30話 それぞれの夜
「千尋ちゃん。帰れるって言うなら……証明して」
証明……
スミレさんを味方につけられれば、事態は変わる。
だけど、証明ってどうすれば……?
「出来ないの……?」
「光るんです…… あの場所にいけば……」
勾玉は私の手の上で冷たく、燭台の炎に照らされていた。
「……それと、瀬をはやみ。百人一首の崇徳天皇のうた……」
「……瀬を、はやみ……?」
私は玄武の神殿で、あの歌を詠んだ時のことを思い出した。
あのとき、確かに反応した。
この勾玉は、思いに反応する。
シャンシャンという巫女の鈴の音が脳裏によみがえる。
私は目を閉じた。
「瀬をはやみ~」
あの時の気持ちのまま口ずさむ。
次の句を紡ごうとした時だった。
「……岩にせかるる、滝川のぉ……」
スミレが後に続いた。
沈黙が落ちた。
顔を見合わせる。
「「われても末にぃ あはむとぞ思ふ~」」
「……」
スミレはゴーグルを外した。
目をこすっている。
「これ、崇徳院ね……」
涙声になっていた。
「……愛しいあの人と、今は、分かれても……」
肩を震わせる。その声に嗚咽が混じった。
「……いつかはきっと、会えるって……」
溢れる涙を手で拭うが、止められないようだった。
燭台を置いて、しゃがみ込んだ。
「……スミレ、さん」
私の目にも熱いものが込み上げてきた。
——四十年…… 家族…… 友人…… 愛しいあの人……
もう会えない…… その絶望……
もし、私だったら……
心臓が冷えていく。
そのときだった。
私の持つ勾玉が、光った。
まばゆい青い光が室内を照らす。
「……光った?」
スミレの目が見開かれる。
青白い光は、やがて止まった。
燭台の炎が揺らぐ。
スミレは長い間、勾玉の消えた光を見つめていた。
スミレは鼻をかんだ。
「……本当に、光ったわね」
「でも、ここでは、帰れないです……」
「……モノちゃんには、世話になった……」
スミレは立ち上がった。
「この石が光るところで、帰れるのね?」
「そうです…… 神廟で、スザクの神殿で……」
スミレは大きくため息を吐いた。
「証明したわね…… いいわ、協力してあげる」
その言葉に力が抜け、膝から崩れ落ちた。
——繋がった……
「あと、二つあります! 多分…… いや絶対」
そう言って、はっと気づく。
ダメだ、あと二つじゃ足りない。
私は立ち上がった。
「もう一個はマカーベくんが持ってます。あと、ビャッコと…… セイリューの神殿にあると思います」
「一人、一個なのね?」
「こっちの人、マカーベも勾玉、持ってたから、日本に行けた……」
スミレは再び、ゴーグルとマスクをつけた。
「いいわ。いつになるか分からないけど、謁見の間に来られるように、モノノーベに伝えておく」
スミレが暖炉の中に入ったとき、私のお腹がぐーと鳴った。
「あはっ! ちゃんとごはんは、食べるのよ」
「はい……」
「それと、夢の国、楽しみにしてるからね……」
そう言ってスミレさんは壁の向こうに消えた。
私は力が抜けて、再びその場にへたり込んだ。
——日向、柚月、必ず助ける。
みんなで帰ろう。
*
「バウバウバウ!!」
スザクが吠え立てながら、私の前を走っている。
『きゃあ!』
『うわッ!』
シベリアンハスキーの迫力に、人混みが割れていく。
目立つ能面はすでに外して手に持っている。
背負い直したリュックが背中で揺れる。
「スザク! そっち? 待って!」
スザクは匂いを辿って一目散に走っていく。
煉瓦造りの建物の裏路地に入ったとき、視界が布で覆われた。
「しっ!」
「ミヤビさん!?」
巫女の独特な香りが漂った。
一枚布で頭から足首まで包まれる。
それはあっという間に、インドのサリーのような装いになった。
髪を隠すと、現地の服装とそうは変わらない。
ミヤビも丈の短い、似たような服装をしている。
騎士たちが、こちらに駆けてくる足音が響いた。
「ミヤビ様……」
一人の巫女が緊張の声を上げる。
「まかせておけ……」
ミヤビは、鉄扇を懐から取り出した。
「女神様は、こちらに……」
日本語が話せる巫女に手を引かれた。
香の匂いが後ろから漂ってくる。
「ミヤビさん……」
「早く」
私とスザクは巫女に導かれて路地を抜けていく。
ほどなくして、明らかに治安の悪そうな一角に出た。
物乞い、アル中、四肢欠損、すえた臭いとゴミが集まった掃き溜めにその建物はあった。たどりついた時、日はとっぷりと暮れていた。
「ひやひやしたぞえ……」
ミヤビがくぐり戸から入ってくる。
「ミヤビさん! 日向はッ!? 千尋は……?」
「蛙神は騎士に連れて行かれた。黒神は城に入った……」
ミヤビはがたつく椅子に、どかっと座った。
蝋燭の明かりが揺れた。
「助けないと……!」
「無理じゃ」
ミヤビは首をふった。
「くうん……」
「まったく、逃げ出すなど、とんでもないことを、してくれたもの……」
「あの煙、合図をくれたんじゃ……?」
「暴れる蛙姫を、落ち着かせようとしただけだ」
ミヤビはため息をついた。
もう私を敬うような様子は微塵もなかった。
「普通、あそこから逃げようとはせんぞ…… 機会を窺っておっただけよ……」
「……モノノーベに会いに行くって、言ってたよね?」
「モノノーベの神と我々ビャッコの女神は、もとより、敵対関係……」
ミヤビは差し出されたお茶をすすった。
「ただ、古い盟約があったのみ…… じゃが反故にする気じゃ……」
「……?」
「モノノーベは、そなたらを恐れておる……」
「……?」
「そなたらゲンブの魔性のものを討伐し、あまつさえ玄武を呼び出してしまった……」
「……それで、ご褒美をもらえるって、聞いたけど」
ミヤビは鼻で笑った。
「逆じゃ…… 邪神として、葬り去ろうとしておる……」
「……私たち、ビャッコの女神なの? アベーノたちの言う神様なの? どっち?」
ミヤビはさらに大きく嘆息した。
「そなたらが女神ではないと確信できたら、どれほど楽だったか……」
「どういうこと?」
「伝承の玄武が姿を現した。八百五十年ぶりじゃ」
「……八百五十年前って…… 千尋が言ってた、崇徳天皇……」
「伝え聞くストーク御神のときと同じ、じゃ……」
ミヤビは目を細めた。
「じゃが…… 魔性のものを振り払う力は、女神の力じゃ」
「じゃあ、私たち…… ビャッコの女神でもあり、アベーノたちの神様でも、あるってこと?」
ミヤビは答えなかった。
「そなたらを見ていると、ピーコを思い出す……」
「ピーコさん? マカーべさんの想い人……?」
「……」
長い沈黙。
私はその沈黙に耐えられなかった。
聞いたら、いけなかった……?
でも、今は——
ピーコとマカーべよりも——
「日向と千尋を助け出したい」
「……奇跡を起こせれば、可能性がある」
ミヤビがポツリと言った。
「奇跡……?」
「神獣朱雀を呼び出す事じゃ……」
「どうやって……?」
「本物の女神ならば、呼び出せるはずじゃ……」
「……それで、私たちを確かめる?」
ミヤビは目を閉じて、それには答えなかった。
「まあ、まずは腹ごしらえと休むことじゃ…… 明日、手の者が報告を持ってこよう……」
ミヤビは立ち上がった。
「朱雀を…… 呼び出して……?」
玄武の神々しくも、愛嬌のある目を思い出す。
——ヌッシー…… 可愛かった。また会いたいな。
でも、どうやって、呼び出すんだろう?
「大丈夫だよね、スザク」
「バウ……」
スザクが小さく鼻を鳴らした。
「待ってて…… 私が、必ず」
私は拳を握った。
*
暗闇……
何も見えない。
自分の手さえ。
冷たい……
濡れてる。
白装束が、びしょびしょ。
ピチョンと定期的に滴る水の音のみ耳に響く。
両手は後ろ手に縛られていた。
じんじんと痛む。
不気味な蛙のお面のせいで、息が苦しい。
——こんな気持ち悪いお面、被らされたから!
「アベーノのヤツ!」
仮面がずれたけど、直せない。
「なに…… ここ?」
覚えのある匂いだった。
甘ったるくて、お香のような、薬品のような……
「この匂いで、気を失ったんだ…… あのあと、すぐ……」
暗闇の中、上体を起こした。
「この縄を、なんとかしないと……」
腕を引っ張るが、びくともしない。
動こうとすると縄が手首に食い込んだ。
——出っ張りはどこかにない?
そのとき、また眠気が襲ってきた。
「……何か、喋ってないと、また…… 意識が……」
頭を振った。
そして、叫んだ。
「柚月ッ! 千尋ッ! 待ってて!」
暗闇に私の声は、吸い込まれていった。
「ここから必ず逃げ出して、絶対に助けるから!」
なおも虚空に叫ぶ。
「みてろよッ!! 絶対! 終わらせてやるからッ!」




