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南京町の悪役令嬢は、高級菓子の毒(マトリ)を嗅ぎ分ける  作者: 水前寺鯉太郎
「バチカン・聖遺物・ティーパーティ編」

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第32話:貝殻の沈黙(スフォリアテッラ)


 喉元に突き立てられた銀の切っ先を前にしても、神父の笑みは消えなかった。それどころか、その濁った瞳には、殉教者特有の恍惚とした悦びさえ浮かんでいる。

「……ふん。命を差し出す覚悟か。バチカンの教育というのは、恐怖を麻痺させることに関しては超一流らしいな」

 私は、フォークを突き立てたまま、神父の傍らに置かれたトレイに目を向けた。そこには、何層にも重なった薄い生地が貝殻のような形を成すナポリ伝統の菓子――**『スフォリアテッラ』**が鎮座していた。

「最後の一口を所望か? 迷える子羊よ。……この『千の層』の奥に隠された、真実の重みをな」

 神父が震える手でその一つを掴み、私の前で握りつぶした。

 バリッ、ザクザクッ……!

 何百もの層が重なり合った生地が、乾いた悲鳴を上げて砕け散る。その飛沫と共に、中心部に閉じ込められていたシナモンとオレンジの香りが、異常なほどの濃度で噴出した。

 私はその破片の一つを、あえてフォークの先で拾い上げ、口へと運んだ。

 パリパリッ、ボリボリッ……。

 幾重にも重なったバターの層が、口腔内で鋭利なガラス片のように弾ける。だが、その快楽の背後で、リコッタチーズに練り込まれた「重い」感触が舌を捉えた。

 ヌチャッ、……。

 チーズのまろやかさに擬態した、揮発性の幻覚剤。それも、三宮で見つけたものよりも遥かに安定性が高く、持続時間の長い『カラス』の最新ロットだ。

 

(……! この層の厚さ、そのまま『沈黙』の深さというわけか。……生地の一枚一枚に、この街の欺瞞が塗り込められている)

 噛みしめるたびに、脳の深部が冷たい霧に包まれていく。視界が急速にセピア色へ褪せ、神父の姿が聖画の聖人のように輝きを増していく。

 クゥン、……!

 足元でマックスが低く唸り、私の左足に鼻を押し当てた。その濡れた鼻の冷たさが、浸食されかけた意識の防波堤となる。

 私は、震える手をポケットへと突っ込み、最後の**『オレオクッキー』**を引きずり出した。

 パキッ、バリボリッ!! ガリッ!!

 漆黒のココアが放つ、救いようのない「地上」の苦味。

 それが、幾千の層となって迫り来る聖なる幻覚を、強引に暗黒へと塗り替えた。

 ドクンッ、……!

 心拍が「現実」のビートを刻み始め、褪せていた世界に鮮やかな色彩が戻る。

「……お残しは許さないと言ったはずだ。……神父。……貴様の『千の層』など、私のティータイムの一分を埋めるのにも足りない」

 私はフォークに力を込め、神父の法衣の胸元に刻まれた「鴉」の紋章を、裏側の皮膚ごと引き裂いた。

「……吐け。このスフォリアテッラの『レシピ』を書いた、真のシェフ……。バチカンの奥深くに潜む、あの『枢機卿』はどこにいる?」

 崩れ落ちる神父の背後で、聖堂の奥に隠された秘密の昇降機が、重々しい音を立てて動き始めた。

 

「……さて。マックス。ダリア。……口直しに、この『層』の最深部に隠された、バチカンの腐った内臓を、丸ごと検食(ガサ入れ)してやろうか」

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