第11話 函館にいる
空の世界では、予定通りにいかないことがあります。
でも蒼空は、それを「トラブル」とは少し違う感覚で受け止めています。
今回は、陸がその感覚の輪郭に触れる回です。
大学の講義中だった。
スマートフォンが振動した。
姉ちゃんからLINEだ。
珍しい、と思った。
姉ちゃんからLINEが来るのは、用件があるときだけだ。
しかも昼間に来ることは、ほとんどない。
こっそりスマートフォンを開いた。
「今日、函館にいる」
俺は画面を見た。
函館?
え、函館って北海道の?
俺は既読をつけて、返信した。
「え、なんで」
すぐに返信が来た。
「新千歳が吹雪で閉まった」
俺はもう一度送った。
「大丈夫?」
「大丈夫。待ってる」
講義が続いていた。
でも頭の半分は、函館にいる姉ちゃんのことを考えていた。
* * *
講義が終わった。
田中に話した。
「姉ちゃんが函館にいる」
「なんで」
「吹雪で新千歳が閉まったって」
「ダイバートってやつ?」
「そう」
「大丈夫なの」
「大丈夫って言ってた」
「でも帰れないじゃん」
「……そうだな」
俺はスマートフォンを開いた。
「今日帰れる?」
しばらして返信が来た。
「たぶん帰れない。明日帰る」
俺は画面を見た。
明日帰る。
函館に、一泊する、ということだ。
「ホテルは?」
「これから探す」
蒼空らしい返信だった。
慌てていない。
焦っていない。
ただ、淡々と対処している。
* * *
田中が隣でスマートフォンを見ていた。
「ダイバートって、どのくらい待たされるの」
「さあ」
「姉ちゃん、怖くないのかな」
「怖くなさそう」
「すごいな」
「……そうだな」
俺は窓の外を見た。
東京は晴れていた。
北海道は吹雪いているらしい。
同じ日本なのに、空が全然違う。
姉ちゃんは今、函館の空港で待っている。
NALが先に飛んで、AOAが飛んで、JSNは最後に飛ぶ。
姉ちゃんはそれを知っていて、待っている。
「大丈夫」って言っていた。
本当に大丈夫なんだと思う。
姉ちゃんがそう言うときは、本当にそうだから。
* * *
夕方、またLINEが来た。
「NAL飛んだ」
しばらくして。
「AOA飛んだ」
また少しして。
「JSNまだ」
俺は画面を見ながら、思った。
リアルタイムで、報告してくれている。
いつも返信すらしない姉ちゃんが、自分から送ってきている。
俺は返信した。
「待たされてるね」
「そうだね」
そっけない返信だった。
でも、続いていた。
「函館、どう?」
「晴れてる」
「観光は?」
「してない」
俺は思わず笑った。
「函館朝市とか行けばいいのに」
「空港から出たくない」
やっぱりそうか、と思った。
函館に来ても、空港から出ない。
それが姉ちゃんだ。
「何食べてるの」
「函館の洋菓子。空港で買った」
「美味しかった?」
「美味しかった」
短い返信だった。
でも、続いていた。
* * *
夜になった。
またLINEが来た。
「JSN飛んだ。でも新千歳着いたら乗り継ぎ便行ってた」
俺は画面を見た。
乗り継ぎ便、行ってた。
「え、どういうこと」
「函館で一番長く待たされて、新千歳着いたら次の便がもう飛んでた」
「……それ、詰んでない?」
「詰んでない。明日の便取った」
「ホテルは?」
「取った。新千歳の近く」
俺はしばらく画面を見た。
函館で一番長く待って、やっと新千歳に着いたら、乗り継ぎ便に乗れなかった。
普通の人間なら、怒るか、泣くか、途方に暮れるか。
でも姉ちゃんは「明日の便取った」と言った。
解決策を、もう見つけていた。
「大変だったね」
俺は送った。
しばらして返信が来た。
「まあ、空の話だから」
俺は画面を見た。
まあ、空の話だから。
その一言の意味が、俺にはまだよく分からなかった。
でも、姉ちゃんにとっては、それで全部説明がついているらしかった。
* * *
夜、部屋で一人でいた。
姉ちゃんは今、新千歳の近くのホテルにいる。
明日、羽田に帰ってくる。
俺はソファに座って、天井を見た。
今日、姉ちゃんはどれだけの空を移動したんだろう。
羽田から新千歳へ向かって、函館にダイバートして、函館から新千歳に飛んで。
三回、飛んだ。
でも、目的地に着けなかった。
乗り継ぎ便にも乗れなかった。
それでも姉ちゃんは「まあ、空の話だから」と言った。
俺には、その感覚が分からなかった。
でも、いつかは分かりたいと思った。
姉ちゃんが見ている空の話を、もっと知りたいと思った。
スマートフォンを開いた。
もう一度、姉ちゃんのトーク画面を見た。
「まあ、空の話だから」
その言葉が、頭に残っていた。
「まあ、空の話だから」。
蒼空にとっては自然な一言でも、陸にはまだ未知の感覚でした。
それでも彼は、少しずつその世界を理解し始めています。




