43話 霧中の襲撃
私たちは仮面を外していた。
日本の服で素顔を晒すと、普通の女子高生に戻った気がした。
深い原生林。
常に風が吹き抜け、草木を揺らす。
その度にどきりとして振り返る。
木々の間から白い岩が、塔のように何本も聳え立っている。
景色を見る余裕もなく、歩き続けた。
ミヤビは薙刀を持ち、先頭を歩いている。
千尋は遅れがちだった。
途中でフォーゲルの背中におぶられて、青白い顔に安堵の表情が浮かんだ。
誰しもが寝不足で、疲れていた。
でも早くあの場所を離れなければ、襲われる……
だが、幸い、獣や眷属の襲撃はなかった。
「先発の巫女隊が、安全を確認いたして、ございます」
ミヤビが私たちを安心させるように言った。
「マカーべはいないの……?」
日向がミヤビに聞いた。
「マカーべは、男衆とともに、すでに神殿に向かってございます」
「私たちのこの状況、マカーべさん知ってるよね?」
私は確認せずにはいられなかった。
マカーべのあの武勇の源泉がここにある。
あの剣の腕があれば、神殿のキマイラもなんとかしてくれる。
そう淡い期待を抱いた。
しかし、ミヤビは首を振った。
「隠密行動にて、我らも居場所が掴めませぬ」
「……」
私たちがようやくホッとできたのは、ビャッコの民の集落についた時だった。
もう夕方だった。
「疲れた……」
提供された高床式の住居に通されたとき、私たちは床に座り込んだ。
誰もが無言だった。
質素な芋と鶏肉の夕食を取っているとき、雨が降り出した。
会話すら成り立たない豪雨の中、私たちは毛布にくるまると気絶するように眠った。
*
「明日の昼には、神殿につきましょう」
朝の食事の時だった。ミヤビが小屋の外から声をかけた。
「御主女神さまがた……このアベーノ。どこまでも、ついていきましょうぞ……」
翌朝、アベーノがやつれた顔を外の床に擦りつけて言った。
「アベーノさん? 無理しなくていいから……ここで待ってていいよ」
日向がため息をついた。
私は都の地下、浄化槽で日向がアベーノに助けられていたことを聞いていた。
「やるときは、やるよ、アベーノは」と日向が珍しく褒めたものだった。
「ここから先は眷属がたくさん出るんでしょ? 危険だよ?」
日向が珍しく気遣いを見せる。
「だからこそ。もしもの時はこのアベーノ。身代わりになりましょう……」
そこまで言われては、さしもの日向も無下に断ることは出来なかった。
「はー、仕方ないね……」
でも、私はスザクとビャッコに、裏の駆け引きがあるのだと思った。
ここで別行動を取れば、私たちはビャッコに完全に取り込まれてしまう。
なにかスミレさんに言われてきたのかもしれない、とも思った。
「それに、御主女神さまがたの御加護があれば、無事、神殿の解放もできましょう」
「……」
アベーノは疑いもなく確信したように言った。
その信仰は、私たちには重かった。
私たちは、また深い森の中に入っていく。
風は強くなって来ている気がした。
聞いたことのない鳥の鳴き声が響く。
がさがさと動物が藪の中で動き回る音がする。
虫が鳴き、羽音を立てながら飛び回る。
どこからか、水が流れる音。
想像以上に騒がしく、幻想的な世界。
半ば夢心地で歩いていく。
だけど、常に何かに見られているという感覚があった。
ときおり、振り返る。
同じ森、同じ巫女たちの姿。
昼が過ぎる頃、また千尋はフォーゲルに背負われた。
フォーゲルの口元が誇らしげに綻んでいた。
日が暮れる前に森を抜けた。
白い大地が目の前に広がる。
石灰岩が川と雨と風に削られ、階段上のテラスが出来ていた。
テラスに溜まった水が、夕日に赤く染まっている。
突風が髪を巻き上げる。
「……きれい」
思わず、声が漏れた。
「ここからが、眷属の本拠地……」
ミヤビの声が、緊張を帯びた。
「今夜は、ここ。森の端にて、野営にいたしまする」
アベーノたちの部隊も合流し、巫女たちが簡易な柵を張っていく。
騎士とモノノフたちが篝火の準備をしている。
「眷属って、襲ってくる……?」
「命をかけて、お守りいたす……」
「神獣、白虎は……?」
「まだ道を、示されておぬ故……」
神獣朱雀の火の試練を乗り越えたのは、私の力ではなかった。
あれは、スザクの力……
——道って……何?
ここまで歩いてきた道とは違う、それは理解できた。
道路ではなく、生きる道……
生き方か……
もしくは、覚悟を求めてる……?
とっかかりのない、幻のような、実態のない……なんだろう?
そこまで考えて、首を振った。
なんとか、なる……
考えるのは千尋に任せる。
まず見ることだけにしよう。
巫女たちは野営の場所の周囲に、何やら粉を撒いていた。
千尋は途中から自分の足で歩いていたが、足が痛そうだった。
スタミナのある日向も、疲れた表情を見せて肩で息をしている。
「なんか、怖いよ……ここ」
千尋が痛む足をさすりながら、焚き火に当たる私のそばにくっついてきた。
「……ねぇ、ミヤビさん。絶対、眷属来るよね……」
日向が眉を寄せて、左隣にくる。
篝火が焚かれ、巫女たちが巻いた粉にも火がつけられた。
煙が立ち上がり、独特な匂いが風に運ばれ漂った。
夕日が木立に、長い影を落としていく。
「キマイラ除け……?」
「一昨日の夜と、同じ匂い……」
「でも、効果なかった……」
私たちの前に、潰した芋が添えられた椎茸の出汁のスープが差しだされた。
「ホッとする味……」
「日本を思い出すよね」
「……」
無言で口に流し込んでいく。
ひょっとしたら、裏切りの巫女もこの味で郷愁に誘われて、逃げようとした?
そう、物思いにふけっていた時だった。
気がつくと霧が出てきていた。
巫女の粉が燃える煙とは違う、冷たい霧。
気温が下がり、寒気を感じる。
「グルルル……」
「どうしたスザク?」
スザクの毛が逆立つ。低い姿勢で唸り出した。
低い地鳴り。
薮が倒されていく音。
「……ッ!!」
巫女たちが一斉に薙刀を手に取った。
手に嵌めた鈴がシャンシャンと鳴る。
「襲撃じゃッ!!」
ミヤビが叫んだ時だった。
白い大きな影が、柵を吹き飛ばした。
守備のモノノフ、騎士が薙ぎ倒される。
一直線に私たちに向かって、山羊のツノを突き出し突進してくる。
その横には白い虎の顔が牙を剥いていた。
尻尾の蛇がこちらに向いて口を開ける。
「双ッ……頭ッ……!」
千尋がお尻をぺたんと落とした。
「バウバウバウッ!!!」
スザクが後ろを向いて吠え出した。
後方でモノノフと巫女の悲鳴が響いた。
「後ろからも!」
「逃げなきゃ……」
ミヤビの鉄扇が迫り来る山羊の頭に直撃した。
私たちの後ろでモノノフが剣を抜き、巫女たちが薙刀を構える。
「千尋! 逃げるよっ! 立って!」
日向が千尋の腕を掴むが、千尋は立ち上がれない。
「はあっ!!」
ミヤビの薙刀が山羊の首を切り裂いた。
私の目の前で、血がほとばしる。
それでも止まらない。
「きゃあああッ!!」
千尋の絶叫が響いた。
次の瞬間、双頭のキマイラの山羊の頭に、千尋は掬い上げられるように突き飛ばされた。
そのままキマイラは苦痛の叫び声を上げ、後方に駆け抜けていく。
「千尋ーッ!!」
「嫌あーッ!!」
さっきまで隣にいた千尋が、消えた。
その体が宙を舞った。
私は届くはずのない、手を伸ばした。
後ろから来たキマイラの群れに、千尋の姿が飲み込まれた。
「千尋ーッ!!」
「白面の女神! こちらに」
私はミヤビに強い力で腕を掴まれ、引っ張られる。
「千尋ッ!!」
『御主女神さまがたッ!!』
フォーゲルが大剣を手に飛び込んできた。
「やめて! フォーゲルさんッ!!」
日向の声が響いた。
振り返ると、フォーゲルが日向を肩に担いでいた。反対側にはヨシーノが担がれている。アベーノが必死の形相で走ってきていた。
「降ろしてッ!! 千尋ーッ!!」
日向はそのまま巫女に導かれて、霧の中に消えていく。
「千尋……?」
千尋が消えた地面に、黒いマントが翻った。
双頭のキマイラの断末魔の悲鳴が轟いた。
群れが割れた。
長剣を振るう鎖帷子の戦士。
その足元に一瞬だけ、倒れた人影が見えた。
「マカーべさん……?」
私はミヤビに、強く腕を引かれた。
「逃げるのじゃ! 今は一人でも、生き延びるのが先決じゃ!」
ミヤビと目が合う。
でも足が動かない。
今なら、行けば助けられるかもしれない……
置いて、いけない……
あの運動音痴で、一番怖がりの千尋を……
心臓の鼓動が、喉元まで上がってくる。
視界が涙で滲む。
でも、足は動かない。
「逃げるのじゃッ!」
その手を、振りほどけなかった。
「マカーべ! 黒神の女神を頼む!!」
ミヤビが霧の中に叫んだ。
日向の声はいつの間にか、聞こえなくなっていた。
「マカーべさんッ! お願いッ! 千尋を助けてッ!」
私は前を向いてミヤビに手を引かれて、走り出した。
千尋、死なないで!
マカーべさん、頼む、お願い。
巫女の鈴がシャンシャンと鳴る。
モノノフと騎士の悲鳴と怒号。
薙刀が風を切る。
霧は、全てを飲み込んだ。




