第29話:背徳の香炉(アマレッティ)
ローマの路地裏、蔦に覆われた古い修道院の地下。
重い石扉をフォークの先でこじ開けると、そこには祈りの静寂ではなく、悍ましい化学反応の熱気が停滞していた。
壁には煤けた十字架。だが、その下の作業台には、フラスコや遠心分離機が所狭しと並んでいる。
「……ふん。祈りの言葉の代わりに、劇物の蒸気を吸い込んでいるわけか。信心深いことだ」
私は、マックスとダリアを周囲の警戒に当たらせ、部屋の隅に積み上げられた麻袋に目を留めた。
表向きは「礼拝用の香草」と記されているが、私の鼻はその欺瞞を見逃さない。
袋を裂くと、中から現れたのは、乾燥した植物の断片に銀色の粉末がこびりついた**『脱法ハーブ』の山だった。
「合成カンナビノイド。……それも、脳の受容体を直接焼き切るような、悪質な『改良型』だな」
私は作業台の上に置かれた、小さな丸い菓子――『アマレッティ』を一つ摘み上げた。
メレンゲに杏仁を混ぜて焼き上げた、イタリアの伝統的なマカロンだ。
パキッ。
指先で力を入れると、繊細な表面が脆く崩れる。
私は、その一片を口へと運んだ。
サクッ、シャリリッ……。
独特の粘り気のある甘みと、杏仁の強烈な苦味。
だが、その苦味の正体は、植物由来の成分ではない。ハーブに噴霧されていた、あの銀色の粉末――金属系の神経毒だ。
ジャリッ、……。
咀嚼するたびに、ガラス粉が粘膜を刺激し、毒の吸収を加速させる。
一瞬で後頭部を殴られたような衝撃が走り、視界の端が赤く明滅し始めた。
(……! アマレッティの苦味を利用して、ハーブの化学臭を隠蔽しているのか。……聖職者の皮を被った、ただの『毒の庭師』が)
クゥン、……。
足元でダリアが激しく震え、私の意識を現実へと引き戻す。
私は、震える指でポケットから『オレオクッキー』**を掴み出し、そのまま口へ叩き込んだ。
ボリッ、ボリボリッ!! ガリッ!!
漆黒のココアが放つ、救いようのない「地上」の苦味。
それが、脳を焼き尽くそうとする「聖なる幻覚」を、強引に暗黒へと塗り替えた。
ドクンッ、……!
「……お残しは許さないと言いたいが。……こんな不潔な毒、御影家のゴミ箱にも相応しくない」
私は、銀のフォークを握り直し、部屋の奥の暗闇を見据えた。
そこには、聖書を手にしたまま、狂気に歪んだ笑みを浮かべる神父が立っていた。
「……さて。お口直しに、この『背徳の温室』ごと、丸ごと検食(ガサ入れ)してやろうか」




