53話 霧の向こう側
出発の朝、広場は人々で埋め尽くされていた。
ビャッコに行く前よりも、さらに多い。
「マジャバー!!」の掛け声が城壁内を震わせている。
熱狂的な群衆と反比例するように、私たちのテンションはかつてないほど低い。
スミレさんがテラスから広場を見回して、眉を曇らせた。
「これ、昨日どころじゃないわね……」
「マジ、やばい……」
「でも、セイリューで勾玉を見つけたら、神廟から帰ればいいのよ」
「私たちはいいけど、スミレさんはみんなを置いていけるの?」
「もう、十分すぎるほど、貢献したからね。あとは自分たちで頑張ればいいのよ」
スミレはサバサバとした口調で言った。
「使いの者を遠征隊に入れておくから、勾玉が揃ったら、私も神廟に向かうわ」
「うん、分かった」
「危ないこと、しちゃダメよ?」
私たちは手を振って別れて、馬車に乗った。
*
私たちは都から東へ、隊列を組んで向かっていた。
見渡す限りの草原。
遠くまで風が波のように揺れていた。
時折、農村を通り過ぎる。
隊列はビャッコへ向かった時より、明らかに少ない。
選りすぐりのモノノフ五十騎。
私たちの馬車の周りはミヤビと巫女十名。
輜重隊が後ろに続く。
半日ほど行った街から、川を下って船でセイリューに行くらしい。
「ドラゴンと戦うのに、少なくない?」
「船が足りないらしい……」
「でも、ドラゴンだよ……」
昼過ぎ、丘を登り切ると陽に照らされキラキラと輝く水面が広がった。
その川にへばりつくように街があった。
大きく、活気がある街だった。
私たちの馬車が通るとみんなが平伏していく。
通り過ぎると人々は、立ち上がり口々に女神を讃える言葉を叫んだ。
対岸は霞んで見えなかった。
川というより、ほとんど海。
巨大な濁流がゆっくり東へ流れていた。
「セイリューって、人が住んでないんでしょ?」
「帰ってきたやつ、いるの?」
「……じゃ、ドラゴンがいるって、なんで知ってんの?」
「矛盾だな」
「矛盾矛盾」
私たちは船着場についた。
馬車から出る時に仮面をつける。
船乗りと合わせ百名ほどが平伏している。
「御主女神さまがた……船にて、そふらふ……」
「みりゃ、分かるし」
「平底船にて、ごじゃりまする」
「四隻で、行くの?」
私たちの側でかしずいているのは、アベーノ、ミワーノ、ヨシーノだった。
その三人の後ろに、見たことのない神官が一人いた。
「……あれ、誰?」
千尋が眉を寄せてつぶやいた。
「タダモノではないな」
柚月も一目見て顔を曇らせた。
伸び放題の髭、爆発した白髪は異質な気配を漂わせていた。
「神官っていうより、仙人?」
千尋がつぶやいた。
「この街の神官にて……」
ヨシーノも眉をひそめ、小声でつぶやいた。
「セイリュー神殿より、生還したもので、そふらふ……」
「マジか!?」
思わず私の声が漏れた。
「セイリュー神殿に行ったことあるの?」
柚月が聞いた。
穴の空いたボロボロの法衣で平伏したまま頭を上げた。
その神官の目の焦点は合っていない。
「それがしは、イシカーワと申す……」
「……イシカーワさん?」
「ドラゴンってほんとにいるの?」
「……銅鑼権? それがしはイシカーワと申す」
千尋がため息をついた。
ドラゴンじゃ、分からないか。
「竜だよ! 竜! 神獣青竜がいるんでしょ!」
私は腕組みをしながら聞いてみた。
「お、おぉ……セ、セイリュー……」
イシカーワは震え出した。
虚ろな目が恐怖で見開かれる。
開いた口から涎が流れ出た。
その黒く汚れた手の爪は真っ黒な汚れが溜まっていた。
「こんなの、役に立つの?」
「この者、二十年前のセイリュー討伐の折の唯一の生き残りにて……そふらふ」
アベーノもちらっと嫌な目をイシカーワに向けた。
「この者に道案内を仕らせ、そふらふ……」
「……」
ほんとうに、大丈夫なの?
誰も口にしないけど……
モノノフたちが次々と船に乗り込んでいく。
私たちは三番目の船に乗り込んだ。
神官三人にミヤビたち巫女が護衛として乗船する。
マカーベとイシカーワは先頭の船に乗った。
「マカーベくん……」
千尋がうつむいた。
私たちは後部に作られた一番奥の立派な船室に通された。
船は思ったより揺れた。
「くうん……」
「うげえ、船酔いしそう……」
「どのくらいで着くの?」
千尋もすでに青ざめた顔をしている。
「セイリューの地までは、二日にて……」
「二日……」
絶対、やばい、酔う。
「ヨシーノ? 船で神殿まで行けるの?」
「……聞くところによりますと、セイリューの地は湖沼地帯……」
ヨシーノは声をひそめた。
「水路が迷路のように入り組み、その水路には、出るのでごじゃいます……」
「……出るって、何が?」
私たちはつばを飲み込んだ。
「八つ首の竜にて、そふろふ……」
「八つ首って、頭が八つってこと……?」
アベーノがおどろおどろしく言い、それを聞いた柚月の顔が曇った。
「ヒュドラ……?」
千尋が真っ青な顔でつぶやいた。
ドラゴンって、ヒュドラのこと……?
「ヤマタノオロチじゃない、多分。この世界的にいって、きっとヒュドラ……」
「ヒュドラって……ゲームに出てくる首切っても、また生えてくるヤツ?」
「マジか……」
キマイラの次は、ヒュドラ……
でも、神獣青龍を見つけて手懐ければ、ヒュドラだって、きっとなんとかなる。
「神獣青龍って、神殿に行けば、会える?」
「……恐れながら、申し上げまする」
ヨシーノが躊躇いながら口にした。
「イシカーワが申すところにごじゃりますると、セイリューの地は霧立ち込める地にて、神殿も蜃気楼のごとく、幻のごとく……八つ頭の竜に襲われ、命からがら、たどり着いたとのことにて、ごじゃりまする……」
「ようするに、なんにも、分からない?」
私たちはため息をついた。
ヨシーノは青ざめた顔をしていた。
そうだよね……
ヨシーノも行きたくないよね……
その気持ち、痛いほど分かる。
いつの間にか、船は出航していた。
船乗りたちのかけ声が響いている。
オールで頑張って漕いでいるのが、簾がかかった窓から見えた。
夜は岸に船をつけて、休んだ。
揺れる船で、私たち三人は言葉少なめだった。
私が何か喋らないと、二人は黙り込んでしまう……
いつも、何があっても、私が笑い飛ばす。
でも……
早く、帰りたい……
夜。
船はきしみ続けていた。
何かが、水を叩く音がする。
ヒュドラじゃないよね……気のせい……でも……
私は布団をかぶって、目を閉じた。
薄暗い船室で、二人に気づかれないように声を殺して泣くだけで、精一杯だった。
出航から二日目。
その日もマカーベは、私たちの船に来なかった。
千尋はずっと前の船を見続けていた。
航海は順調なようだった。
食事は生臭い川魚。
平底船は波の衝撃をそのまま拾い、胃袋を掻き回すような揺れが常に続いていた。
昼間にミワーノが来て、千尋の頭の包帯を取った。
傷はなくきれいに治っていたことだけが、唯一の救いだった。
そして三日目の朝。
どんよりとした揺れの中で目覚めた。
船室の中にまで、深い霧が漂っていた。
簾の外の風景は白く霞み、何も見えない。
セイリューの地……
最後の勾玉……
絶対に見つけないと。




