70話 宇宙人
神輿は、ぎしぎしと音を立てながら坂を登っていく。
水の引いた川底は、ぬめる茶色の泥で覆われていた。
「御主女神さまがた……御御足を汚さぬように、このアベーノ、神輿を御用意してお待ちいたして、そふらふ……」
アベーノはタイラーを意識したかのように殊更に主張した。
タイラーの顔が、わずかに歪む。
「ありがと、アベーノさん……」
私は椅子の手すりにしがみつきながら、お礼を言った。
先頭にナガノとイシカーワ、遅れて老スガワーラが続く。
松明持ちのモノノフが私たちの前後につく。
ヨシーノは若いスガワーラを捕まえて何やら話していた。
揺れて高い神輿の上は、落ちたら無傷で済みそうもなかった。
マカーベが心配げな顔で下から見上げた。
傾く神輿の上で生きた心地がしない。
でも、マカーベに精一杯の笑顔を作った。
集落につくころには、日は暮れていた。
コージが先に帰還を告げに言ったのだろうか。
ナガノ家の周りには、集落の人々が集まっていた。
「お年寄りばっかりだね……」
「十人くらいいる?」
「あんたがた、オロチやっつけったって、本当か?」
「どこから来たんだべ?」
「可愛い女の子じゃ」
口々に言い合う集落の人々をナガノの姉が制した。
「ちょっと、疲れてるから、マツモトのおっちゃん、あとでね」
「スワさんも、明日ご飯もっていくからね」
「ウエダさん。風邪は治ったの? 寝てないとダメ」
私たちは神輿を降り、モノノフたちは川原に降りて行った。
「おかえりなさい!」
姉が笑顔で手を広げた。
「遅いから、心配したのよ」
「ただいま、帰りました!」
「オロチ、やっつけたよ!」
「いい匂い!」
庭にまで良い匂いが漂ってきていた。
「ご馳走作って待ってたの」
私たちは縁側から家に上がった。
「びしょ濡れね……お風呂も沸いてるから、先に入ってらっしゃい」
「お風呂! うれしい!」
「ありがとうございます!」
私たちはどたどたと走ってお風呂場に飛び込んだ。
はちみつの香りが漂う蜜蝋の蝋燭の灯りが、ぼんやりと浮かぶ。
「生き返るぅ〜」
「風情があるねえ」
さっぱりした私たちは私服に着替え、居間に駆け込んだ。
ミヤビとマカーベは板の間で待っていた。
「こっち来なよ」
「我々は汚れていますので、こちらで」
「そっか……」
頑なに固辞する二人の前に、コージが食事を持って行った。
「美味しそう!!」
大型の重厚な座卓の上には、所狭しと料理が並んでいた。
丸鶏の蒸し焼き、焼き魚、オムレツ、具沢山の味噌汁、野菜の漬物。
「いただきまーす!!」
「召し上がれ」
微笑んだ姉の顔がふと曇った。
「……こちらの方は?」
姉が現地の服装をした老スガワーラに不審の目を向けた。
「スガワラさんだ……」
蜜蝋の蝋燭がジジ……と揺れる。
ナガノが胡座をかいて、ひょうたんの酒を湯呑みに注いだ。
「飲むか?」
ひょうたんを振ってみせる。
老スガワーラは首を振った。
「イシカーワさん?」
イシカーワの湯呑みに酒を注ぐ。
「感謝いたす」
姉が待ちきれないという面持ちで口を開いた。
「ほんとうにオロチやっつけたの?」
姉がナガノに聞いた。
「ああ……高台から見てた。嵐になってな。オロチがうじゃうじゃ出てきた」
「……こっちも嵐だったけど……よく、無事だったわね……」
「竜だ、あとデカい亀、それと白い虎もいたな……」
ナガノは酒をあおった。
「見てたんだ……」
「ほんとなの?」
「うん、神獣たちが助けてくれた」
柚月が鳥にかぶりついて言った。
「神獣……?」
「それと、この剣……」
日向がオムレツを頬張って背中の草薙剣を見せた。
ナガノの目が光った。
「その鞘の模様……裏山の洞窟に同じものがある」
と言ってスガワーラに視線を向けた。
イシカーワが訳して聞かせると、スガワーラの目が見開いた。
「……?」
私の胸がどくんと脈打った。
——境界……?
ここから帰れる?
勾玉もある。
日向の呪いは、神廟で解けるって、言っていたけど。
スミレさんとの約束もある……
「ここに来た時からずっと、気になっていた……」
ナガノが声をひそめた。
「それと……タイラー? あの男……生きているのか?」
「えっ?」
私たちの箸が止まった。
「あの男、茶を飲まなかった」
ナガノは酒を注ぎ足した。
「三時間、櫂を漕いで、まったく疲れた様子もなかった」
「……確かに、二十年、閉じ込められてて……」
ぞくりと冷たいものが背中を這った。
亡霊……?
「ミヤビさん? ミヤビさんは何か、分かる?」
「……そういうもの故に」
首を振ったミヤビの顔から一切の表情が消えた。
ただシステムとして「当然のこと」と述べているような無機質さがあった。
その顔はまるで、言葉は通じるのに絶対に理解しあえない宇宙人のように感じられた。
「ここは、地球ではない……」
ナガノは静かに話し始めた。
「星空が違う……一年の長さも少し違うようだ……そして、オロチ……」
「別の星……?」
「分からない。ただ、俺は……」
ナガノは手に持つ湯呑みに目を落とした。
「……あの、土石流で死んだはず」
「……」
「土石流で土砂に埋まり、息が出来ず、死ぬと思った……骨の折れる音も聞いた。俺はあそこで、終わったと思った」
姉が、小さく息を呑む音が聞こえた。
何も言わず、ただ冷めたお茶をじっと見つめていた。
その言葉に、私たちは硬直していた。
もしかして、私たちも……?
まさか、トンネルで生き埋めになってた……とか。
否定したいのに、うまく言葉が出てこなかった。
スミレさんも田んぼで陥没した穴に落ちたって言ってた……
もし、死んでいたら、帰ったら、どうなるの?
……帰れない?
誰も何も言えなかった。
「気がついたら、ここにいた……家も体も無事だった……」
ナガノは首を振った。
「ここでは間違いなく生きてる」
酒を飲み干して、また注ぐ。
「この三十年……集落の仲間を何人も看取った……」
ナガノはスガワーラに向き直った。
「教えてくれ……ここは、……どこだ?」
スガワーラはイシカーワの訳を黙って聞いていた。
『ここは、境……』
そして目を閉じて話し出した。
『門は土と岩で塞がれた。現世を捨てて、常世の「神の器」となる』
ミヤビが無機質に訳していく。
『黒き兜が光を呑み、四つの印が揃うとき、千年の眠りは覚める……』
そこで口を閉じた。
『古き言い伝えにて……』
誰もが無言だった。
「……千年の眠りって何?」
『分かりませぬ……』
老スガワーラが首を振った。
「意味が分からない……結局、タイラーは死んでるの? 生きてるよね!?」
日向が頭を振って聞いた。
『長らく向こうにいた者……勾玉で守られてなければ、今頃……』
「に、二十年前と、そっくりそのままの姿であり申した……」
イシカーワが震え出した。
「もしかしたら、寿命が尽きてるかも、と?」
浦島太郎みたいに……?
私たちも、少しの時間だったけど、鏡の中に入ってた。
『裏山の洞窟は、すでに門としての、役目を果たされ申した……』
スガワーラはナガノに向き直った。
ナガノはため息をついた。
「じゃあ、お嬢ちゃんたちの言う、境界はもう開かないんだな?」
スガワーラは頷いた。
『神廟に行きなされ……神廟で千年の眠りを解き放つ。さすれば願いは叶うであろう……』
食事は冷めていた。
食欲はもう、なかった。
虫の声が、なぜか無かった。
死んでるかも、知れないって……
絶対に、そんな訳ない……




