72話 神廟へ
船旅は、三日かかるらしい。
下りより上りの方が時間がかかるのは理解ができた。
揺れる船内で私たちの表情は暗かった。
「お姉さんのお弁当、美味しかったな……」
二日目の夜、日向がフォークの先で、生臭い焼き魚をつついた。
顔色はさらに悪くなっていた。
「日向……体、大丈夫?」
「うん、少しだるい……」
日向は草薙剣を重そうに背負い直した。
「それ、置いといたら……?」
「手放したら、すぐ乗っ取られそうで怖い」
日向はパンを少しかじった。
「まったく! この剣! また論破してやりたいけど……」
「……中に入ったら、きっとアントークがいるよ……」
「そうだよね……入り方も分からないし……」
あのときのように剣を握っても、何の反応もなかった。
アントークの妄執は私たちにとって、理解不能だった。
言葉も届かないし、きっと分かり合えることも未来永劫ない。
「神廟は港の街から馬車で二日って言ってたね」
「あと、三日……」
「スザクの神殿には寄るのかな?」
「……ミヤビさんはまっすぐ行くと言ってたから」
船室の簾の向こうに巫女が薙刀を構えているのが見えた。
そのさらに奥、ミヤビの影がピクリとも動かずこちらを見据えていた。
知らず知らずに声が小さくなる。
「ミヤビさんは、きっと私たちを帰さない気だよ」
「神の統一……か」
「日向が言ってた、神様いすぎ問題……」
私は今まで考えていたことを話し出した。
「スザクの男神、ビャッコの女神……多分、システム、もともと同じ」
この世界には魔法的な奇跡の力をミヤビたちは信仰から得ている。
それには神が必要。
男神の力も、鬼を封じ込める。
「この世界にはどこかに統一神がいて、その力を少しずつ授かってる」
「……うん、それで」
「多分、それぞれの神さまからバラバラに受け取ってる」
「ん?」
「それは勾玉も三種の神器も分散していたから」
「なんで、一緒にしとかなかったんだろ?」
「邪神化した神を封じるため……」
ケータイ祖神もスザクの顕現はできなかったとモノノーベが言ってた。
ストークの時代にはアントークが邪神化して青竜を封じ込めていた。
「スガワーラが言ってた千年の眠りって、言い伝えの発祥から千年前のことだと思う」
「じゃ、実際は何千年も前?」
私はうなずいた。
「継体天皇は五世紀くらい。だから千五百年前くらいが、最後……」
「つまり?」
「その前は統一神がずっとこの世界にいた」
「それで?」
「神廟で、何かに認められたら、私たちが統一神にされちゃうかも」
「マジか……」
「最悪は、私たちが世界統一神として、この世界で一生、崇められて……」
「……帰れないの?」
「邪神もいるし、この世界が魔物であふれてるから」
「だから、ミヤビさんは私たちを絶対に帰したくはない……?」
「……」
セイリューの神殿から、ミヤビから感じる空気感はまるで変わった。
それは、もはや信仰や崇拝ではなかった。
私たちの全く知らないシステムに組み込んでいくような……
いや、もはや「檻の中の生贄」を見る看守の目だった。
——マカーベくん、会いたい……
だけど、昼間一番船を甲板の上からどんなに探してもその姿を見ることはなかった。
「くうん」
スザクが足元で鳴いた。
「大丈夫! 絶対に帰るから! お前も早くご主人様のところに帰りたいよね」
「わんわん!」
私は顔を上げた。
「絶対に帰れるから」
「千尋が言うなら大丈夫でしょ」
「うん、信じる」
そう言ってくれる日向と柚月が、ありがたかった。
帰れる根拠はある。
「大丈夫……」
あるけど、何かが引っかかってる。
まだ境界は閉じられていないハズ。
まだこの世界に来て一ヶ月……
スミレさんが来た場所、ナガノさんが来た境界はすでに崩れていた。
でも、神廟、スザクの神殿はまだ健在。
翌日の夕方、港町に着いた。
港は人で溢れていた。
『四神の女神さまッ!!』
『世界統一神さまーッ!!』
「マジャバーッ!!」
河辺には人が溢れ、口々に声援が飛んだ。
かつてないほど神レベルが上がってる……?
だから、マカーベくんが私たちを避けている。
直感的に分かった。
あの口調で私たちと接しているのが分かったら、熱狂的信者に何をされるか分からない。
私はジト目でその人々を眺めた。
スザクの神殿にあった駕籠が三台、港に待機しているのが見えた。
「御主女神さまがた……今宵は神殿でご宿泊ののち、明朝、神廟へ発つ馬車をご用意仕り、そふらふ……」
平底船が港に着くと、駕籠が平底船に乗り込んできた。
アベーノもついて来てそう言った。
「アベーノさん。タイラーさんは?」
「タイラー上神官も、神廟に同行いたしまする……」
「無事、だったんだ……」
日向がほっとしたようにつぶやいた。
その顔色は昨日より悪くなっていた。
マカーベは結局船旅の間、一度も姿を見せなかった。
神廟にも来てくれるよね……
駕籠は私たちを乗せて、船から降りていく。
神殿までこのまま向かうという。
それは、大名行列のようだった。
——早く、帰りたい……神様なんて、早くやめたい……
マカーベくん……カイくん……こんなの嫌だよ……
沿道から響いてくる歓声が遠くなってゆく。
神殿はきれいに掃き清められ花で飾られていた。
「もう、疲れた……」
神殿の奥の部屋にようやく三人とスザクだけになったとき、私たちは床に突っ伏した。
神殿に入ってからもアベーノに延々と長口上を聞かされた。
そのあと港の領主が来て、騎士団長が来て、富豪のような商人が来て、挨拶を受けなければならなかった。
「こっちの都合はおかまいなし……」
「この神殿って、住居としては不便すぎる……」
「人が住む設定じゃない……」
私たちは品数だけは多い夕食を取った。
「私、果物だけでいい……」
「食欲ない……」
奥の部屋には寝台が三台並べられていた。
私たちはふかふかのベッドに倒れ込んだ。
「お風呂、入りたい……」
「神廟まで、馬車で二日って言ってたね」
「カイくんも来るって」
*
私たちの乗った馬車と隊列は、スザクの平原を神廟に向かっていた。
馬車が連なり、前後をモノノフが護衛する。
私たちの周りはミヤビと巫女が囲み、馬車の先頭にマカーベが馬に乗っていた。
「せ、せいりゅうの、め、女神さま……」
出発の時、タイラーが挨拶にきた。
輿に乗せられたその体はヨボヨボだった。
「おじいちゃんになっちゃったね……」
「本当に浦島太郎……」
「でも、生きててよかった……」
ふさふさだった茶髪は、すべて抜け落ちていた。
その目だけが不自然に澄んでいた。
「こ、この目で……神廟での統一神の、ご降臨を……拝したく……」
息も絶え絶えに述べた。
「分かったから、無理しないで……」
「そのお言葉、ありがたや……」
タイラーは涙声で額を床に擦り付けた。
アベーノが泰然としていた理由がわかった気がした。
もう、ライバルではなかった。
そのタイラーも他の馬車に乗せられている。
私たちの神廟の到着とスミレさん、モノノーベたちの到着は同日ということだった。
「日向……大丈夫……?」
「なんとか……」
日向は痩せてきていた。
顔色は悪いまま。
夜の天幕でうなされ、あまり眠れていないようだった。
不穏な空気の中、馬車はついに鍵穴のような前方後円墳をとらえた。
なぜか息が詰まった。




