66話 青竜解放
強風を伴う強い雨が私たちを打ちつけた。
神殿の下からヒュドラがはい上がってくる。
「下のスザクとイシカーワたちが危ない!」
私は叫んだ。
そして、その次は塔の上にいる私たち。
白い風が白虎を形作り、岩山のような玄武が幻のように眼前に浮かんでいる。
「ヌッシー! ビャッキー! お願いっ! みんなを守って!」
私たちの勾玉からは、光が漏れ続けている。
その光に神獣たちが反応している?
そういえば、神獣朱雀は?
私はマカーベの胸元を見た。
千尋から、スザクの勾玉を持っているかもと聞いていた。
しかし、その胸元の勾玉は分厚い鎖帷子と毛皮のチョッキに隠されて光っているか分からなかった。
今のところ朱雀は、スザクの首輪に宿っているらしい。
だけど本来宿るべきは、勾玉。
マカーベの勾玉は、スザクの勾玉じゃないの?
でも、本尊はスザク山にいるから、違うのか。
ヒュドラの長い首が眼下に揺れている。
考え事してる場合じゃなかった。
私は草薙剣を鞘から抜いた。
でも、これで何をしたら……いいの?
「女神の大いなる御霊の力を!! 聖なる光よ! 邪を祓いたまえッ!!」
ミヤビの鉄扇が舞った。
目も眩む光。
その光は神殿の壁を登ってくるヒュドラを一瞬にして引き剥がし、暗い湖に落としていった。
しかし、それはほんの束の間だった。
ヒュドラは倒れた同胞を踏み台に、再び這い上がってくる。
「スザク!」
柚月が叫んだ。
「バウバウバウ!!」
テラスでスザクが吠え立てている。
「ビャッキー!! スザクを助けて! お願い!」
ビョオオオォォォ……
その願いに応えるように、塔の周りで白い風が渦巻いた。
壁に取りついたヒュドラの首を切り裂いていく。
神殿の壁が血に染まり、叩きつける雨で流される。
「「余が、世界の統一神になるのじゃ!! 三種の神器とそこな依代は余のものじゃ!!」」
子どもの亡霊が嵐に浮かび、私たちを見て叫んだ。
稲光のその下で、ヒュドラが蠢いた。
「「沈めぃ!! 神殿ごと、すべてを水の底に!!」」
アントークの号令とともに、湖面から一斉にヒュドラが首を伸ばした。
押し寄せる黒い首がうねりとなり、高い白波が上がった。
波同士が合わさり、次第に山のような津波となって神殿に襲いかかる。
「お願い! 神獣玄武さま! 邪神を鎮めて!!」
雷光が空を切り裂き、神獣玄武の山のような威容が神殿の前に顕現した。
次の瞬間、轟音とともに目の前に、空まで届く波飛沫が上がった。
津波の勢いは玄武の体で勢いを削がれ、神殿は直撃を避けられた。
「玄武さま!」
水飛沫が塔の上にまで、降り注ぐ。
しかし、波と一緒にヒュドラも飛んできた。
「「ビャアアアッ!!」」
「きゃあッ!」
「チヒロッ!」
ヒュドラの大口が、千尋の目の前に迫った。
その細い腕を、マカーベが間一髪で掴み取った。
ヒュドラの口は空を噛み、放物線を描いて湖に落下していく。
「「器があればよい! 三種の神器ごと! 水の底に引きずり込めぃ!!」」
ヒステリックに子どもが叫ぶと、ヒュドラがさらに猛り狂った。
神獣玄武が長い首を伸ばし湖面のヒュドラを次々と飲み込んでいく。
神獣白虎は嵐に負けないほどの風を起こし、壁にとりついたヒュドラを剥がし落としていく。
それでもヒュドラは湖から湧き起こり、登ってくる。
壁を登るヒュドラは、首を塔の上にまで伸ばしていく。
「「余の眷属よ! 冥府より出でよ!!」」
アントークの叫びに湖面が渦巻いた。
空気が震えた。
ヒュドラが長い首を次々と空に伸ばしていく。
ヒュドラの無数の赤い目が嵐の中に光った。
「……うそでしょ?」
「無理無理無理……」
「キリがない……」
ヒュドラの大群に取りつかれた神殿は、その重量で壁が崩れていく。
塔が揺れ、石畳に亀裂が走る。
そして、ヒュドラの大口が塔の上に伸びた。
「きゃっ……」
「邪を……祓いたまえッ!!」
鉄扇が舞うと同時に、ミヤビが口から血を吐いた。
その一瞬の閃光はヒュドラを突き落とし、群れの中に飲み込んだ。
「ミヤビさん!!」
「無理しないで!」
「そうだ! 鏡を出して!」
私は草薙剣を鞘に収めた。
「ミヤビさん! 私が鏡に入って直接青竜に会って、救ってくる!」
ヒュドラの影に縛られた青竜。
湖がこんな状態じゃ、もうそれしか道はなかった。
「日向っ!? それは……」
「もう、それしかないよ……」
私の言葉に千尋がうつむいた。
そう、時間の問題。
神殿が潰れるか、ヒュドラに喰われるか。
このヒュドラの大群では、白虎の切り刻む風の効果は薄い。
玄武はタンク、攻撃には向いてない。
朱雀が顕現したとしても、嵐の中、炎は厳しい。
ミヤビさんも通路から戦い続け、もう限界に近かった。
「青竜! 待ってて! 私が救い出すから!」
もう、青竜に賭けるしかなかった。
ミヤビは青白い顔で鉄扇をしまい、鏡を取り出した。
私をまっすぐに見据える。
「青竜の女神さま……お頼み申しまする……」
「まかせてッ!」
鏡を見た瞬間、視界が再び暗転した。
私は躊躇うことなく、草薙剣を抜いた。
その剣が眩しく輝き、青竜の姿を映し出す。
「青竜!! 今、助けるから!」
私は青竜に向かって暗闇の中、駆け出した。
青竜に巻き付いている鎖のようなヒュドラは、その姿を増やしていた。
胸元の勾玉が熱を持ち出す。
青竜の瞳が開いた。
私と目が合った。
「いくよっ!」
両手で頭上高く、草薙剣を掲げた。
異変に気がついたヒュドラがその首を伸ばし、牙を剥く。
勾玉から光が溢れ出す。
それを受け、剣の輝きが強さを増していく。
びりびりと剣の柄から、草薙剣の思念が伝わってくる。
——我、ヤマタノオロチから産まれた剣……
巡り巡って、今、ヒュドラを斬る。
その剣が青竜に絡みついたヒュドラの本体を照らし出した。
青竜の心臓に食らいついている一際大きいヒュドラ。
剣の光が増幅していく。
「分かったッ!! あれかあッ!!」
剣の向きをそのヒュドラに合わせる。
「行ッけええッ!!」
私は目を見開いて、剣を振り下ろした。
重い空気を切り裂く感触。
草薙剣から放たれた閃光は、闇を切り裂いた。
それは、光の帯を引き、心臓に喰らいつくヒュドラの首の全てを断ち切った。
光が、青竜に絡みつくすべてのヒュドラをかき消していく。
そして——
「「グワアアアアアァァァァァ!!!」」
青竜が、喜びの咆哮を上げた。
それと同時に、何かが割れる金属音が連鎖していく。
その咆哮は、暗闇の檻を砕け散らせた。
視界が白く染まった。
「……青竜? 助かったの?」
振り下ろした草薙剣を、落としそうになった。
腕がブルブルと震え、指先の感覚が遠くなってゆく。
何も見えない。
また……ホワイトアウト……?
……
叩きつける雨で顔が痛い。
「日向! しっかりして!」
「柚月……?」
膝がガクガクと笑っている。
手に持つ草薙剣が、雨が躍る石畳に落ちた。
「日向っ! 柚月っ! 見て!」
千尋が指差す先、雨雲が割れた。
湖から立ち上る光が、強引に雲に大穴を開けていく。
太陽の光が湖面を照らした。
キラキラと輝く湖面が盛り上がる。
そして、それは、爆発した。
水柱が立ち登り、神々しい竜の顔が姿を表す。
「「グワアアアアアァァァァァ!!!」」
湖面から長い胴体が天に向かって伸びていく。
ヒュドラの戒めを解かれたその叫びは、雨雲を吹き飛ばしていく。
青竜は空を飛び、重たい雨雲を払った。
「「ガアアアアァァァッ!!!」」
「セーリュー……」
神殿にしがみつくヒュドラを、その光り輝く鱗に覆われた体で振り落としていく。
そして、その視線を神殿の塔の上にいる私たちに向けた。
蒼色の深い澄んだ瞳が私たちを見た。
そして華麗に宙を舞い、アントークの亡霊をその光る尾で打ち付ける。
「「青竜!! 邪魔だてするかッ!!」」
亡霊が揺らいだ。
青竜は、アントークの幻とともに湖の中に再び潜っていく。
「「まだだ、まだ、終わらぬ……」」
しかし、アントークの幻は揺らぎながらも再び浮かび上がった。
日の光が湖を照らし、ヒュドラが水面下に逃げるように潜っていく。
「ミヤビさん! 鏡を! アントークに向けて!!」
千尋が叫んだ。
アントークは手を広げ、その頭上にまた暗雲を広げようとしていた。
「「余こそ、正統なる唯一の神!」」
太陽の光を受けて、ミヤビが掲げる八咫鏡が光り輝く。
そして、その光がアントークを照らし出した。
「「まだ……これは、終わりではない……鍵は、揃った……」」
次の瞬間、アントークの姿が歪み、鏡に吸い込まれるように近づいてきた。
「「終わりではない!!」」
アントークは、叫びを残し、鏡の中に消えた。
私は思わず耳を塞ぎ、目を閉じた。
だから、気が付かなかった。
このとき、石畳に転がる草薙剣が一瞬、黒くなったことを。
水面が静まり返っていた。
何事もなかったかのようにキラキラと陽の光を受けて、湖面が輝いている。
玄武がその深い瞳をこちらを向けた。
鼻から水を吹き出し、そのまま水の中へと沈んでいった。
白い風が神殿の塔の上を吹き抜けていった。
「ありがとう! ヌッシー! ビャッキー!」
柚月が手を振った。
「終わったの……?」
「もう……無理……」
「マジ、しんどい……」
私は石畳の床に倒れ込んだ。
その視線の先に、草薙剣が転がっていた。
「ごめん……落としちゃったね……」
私はゆっくりと起き上がり、草薙剣を拾って鞘に収めた。
その剣の先、ミヤビの膝が崩れた。
「ピーコ姫の、予言は……真じゃった……」
ミヤビの瞳から大粒の涙が溢れた。
「女神さまがたは……まことに四神を統一せし、世界統一神……」
「……」
ミヤビがひれ伏した。
マカーベも慌てて片膝をついた。
「……勘弁して」
「もう勝手にして……」
「……そんなの、知らない」
私たちはびしょ濡れの石床で倒れ込んで、澄み渡った空を見上げた。
やっと、終わった……
って……?
終わった?
本当に?
アントークの声が耳朶に、まだ残っていた。
——まだ、終わっていない……
そのとき、視界が一瞬、暗くなった気がした。
はあ、ため息が出る。
四神の統一?
世界統一神なんて、どうでも良かった。
それより——
「どうやって、……降りるの?」
「なんとか、なるでしょ……」
「お弁当、濡れちゃってない?」
「お腹、空いたね……」
「ぷっ! ひゃっひゃっひゃ」
「早く、お弁当食べたーい!!」
湖面は何事もなかったように、穏やかに波打っていた。
でも、草薙剣が鞘の中で黒い光を放ってたなんて、私には知るよしもなかった。




