第28話:聖なる石(ビスコッティ)
サン・ピエトロ広場を望む、路地裏のテラス席。
ローマの熱風に混じって、濃厚なエスプレッソの香りと、どこか線香にも似た古い教会の匂いが漂っていた。私は、御影家のコネクションで手配した修道女風の変装に身を包み、テーブルに置かれた一皿の菓子を凝視した。
「……ふん。二度焼きされた『石』か。バチカンの信心深さは、胃袋にまで硬さを求めるらしいな」
皿の上には、不揃いな形をした『ビスコッティ』が並んでいた。
私はその一本を指先で摘み上げた。
カチッ。
爪で叩くと、陶器のような硬質な音が響く。
ボキッ、……。
力任せに二つに折る。乾燥しきった生地が、骨が砕けるような乾いた音を立てた。
私はそれを、熱いエスプレッソに浸すこともなく、そのまま口へと放り込んだ。
ガリッ、ジャリリッ!!
奥歯が悲鳴を上げるほどの硬度。噛み砕くたびに、頭蓋骨に直接不快な振動が伝わる。
アーモンドの香ばしさ。だが、その粒を噛み締めた瞬間、舌の先から全身へ向けて、冷たい「雷光」のような刺激が走り抜けた。
(……! アーモンドではない。……これは、高純度の『ブラッド・マリア』を、特殊なタンパク質で結晶化させた『聖人の涙』か!)
一瞬で意識が拡張され、視界が白濁する。広場の聖歌が、まるで鼓膜を切り裂くような金属音に変わった。
クゥン、……。
足元で、ダリアが私の裾を強く噛んだ。彼女の震えが、私の脳に「現実」の座標を繋ぎ止める。
「……お残しは許さないと言いたいところだが。……神の奇跡を安売りするパティシエには、少々お灸を据える必要があるな」
私は、震える手でポケットから『オレオクッキー』を取り出した。
パキッ、バリボリボリッ!!
漆黒のココアが放つ、救いようのない「地上」の苦味。
それが、脳を焼き尽くそうとする「聖なる幻覚」を、強引に暗黒へと塗り替えた。
ドクンッ、……!
心臓が再起動し、ローマの喧騒が再びモノクロの真実へと収束する。
「……さて。マックス。ダリア。……口直しに、この『聖なる毒菓子』を配り歩いている、信心深き売人(神父)を、丸ごと検食(ガサ入れ)しに行こうか」
私が立ち上がると同時に、背後の教会の影から、純白の法衣を纏った男が姿を現した。その瞳には、知性という名の狂気が宿っていた。
「……ようこそ、極東の迷える子羊よ。そのビスコッティは、天国への最短切符だ。……味はいかがだったかな?」
私はフォークを指先で回し、男の喉元を見据えた。
バチカン・聖遺物・ティーパーティ。
その幕開けを告げる鐘の音が、夕闇のローマに重厚に響き渡った




