49話 草薙剣
「グルルル……」
スザクが唸る。
白い風の壁が、炎を弾いた。
視界が、焼き尽くされる寸前で止まる。
突風がキマイラに斬りかかっていた戦士たちを吹き飛ばす。
直前まで戦士たちがいた空間にキマイラの炎が床を這い、焼き潰していく。
キマイラの炎が渦を巻く。
白虎の風が、炎を裂いて押し返す。
熱までは防げない。
——このままじゃ、蒸し焼きになる……
焼けるような熱波に皮膚がちりちりと痛む。
スザク山で受けた試練を思い出して、体が竦んだ。
炎の向こうでキマイラはなおも炎を吐き続けていた。
首を回し、焼き尽くさんとばかり神殿内を業火に包み込む。
まるでオーブンの庫内のような暑さに、吹き出した汗が蒸気になって消えた。
息苦しい。
戦士たちも、苦しんでいた。
「スザク……?!」
スザクのリングがまた光った。
スザクは白い風の壁の向こうに飛び込んだ。
「バウバウッ!!」
火災旋風のように渦巻く炎の中に、スザクは消えた。
黒い影が業火の中を駆け、跳ね、炎をその身に吸い込んでいく。
火が消えた時、スザクが軽やかに床に着地した。
「神獣……朱雀ッ!?」
ミヤビから驚愕の言葉が漏れた。
だが朱雀は顕現せず、スザクの体は犬のままだった。
「バウバウッ!!」
誇らしげに吠えるスザクに、キマイラの蛇が牙を剥き出した。
それを守るように神獣白虎の風が爪となって蛇を切り裂く。
蛇の鱗に傷がつき、山羊が苦痛の叫びを上げた。
スザクは犬の体で軽快に跳ね回り、蛇の攻撃から身を躱す。
神獣白虎の風が牙となり、キマイラを切り裂く。
私たちは呆然として、その光景を見ているしかなかった。
*
——柚月……すごい……
神獣白虎を呼んでくれた……
白虎がキマイラを攻撃するたび、冷たい風が吹き、神殿内の温度を下げていた。
でも、このままじゃ……
——草薙剣を、抜く……
それしかない。
そして——
「千尋……」
反対側にいる千尋の姿を見つけて、涙が出た。
そして神殿の奥、簾の向こうを見た。
簾は焼け焦げてはいたが、まだかかっていた。
「千尋!」
お願い気がついて!
私は千尋に向かって、手を振った。
千尋は包帯を頭に巻いたままの姿で呆然としていたようだったが、私に気がついた。
「す・だ・れ・の・む・こ・う!」
私は簾を指して、声を出さずに口を大きく開けた。
千尋が簾に顔を向けた。
「い・く・の・?」
千尋が同じように口を開いた。
キマイラは神獣白虎の風とスザクと戦っている。
虎の口からは、なおも炎が吹き出している。
その炎は、まさに神話のような戦いを映し出していた。
巫女も男衆もフォーゲルも誰も皆、動けなかった。
「い・く・よ!」
両手で頭の上に大きく丸を作ると、静かに走り出した。
千尋もそーっと、歩くような走りかたで駆け出した。
薄暗い神殿の壁伝いに走っていく。
「は・や・く!」
私は千尋を簾の影で待ちながら、手を振った。
もどかしく待った後、私は部屋に飛び込んだ。
そこだけ、熱が消えていた。
戦場の音が遠くなった気がした。
「……日向?」
千尋が肩で息をしながら駆け込んできた。
「掛け、軸……?」
そのとき、白虎の風が簾を吹き飛ばした。
奥の部屋にキマイラの炎に照らされて、何かが光っているのが見えた。
「草薙、剣……?」
千尋がぼそっと言った。
「この剣で、キマイラを斬ったら、呪いが解けるんじゃない?」
私のゲーム脳がそうささやいた。
「そんなゲームみたいなこと、ある?」
千尋がささやき声でツッコミを入れる。
奥の部屋に二人で息を殺してそろりと入っていく。
草薙剣は、部屋の中央の石床に突き刺さっていた。
その刃には、炎でも風でもない光が宿っていた。
まるで、呼吸しているように明滅していた。
「マジか……」
「こんなの、抜けないよ」
千尋が絶望的な声を出した。
「マカーベくんに抜いてもらおうよ……」
「ダメ! ビャッコの人たちは、この剣を恨んでる」
「……そうだった、ね」
千尋もキマイラを生み出したこの剣のミヤビの話を思い出したらしい。
「でも、抜いた者は、祟られるって……」
「やるしかない! なんとかなる!」
あのキマイラに、神獣白虎とスザクでも苦戦しているようだった。
ミヤビでもマカーベでも、到底、歯がたたない。
——でも、この剣だったら……
太ももの真ん中くらいの高さに柄はあった。
私は剣の柄に手をかけた。
生き物のように脈打っていた。
ぱっと見、三分の一くらいは埋まっていた。
左手も柄にかけたとき、びりびりと手が痺れた。
「きゃ!」
思わず声が漏れた。
それと同時に吐き気が襲ってきた。
「日向! 大丈夫?」
千尋が柄を掴んだのが、意識の最後に見えた。
「え?」
千尋の声が聞こえた。
視界が暗転した。
暗闇。
また、暗闇か……今度は、逃げ場がない……
あの浄化槽を思い出して、げんなりした。
でも、今は一人じゃない。
「千尋……?」
「……」
「ここ、どこ?」
「……」
「おーい!」
返事はない。
「千尋ーッ!!」
——かへりたし……
いつか聞いたレイスのあの声が聞こえてきた。
——かへさない……
亡霊の無数の声が頭に響く。
雑音の奥から、別の声が響いた。
——我の眠りを妨げし者は、誰だ……
「剣が喋ってる?」
暗闇の中に石床に刺さった剣が光っていた。
不思議なことは慣れっこになっていた。
この展開は、なんかのゲームにあったという場違いな思いが頭を占める。
夏休みは、あの名作死にゲー、エルレンリンクをやりこむつもりだったことを思い出す。
今頃、ゲーム三昧だったのに……
「なんで! こんな目に……!」
理不尽な怒りが頭に去来した。
——我の眠りを妨げるのは、おまえか!
「そう! 私が! 私たちが! あなたを起こした!」
怒りのまま、その声に答えた。
「ってか! 早く起きろ!」
——神が宿る剣と知っての行であるか?
「そんなの、知るわけないでしょ? ってか、私たちが! 女神!」
——女神であるというか……ならば……
「ふざけんな! あんたが! あのキマイラ作ったんでしょ?」
私は剣に最後まで言わせなかった。
——なら……ば……
「責任とってよ!!」
追い詰める。
「あんな化け物、産み出しといて!?」
相手の言葉に被せていくのは、兄弟喧嘩の鉄則なのだ。
「バカみたい! なにが神が宿る剣だよ!」
——神をも恐れぬ……
「何が神なの!?」
悪口雑言だけは私の口から自動的に出てくる。
言葉の機関銃を浴びせ続ける。
「こんな場末の神殿に!? こんな風に放置されて!?」
——我を、放置されていたと、言うか……
「そうでしょ? 誰にも、信仰されないで? それで、神が宿る剣なんて言ってるの?」
私は吐き捨てた。
「そっちこそ! 証明してみせなさいよ! 偽物なんじゃないの?!」
——我を、愚弄す……
「呪いの剣! 祟りの剣って陰口、叩かれて!?」
誰も女神になりたいなんて、望んでない!
「だから、裏切られんのよ!!」
私は言い切った。
——……我は、裏切ら……
「だったら! 神様の剣だって!! 証明しなさいッ!!!」
そう暗闇に叫ぶと、なぜだかスッキリした。
そのとき、剣が光った。
暗闇が晴れていく。
——よかろう、証明してみせよう……
我が名を。
その瞬間、私の視界に光が戻ってきた。




