69話 磁石
夕暮れが近づいていた。
小舟は流れに逆らい、鈍く進む。
——行きより、水が重い。
ナガノが船尾で櫓を操る。
「岩だ。右へ寄せる」
漕ぎ手に合わせて、舵を取っている。
「ナガノさん、まだ着かないの?」
「時間がかかりそうだ」
ナガノは空を見上げた。
「休憩して、一服するか」
ナガノは砂地に船を寄せていく。
イシカーワが上陸して、砂地にへたり込んだ。
ナガノはペンキの空き缶に熾火を入れて持ってきていた。
缶の蓋を開けると灰の中に赤い光が見え、焦げ臭い匂いが漂った。
慣れた手つきで着火用の木の繊維に息を吹きかけるとものの数十秒で、火を起こして見せた。その上にヤカンをおく。
砂地で老スガワーラがひれ伏した。
『これは、サンシュノォジンギ。クシャナーギノチュルギとお見受けいたす』
老スガワーラは現地語の中に日本語を混ぜて話した。
日向は背中から草薙剣を前に回して見せる。
「どう? なんか感じる? 日向?」
「やっぱり重くなってるよ……」
日向は不安そうな顔を見せた。
「なにか、分かるの……?」
『このチュルギに、アントーク御神の魂が……』
訳していくミヤビの顔色が変わっていく。
『八咫鏡と引き合ってございまする』
「それで、どうなるの……?」
日向が不安そうな声を上げた。
『力を得れば、持ち主もアントーク御神に……』
老スガワーラが首を振った。
『剣の持ち主の体を……』
「……体を、乗っ取られるってこと?」
『それ以上は、申せませぬ……』
日向の顔が青ざめた。
「……そんなのイヤ……私じゃなくなるって、……こと?」
まだ終わらないって、こういうこと?
日向が、乗っ取られでもしたら……
「ミヤビさんの女神の力でなんとか、ならないの?」
「私も気がつきませんで申し訳ありませぬ……アントーク御神の力、同じ神の力ゆえ……打ち消せませぬ」
ミヤビが首を振った。
「邪悪じゃないから……?」
ヒュドラは追い払う事ができた。
でも……
私は腕を組んだ。
日向の魂が宿った草薙剣に、アントーク御神の魂が侵入している?
負けるとしたら……それは……
神レベルの差……?
いや、神としての覚悟の差……?
「今はまだ……邪は感じられませぬ……」
でも、八咫鏡の本体が草薙剣のアントークと合流しようとしている……?
「草薙剣に入った魂の一部が、八咫鏡の本体を呼び寄せようとしているってこと?」
私はそう推測した。
『我が、家系に伝わる文書によりますれば……』
私たちの会話をミヤビから聞いた老スガワーラが、わずかに頭を上げた。
『サンシュノォジンギ、それぞれに神が宿りまする……』
老スガワーラが口を開くたびに空気が冷たくなっていく。
『キャギャミはアントーク御神の御霊を鎮めておりましょう。しかしながら……チュルギは……青竜の女神さまの御霊のお力は、……まだお弱い』
老スガワーラの声が低くなる。
『チュルギは、強いものを宿すもの……』
アントーク御神の妄執の強さ……
「……アントーク御神が強ければ、……負ける?」
『……』
老スガワーラは何も言わなかった。
「マジか……だからこの剣、すぐに呪われるのか……」
日向がうなだれたとき、ナガノが立ち上がった。
「茶が入った。……まあ飲んでくれ」
ナガノは年季の入ったプラスチックのコップにヤカンのお茶を注いでいく。
重ねてあるコップは人数分以上あった。
独特な苦味のあるお茶は、慣れてくると気持ちをほっとさせる。
でも、草薙剣はどうしたら良いの?
私は日向が持つ草薙剣を見つめた。
その視線の先にマカーベの姿があった。
マカーベが日向に心配そうな顔を向けている。
その顔はなんだか、幼なげに見えた。
——年上だとは思うけど、もしかして年が近い?
って、何考えてるの、私。
私は首をふった。
「八咫鏡を、スガワーラさんに預けて置いていったほうがいい?」
磁石みたいに引き合ってるなら、物理的に距離を離せばいい。
それでまたスガワーラさんたちにセイリューの神殿で守って祀ってもらう。
『三種の神器は、四神を統一された正統なる神の元に収まるものでございます』
老スガワーラがひれ伏した。
『離せばまた、災厄がふりかかりましょう』
ミヤビが訳してひれ伏して言った。
「四神統一神である女神さまがたのお力があれば、呪いなど、たちどころに祓えてしまいましょう」
「ミヤビさんまで……」
「……勘弁して」
「結局、丸投げ」
私たちの頭は、がっくりと落ちた。
『神廟にて、安置するのでございます』
老スガワーラが言った。
『四神の勾玉と、ともに……』
「そういえば、あそこに勾玉を嵌める穴があった」
日向が言った。
「そうすれば、呪いが解ける?」
『正統なる神として、女神さまがたが、神廟で認められればアントーク御神も納得いたしまする……』
「神廟……」
『アントーク御神は……正統なる神と認められることを、何より求めておりました……』
「神廟には、行くつもりだけど……」
それは最終目的地だ。
そこから日本に帰る。
でも、何より日向の呪いを早く解かないと……
乗っ取られたら、帰るどころじゃ、なくなる……
「じゃ、早く神廟に行こうよ!」
日向が立ち上がった。
「そろそろ、行くぞ……」
ナガノも立ち上がる。
私たちはまた川に、小舟を漕ぎ入れた。
川の水量は半分にまで減っていた。
日が暮れるギリギリで、私たちは船団の元についた。
川原の陣には篝火が焚かれていた。
「御主女神さまがた……!! ご無事でッ!! ご無事で……」
アベーノがつまずきながら走ってきて、川原に額を擦り付けた。
「アベーノ……ただいま……」
「アベーノ神官長?!」
タイラーが櫂を素早く手放した。
「そ、その声は、も、も、もしや……タ、タイラー上神官どのッ!?」
「アベーノ出迎え、大義である」
タイラーは一転、尊大な態度になった。
船の中で立ち上がる。
「なんか、やなヤツだな……」
日向がつぶやいた。
「タイラー上神官どの、今や私も御主女神さまがたを神に戴く上神官でありますぞ」
アベーノも負けてはいなかった。
「ほう……うまくモノノーベに取り入ったようだの……」
「いまや、モノノーベも上神官にて……」
お互いの視線が火花を散らした。
「喧嘩はしちゃ、ダメ」
「喧嘩したら、セイリューの神殿に置いてくよ」
その日向の声に二人は同時に平伏した。
「ははっー!」
「揺れるから、タイラー」
急造の神輿が船縁につけられた。
椅子を担げるようになっている。
私はおそるおそる乗り移った。
四人の男が持ち上げる。
「ちょっと! 怖いんだけど……」
「絶対に落とさないで……」
ナガノは帰りを待っていたコージと何かを話していた。
「タイラーさんとアベーノさんは、ここで待っていてもらおう」
ナガノのその声に二人は情けない顔をした。
「イシカーワさんとスガワーラさんは来てほしい」
老スガワーラの顔が緊張に強ばった。
「……妙に、引っかかる」




