58話 八時間
ニワトリが鳴いている。
まだ薄暗いというか、まだ夜?
薄目を開けると茶色くなった障子がほんのり青くなっていた。
もぞもぞと柚月が起きだす気配がしている。
千尋はきっとまだ夢の中。
久しぶりの日本の布団。
手を伸ばすと草薙剣の感触があった。
——そうだ、セイリューの神殿に行くんだ……
一気に現実に引き戻される。
でも、布団あったかい。
ぬくぬくとこうして眠っていたいと思ったとき、襖の向こうで声がかかった。
「女神さまがた……そろそろお支度を……」
「ん、起きてる。ミヤビさん、おはよう」
柚月は屈伸をしていた。
「千尋! 起きて!!」
私は隣で寝ている千尋の布団をがばと取った。
「あと、五分……」
千尋は布団を探して手足をバタつかせる。
「千尋! マカーベが来たよ!」
「はッ?! マカーベくん!!」
千尋はガバっと上体を起こした。
寝ぼけまなこで、周囲を見回す。
顔にかかった長い髪を必死に手でほぐす。
「嘘だよーん! うーそ」
「もうッ! 焦った……」
「二人とも、これから神殿に行くんだよ?」
柚月が冷静に突っ込んだ。
「はっ! そうだった……」
千尋が髪をまとめながら起き上がる。
台所からいい匂いがしている。
私たちが居間に行くと、ナガノとミヤビが待っていた。
マカーベは結局、下で休んだらしい。
ナガノの姉が朝食を運んできた。
「うわ! おいしそう!」
「いただきます!」
「卵焼き!」
玄米ご飯に味噌汁、納豆、卵焼きと漬物。
——これが、”最後の朝食”になるかも……
ううん、そんなことない。
私は卵焼きに箸を伸ばした。
「この卵焼き、甘い!」
「養蜂もしてるの」
姉が微笑んだ。
「はちみつ入り!」
「ほんとにすごいですね……」
「納豆! スーパーのとは味が全然違う!」
私たちは甘い卵焼きに感動し、手作りの納豆の味に仰天した。
ナガノの姉はお茶を淹れながら話し出した。
「結局、生きるための仕事って、日本もここも、そう変わらないのよ」
その声に、そんな暮らしも確かに悪くないなあ、と一瞬考えて、頭を振る。
スミレさんのところでは美味しい洋食を食べられたけど……
どっちも逃げられないのは一緒。
病気したら……ヒュドラもいる……
なんと言っても、ゲームが出来ないのは到底、無理。
「はあ……」
「朝、起きて卵を取って、畑に行って、森に薪を取りに行って」
姉は、嬉しそうに話す。
ゼンもコージも無口っぽかった。
話し相手がいないのだろう。
「男たちは川か海で、魚を取ってくる」
「……はあ」
「森で獣が罠にかかれば、お肉食べられるし、お祝いのときは鳥を潰すの」
——サバイバルすぎる……
私たちは夢中で和食を平らげた。
綺麗になった食器の前で手を合わせる。
「ごちそうさまでした!」
「おいしかったです!」
「ありがとうございます!」
姉は寂しげに微笑んだ。
「本当に気をつけてね。昨晩、ミヤビさんから話を聞いたけど。あなたたちだったら、オロチもやっつけられると思うわ」
「え?」
「すごい褒めてたわよ」
私たちは振り返ってミヤビを見た。
ミヤビが背けた顔の頬は、少し赤らんでいた。
「……信じてるって」
「あったりまえだよ! 私たち、女神なんだから!」
「当然」
「すみません、こんなんですけど……」
姉は真面目な顔になった。
「でも、いい? 危険だったら、すぐここに戻ってくるのよ」
「私たちには神獣がついてるから、大丈夫です! でも、ありがとう!」
「オロチやっつけたら、また戻ってきます」
「気をつけてね……」
私物はナガノさんの家に置いていった。
またここに戻ってくる。
お面も、今は必要ない。
素顔のままで、神獣青龍に会う。
昨晩、みんなでそう話し合っていた。
モノノフも船乗りもアベーノたちも、もう関係ない。
下手したら、今度こそ本当に死ぬかもしれない。
出発のとき、革の肩掛け鞄を姉から手渡された。
手縫いで頑丈そうだった。
手拭いに包まれたアルマイトのお弁当箱とひょうたんの水筒が入っていた。
「簡単な、おにぎりだけど……」
私たちの顔が輝いた。
「お弁当、うれしい!」
「この鞄、かわいい!」
「ひょうたん欲しい!」
私たちはそれぞれ受け取って、胸に抱いた。
「絶対に無理しないでね」
「……帰ってきます」
「なんとかなる……」
「絶対に、帰ってくるから!」
でも、私たちのその勢いは、ここまでだった。
庭に出ると、すでにナガノとイシカーワが準備を整えていた。
「今日は降るかもな……」
ナガノは空を見上げた。
東の空が明るくなってきていた。
私には違いが分からなかった。
「二時間で着く」
ナガノは私たちを見回した。
「神殿のオロチは、昼夜関係ないらしい」
イシカーワが真面目な顔でうなずいた。
震えは止まっている。
「船は少し大きめの一艘のみで行く」
ナガノは手短に必要事項を伝えていく。
「船団はここで、待っていてもらう」
私たちはうなずいた。
「神殿のオロチを起こすと、すべてのオロチが集まる……」
「……」
「それと、もしかしたら、妨害がある可能性がある……」
「妨害……?」
それって、もしかして……
「そう、現地民だ……」
「なんで……?」
「あいつらは、守ってる」
ナガノは首を振った。
「神殿に近づくやつを、襲ってくる」
「マジか……」
私たちは寒そうに顔を見合わせた。
「見つからないように行く。神殿についたら、俺は一度、身を隠せるところで待機する」
「え?」
「俺が見えなくなったら、合図だ。行動はそれから起こせ」
私たちは唾を飲み込んでうなずいた。
「三時間だ」
ナガノは指を三本立てて、ぼろぼろのJ -SHOCKの腕時計を私たちに見せた。
「時計は持ってるか?」
私たちは首を振った。
スマホを時計代わりにしてた。
「三時間が限界だ。帰れなくなる。夜を明かすところもない……」
「……」
「正午過ぎには、帰路につきたい。探索は無理そうだったら、静かに待ってろ」
私たちはぶるっと震えた。
「もしヒュドラが出たら、もう戻れないと思え」
ナガノはため息をついた。
「さあ、出発だ」
私たちは昨日、登った同じ道を降りていく。
昨日は気が付かなかったが、小川が流れ、棚田が作られていた。
降りるに従い霧が再び濃くなってくる。
河原から離れた斜面に船乗り、モノノフたちが待機をしていた。
昨晩は、ヒュドラの襲撃に怯えていたのだろう。
みな、憔悴した顔をしていた。
岸辺には、マカーベとコージが待っていた。
アベーノたち神官が慌てて駆け寄って平伏した。
「御主女神さまがた……この、アベーノご一緒できず、まことにまことに……」
「アベーノ? 大丈夫だから……」
「みんなで行くと、ヒュドラを起こすみたいだから。待ってて」
アベーノは涙声で頭を擦り付けた。
「泣かない! 無事に帰ってくるから……」
アベーノ、悪いやつじゃないんだけど……
どうしても、塩対応になってしまう。
「……戻らなかったら、頼むね」
泣くな、うざい、でも、なんか、ありがとう。
声を出さずにそう思った。
私は背中の草薙剣の重みをずっしりと感じていた。
ビャッコの神殿から、まだ鞘から抜いてないし、振り回してもいない。
でも、時々、冷たい鼓動のようなものが伝わってくるときがある。
気のせいだと、思っているけど……
でも、この剣が絶対に必要になるはず。
コージが私たちを案内した場所には、川下りで見るような船があった。
「作ったんですか?」
「昔、来たばかりのころ、現地人を助けたときに、お礼にくれた」
コージがぼそぼそと答えた。
「行きは下るだけだ。帰りは二人ずつ左右に座って漕ぐ」
ナガノは竿を持ち、マカーベとミヤビに目をやった。
二人はうなずいた。
「イシカーワさんも、漕ぎ手を頼む」
「わ、分かった」
イシカーワさんも覚悟を決めたのだろう。
目に光が宿っていた。
「午後には、おそらく雨だ」
ナガノの顔が厳しくなった。
「行き二時間、探索三時間、帰り三時間……」
私たちは無言で船に乗り込む。
「八時間、それがリミットだ」
ナガノは静かに言った。
「一分でも過ぎたら、助けには戻らん」
霧の中に、小舟は静かに漕ぎ出していった。
誰も、もう喋らなかった。
音を立てたら、何かに気づかれる気がした。




