。
「マカーベくん!! ……カイくんッ!!」
叫び声すら、聞こえない。
——な、なに、あれ……
扉についている巨大な前方後円墳。
いや、違う。
あれは鍵穴……
——開けるな……って、あれのこと?
考えると、頭にずきんと痛みが走った。
扉についている前方後円墳が光った。
同時に扉が開いていく。
光が隙間から漏れ出す。
その光はこの場にいる全員を照らし出した。
皆、光を受けて、なすすべもなく立っていた。
「日向ッ! 柚月ッ!」
二人は呆然としていた。
振り向く。
「マカーベくん……」
マカーベも前方に釘付けになっていた。
「お、お、お、原初の神……」
タイラーがつぶやいた。
「千尋……あれは、なに?」
日向がその細くなった手で指差した。
「あ、あ、あれは……」
扉が全て開いた。
光の中から巨大な生き物が姿を現した。
「まさか……」
光り輝くタテガミ。
凶暴そうな牙。
知的な瞳。
「マジ、やばい……」
神々しいまでの圧倒的存在感だった。
「あれは、なに?」
日向の声が震えた。
「あれは、麒麟……!」
「は?」
「キリン?」
「きりんて、……麒麟自動車の?」
世界有数の自動車メーカーのエンブレム。
その麒麟の周りに四神が飛び交った。
「玄武様!」
「ビャッキーも!」
「セーリュー!」
「……ザッキーは?」
神獣朱雀の姿は小さかった。
その炎はやがて、かき消されるように薄れていく。
「朱雀の本尊がおらぬ?!」
モノノーベが叫んだ。
「やはり、三女神は偽神だったか!!」
その言葉に呼応するように麒麟の姿が崩れていく。
光が崩れ、麒麟の輪郭が歪む。
その姿が裂けていく。
「……我を……呼び覚まし……」
低い声が、空間に滲んだ。
「……足りぬ」
四神が、一斉に退いた。
青竜が苦しげにうねる。
白虎の姿が揺らぐ。
玄武が潰されていく。
朱雀の炎は、消えた。
「きゃあああぁぁああ!!」
日向が耳を押さえてしゃがみ込んだ。
「日向っ!?」
「どうした?!」
日向の体から黒い影が湧き上がる。
そしてその影は麒麟だったものに吸収されていく。
「日向っ! 日向っ!」
「やばい……」
日向は目を閉じ、ぐったりと座り込んだ。
真っ青な顔で荒い呼吸を繰り返していた。
「これは……神じゃない……」
タイラーがつぶやいた。
「神になり損ねたもの……」
光の中心で、人を形づくる。
それは、子どもの姿だった。
そして、その瞳には、何もなかった。
「……空っぽ」
私はごくりと唾を飲み込んだ。
そして、それが顔を上げた。
「器」
その言葉だけが、暗闇に落ちた。
そしてその指が、日向を指した。
「アントーク?」
「なんで!?」
「もう! いやッ!!」
——なんで? なんで!? なんでーッ!!!
私は頭を抱えて膝から崩れ落ちた。
「神様ーッ!!」
私は叫んだ。
「いるんでしょっ! 神様! いるなら神様! 助けてよッ!!」
その声は、どこにも届かなかった。




