57話 昭和の食卓
私たちは畳の部屋に通された。
今日は朝から何も食べてなかった。
午前中にヒュドラに襲われ、ナガノの家に着いた時は昼過ぎだった。
「部屋はたくさんあるが、あの人数は無理だ」
「わあ、布団……」
千尋が崩れ落ちるように畳を撫でた。
「嬉しい……」
「風呂もある」
ナガノの言葉に、柚月が勢いよく顔を上げる。
「えっ!?」
「神!」
私たちは思わず顔を見合わせた。
森の奥から川の水を引き、薪で湯を沸かしているとナガノは話した。
一風呂浴びてさっぱりした私たちは、洗濯してあった巫女の衣装に着替えた。
居間から、たまらなく良い匂いが漂ってくる。
「わんわんわん」
「おまえもお腹すいたよな」
柚月はリュックからビニールの包みを出した。
中にはスザクのご飯が入っている。
縁側の下でスザクはガツガツと肉を貪りだした。
「私も、お腹空いた」
「塩をな。取りに行った帰りに、お前たちに会った」
早めの夕食の席に着くと、目の前には玄米と味噌汁と干物の焼き魚、大根の漬物が並んでいた。
久しぶりの日本食だった。
「ここから、数時間、川を下ると海に出る……」
ナガノは味噌汁に口をつけてから、言った。
私は、ナガノが小舟から重そうなリュックを背負ってきていたのを思い出した。
「コメがあればな、麹が取れる。塩があって大豆があれば、味噌も醤油もできる」
ナガノはチャポンと、ひょうたんを持ち上げた。
「酒もな……」
茶碗になみなみと注ぐ。
イシカーワの茶碗にも匂いのきつい白濁した液体を入れると、イシカーワの顔が輝いた。
「あ、あ、ありがたい……」
一息に飲み干す。
「納豆もあるぞ」
「マジか!」
「ほんとに、日本みたい……」
焼き魚には醤油と大根おろしが添えられていた。
「美味しい……」
「ここに住んでも、いいんだぞ」
「いやあ……それは」
「ここの暮らしも、慣れるといいものよ」
初老の女性が笑顔を作る。
「でも、すごいですね。自分たちで何でも作っちゃうなんて……」
「さすがに、電気はないですよね?」
手動でも発電機があれば、スマホの充電ができるかも。
そしたら、電波があるところを探せば、帰れる……
思わず三人とも身を乗り出した。
「電気はない、発電しても、使うものがない」
ナガノは首を振った。
切れた電球も交換出来ない。
三十年も経てば、冷蔵庫も洗濯機も壊れる。
縁側に大根と玉ねぎが干してあった。
囲炉裏の火がパチリと爆ぜた。
「暗くなれば、寝るだけだ」
私たちはため息をついた。
「……それでも、人は慣れる」
「そんなものなのか……」
「江戸時代か、明治時代くらいの暮らし?」
初老の女性はゼンとコージの姉だった。
年老いた母親が来て、私たち六人で食卓を囲んだ。
「ミヤビさん? 美味しい?」
私はミヤビとマカーベをちらっと見た。
二人とも食事を固辞していたが、私たちが強引に勧めた。
ミヤビは私の帰還宣言に何を思っているのか、その表情からは分からなかった。
ただ、二人とも慣れない箸に悪戦苦闘していた。
「干物を箸で食べるの難易度、高いよね」
「……うまい」
マカーベがぼそりと言った。
イシカーワは手づかみで貪るように食べていた。
「ミヤビさん? 二十年前のイシカーワさんが来た時って、あのタキのころ?」
千尋がぼつりとミヤビに聞いた。
「タ、タ、タキ……」
その声にイシカーワが反応した。
震え出し、手に持っていた茶碗を落とした。
ミヤビが箸を置いた。
すっと視線が鋭くなる。
「我はまだ子どもだったが、その迷い人……四神の地を統一すると大言壮語を吐き、甚大な被害を出した、大バカものと」
ミヤビが冷たく言い放った。
スミレの言ったことを思い出した。
血が流れた……って……
それで、死罪……
スミレとミヤビがなぜそんなにもタキに対して冷たかったかの理由が分かった気がした。
「そのとき、アベーノたちは……?」
「フォーゲルもアベーノも反対したと聞く……」
私たちが来たとき、今度こそ本物かどうか、そういえば話してた。
そういうこと?
「それでイシカーワさんが、ここに来てナガノさんと出会った……」
「日本語が話せる人間なんて、こっちにいるとは思わなかったからねえ」
姉がため息をつきながら言った。
「おかげで、なんとなくこの世界のことが、分かった」
ナガノが酒を啜り、姉が口を開いた。
「こっちにも人はいるけど、言葉がねえ……」
「人、住んでるんですか?」
ナガノが首を振った。
「神殿の近くの森だ。どうも、我々を避けているようだ」
「……」
ナガノはあまり話したくはなさそうだった。
話を戻した。
「で、二十年前か、船をたくさん並べて来たな」
「……それで、ヒュドラ、オロチにやられて全滅……?」
「……大半は、たどり着く前にだ。死体がたくさん浮かんでいた……」
「……」
ナガノは酒をあおった。
「それで、神殿にイシカーワさんは行った? 鏡はあったの?」
私が聞くと、イシカーワが震え出した。
「か、鏡……」
「鏡?!」
「八咫鏡?!」
「見たの? やっぱり!?」
「……さ、酒を」
イシカーワの震える手に持つ茶碗に、ナガノは酒を注いだ。
一息に飲み干し、イシカーワは話し出した。
「……し、神殿に行った……わ、我々だけ……み、みんな、し、死んだ……」
「タキは?」
「あ、あのクソは、帰ったとき、街の神殿で、ね、寝そべってやがった……」
「……一緒に行かなかったの?」
「マジか……ほんとにクソだな」
「で、鏡は?」
「し、神殿にあった……」
ナガノがまた酒を注いだ。
「ふぅ……」
飲み干していくうちに、イシカーワの顔色が良くなってきていた。
「タ、タイラー、じょ、上神官が……」
「タイラー?」
「……タイラーってもしかして、平将門の平?」
思わずといった感じで千尋が口を開いた。
「タ、タイラーが、か、鏡を取ろうとした……」
それを無視してイシカーワは続ける。
「か、鏡が……」
イシカーワの顔が青ざめていく。
「タ、タイラーを……」
「そ、それで……?」
ごくりとつばを私は飲み込んだ。
「く、喰われた……」
「何に?」
「か、鏡に……」
「映ったんだ、自分が……」
「またか……」
私たちはガクッとうなだれた。
「喰われるヤツ多すぎ……問題」
「……日向……それは」
「タ、タイラーは、クソなヤツで……」
「裏切りの女神も、クソだった?」
でも、私たちも?
本当に帰ると言ったら、ミヤビはどう出るだろう……?
私たちもクソ認定される……?
私はミヤビの顔を見れなかった。
「鏡が、どうやって喰ったの?」
「竜が……出てきて……」
イシカーワは顔をうずめて泣き出した。
「……引きずり込まれた」
「……」
私たちは天井を仰いだ。
「青竜……」
私たちも食われるかも、知れないってことじゃん……
っていうか、青竜は鏡の中にいるの……?
虫が鳴く声がする。
日が暮れてきた。
「そのあとは?」
「覚えていない……」
イシカーワは首を振った。
「……大怪我をしたイシカーワが、川辺に倒れていた」
ナガノが下を指差して言った。
「うちで、三ヶ月くらい静養したあと、国に帰ると言って……あの体で……」
「あ、あのときのことは、ほ、本当に感謝いたす」
イシカーワは頭を下げた。
「必死に止めたが……よく生きて、帰れたな……」
ナガノはイシカーワを見つめた。
「いずれにしろ、今、あの川に、あんなに人がいたら、オロチがまたくる……」
ナガノは話を閉めるように言った。
「普段なら、あの場所には、出ないが……」
訝しげな顔をして言い淀む。
「早い方がいい」
私たちの顔を見回す。
「明日の朝に、向かう」
そして、マカーベに向き直った。
「夜の川には出るな。音を立てるな。オロチは夜に狩をする」
マカーベは一つ頷くと、夕暮れの川に降りていった。
——明日、神獣青竜に会う……の?
鏡の中の青竜……
まさか、食べられたり、しないよね……




