47話 炎と風
「バウバウバウ!!」
スザクが激しく吠え出した。
巫女たちが私たちの後ろに駆けつけ、薙刀を構える。
「散! 開ッ!!」
ミヤビが鋭く叫ぶ。
巫女たちが半円を描くように、すっと頭を動かさずに広がっていく。
「「メエエエエ!!!」」
「「ゴォォオオ……ッ!!!」」
山羊が喉を裂くように鳴く。
その下で、虎が地鳴りのように唸った。
二つの首が揺れながら、こちらに向いた。
その首の間から黒い血が滴っていた。
空気が震え、腹の底から響く重低音が私たちを襲う。
山羊のツノが天井に届くほどのスケール感。
二つの首の間に大きな傷跡が見えた。
それは、無理やり繋ぎ合わせたその怪物を断ち切る道標のような気がした。
虎が牙を剥き出した。
その口に赤いものがチラチラと見えた。
「スザク! ダメ!」
私が叫ぶと同時だった。
虎の口から炎が放たれる。
スザクが私を守るように飛び出し、炎に一瞬にして包まれた。
「スザクー!!」
炎が私を掠めようとしたとき、ミヤビが私を突き飛ばした。
二人して神殿の床に転がる。
「はいっ!!」
巫女の薙刀がキマイラの足を狙う。
「蛇に気をつけろ!!」
尻尾の大蛇が巫女を襲う。
躱した巫女が風圧で吹き飛ばされた。
「スザク……」
そのときスザクの首輪が光った。
リングから目も眩む赤い光が放たれ、スザクの小さな体を光輝く炎が包み込んだ。
輝く炎がキマイラの火を飲み込み、渦を巻いて天井高く立ち昇った。
その炎が裂けた。
炎が翼を形作っていく。
真紅の羽がゆっくりと広がった。
神殿の天井が赤く染まった。
犬の姿は消えていた。
そこにいたのは、虎の顔ほどに巨大な、炎を纏う美しい鳥だった。
「神獣……朱雀……」
「ヴェエエエエエ!!」
そのつぶやきは、キマイラの怒りの怒号にかき消された。
神殿の温度が上昇していく。
汗が浮きだす。
「メエエエエエ!!」
神獣朱雀はその鋭い爪で、皮膚を突き刺し、その嘴で顔を狙う。
その度に山羊の悲鳴が響いた。
キマイラの虎が神獣朱雀の首元に噛み付き、炎が消える。
大蛇が神獣朱雀を襲う。
神獣朱雀は、虎と蛇に噛みつかれるたび、炎が揺らぎ、神獣の体が小さくなっていく。
暴れ回るキマイラに、巫女たちはうかつに近寄れないでいた。
「スザク……」
「はあッ!!」
隙を見てミヤビの薙刀がキマイラの足を切り裂く。
血飛沫が舞う。
「皮しか、切れぬ……」
ミヤビの顔が焦燥に満ちる。
大蛇に薙ぎ払われ、巫女の体が吹き飛ばされる。
「神獣朱雀……本尊ではない……?」
神獣朱雀の炎が食い破られ、炎の勢いは失っていた。
「……力が限られている……か」
ミヤビが薙刀を構え直した。
「神獣白虎ッ!!」
私は叫んだ。目に涙が溢れる。
「あなたの土地がッ! この綺麗な国がッ! 化け物に踏みにじられているのに!!」
目の前の神獣朱雀の炎は、虎と蛇に噛みちぎられ、どんどん小さくなっていく。
「神獣朱雀だって! 必死に戦ってるのにッ!!」
私は息を吸い込んだ。
「あなたは、このままでいいのッ!?」
ミヤビが大蛇の牙から間一髪逃れた。
「私は嫌ッ!! 私は、この土地を守りたいッ!! ミヤビさんたちを、守りたいッ!!」
涙が止まらなかった。
絶叫だった。
言葉が勝手に口からほとばしった。
「女神として誓います!!」
今後、どうなるのか、まったくわからずに。
でも、その言葉を口にして、後悔はなかった。
「あなたと契りを結びます!!」
風の音が聞こえた。
松明の炎が揺れて、一瞬消えた。
神殿の入り口から、白い風が吹き込んだ。
それは、獣が低く息を吐いたような風だった。
石の床に、見えない爪が走ったような気がした。
*
「柚月ッ!!」
私たちが神殿の谷を降りているころ、神殿に入っていく柚月たちの姿を捉えた。
「待って!! フォーゲルさん! 急いで!!」
私はフォーゲルの背中から飛び降りた。
「アベーノたちは、ここで待ってて!!」
千尋は? 無事なの?
私は崩れやすい石灰岩の斜面を滑るように降りていく。
前を行く巫女の足が早まった。
後ろにフォーゲルが慌てて続く。
そのとき、山羊の叫びと獣の咆哮が谷に轟いた。
「柚月ッ! 無事でいて!!」
神殿から赤い光が溢れた。
——炎?
火を吐く魔の獣……
キマイラ……?
*
暗い鍾乳洞で、また私は寝てしまっていたようだった。
目が覚めたとき、その鍾乳洞は静まり返っていた。
松明の灯りに、見覚えのある顔が浮かんだ。
「マカーベ……くん」
心配そうに覗き込んでいるその顔の視線が逸らされた。
「オン、アルジ……」
「やめて! 千尋でいい! 私は、千尋……」
私はマカーべの言葉を遮った。
「千尋って、呼んで」
私は潤んだ瞳でマカーべを見上げた。
しかし、マカーべの目は伏せられたまま動かない。
「……」
「私は女神になる。でも、私の名前は千尋……」
「……」
「私は……みんなを救うために、女神になる」
その言葉に、マカーべは目を見開いた。
私は今にも涙がこぼれ落ちそうな目で、マカーべの伏せた顔を見つめた。
この世界では、女神でいなければならない。
この世界にいる間は、神様にならないといけない。
「マカーべくん。でも、私は千尋。だから、千尋って呼んで?」
マカーべは、その目を私に向けた。
その口が開きかけて、また閉じられる。
そして、意を決したようにまた口を開いた。
小さな小さな声、でもそれは、そう聞こえた。
「……チ、……ヒロ?」
「……うん。ありがとう」
涙が溢れた。
「黒神の女神さま、すぐそこが神殿で、そうろう……」
ミワーノが、ためらいがちに声をかけてきた。
私は毛皮の敷物の上に寝かされていた。
左手で起き上がる。
頭の痛みは、落ち着いていた。
右手をつくと、まだ少し痛んだ。
涙を拭い、ゆっくりと立ち上がる。
「行きましょう」




