第27話:終焉の晩餐(エクルスケーキ)
ゴォォォォ……!
テムズ川の濁流が、亀裂の入ったガラスドームから容赦なく流れ込んでくる。警報音と火花が、制御不能に陥ったプラントの断末魔を告げていた。
私は、倒れ伏したアーサーの胸から、血に濡れた一袋の菓子を回収した。
「……ハァ、ハァ。……アリス、……いや、瑠璃。……最後にそれを、……『検食』していけ」
アーサーが震える指先で示したのは、平たく押し潰された円形の焼き菓子――『エクルスケーキ』だった。
カサッ、……。
私は、浸水する足場を無視し、その無骨なパイ生地を二つに割った。
グチャッ、……。
中から現れたのは、スパイスと共に煮詰められたカランツ(小粒のレーズン)の塊。押し潰され、黒ずんだその果肉は、まさに組織の野望に使い潰された末端たちの成れの果てのようだった。
ムギュッ、……。
私はそれを一口、口腔内へ放り込んだ。
ジャリッ、ネチャ……。
凄まじい砂糖の甘みと、シナモンの香り。だが、その粘り気の奥底に、私は「広島」から続く、あの金属的な『毒』の頂点を感じ取った。
(……! この、味。……『ブラッド・マリア』の完成形ではない。……これは、さらにその先。……人体の神経系を『書き換える』ための、遺伝子触媒か!)
ドクンッ、……!
心臓が爆ぜるような衝撃。視界が真っ赤に染まり、膝が折れそうになる。
「……ワンッ! ワンッ!」
「キャンッ!」
マックスとダリアが私の裾を引き、濁流から私を引き戻そうとする。
私は、最後の力を振り絞り、ポケットに残っていた『オレオクッキー』を、袋ごと自らの口へ叩き込んだ。
ボリッ、ボリボリッ!! ガリッ!!
漆黒のココアが放つ、救いようのない「現実」の苦味。
それが、エクルスケーキが誘う「進化という名の死」を、脳内で強引に薙ぎ払った。
「……師匠。……あなたの『蝿の墓場』は、少々味が濃すぎましたわ」
私は、気絶したアーサーの懐から、ロンドン塔を脱出するための「緊急ハッチ」の鍵を奪い取った。
「……お残しは許さないと言いましたが。……この濁った伝統(お菓子)は、テムズの底で永遠に眠っているのがお似合いですわ」
私は、二匹を抱え上げ、浸水するラボから垂直シャフトへと跳んだ。
背後で、プラントが完全に水圧に屈し、轟音と共に崩壊していく。
一時間後。
夜明け前のテムズ川のほとり。ずぶ濡れのトレンチコートを纏った私は、遠くロンドンの街並みを見下ろしていた。
手の中には、エクルスケーキの袋に隠されていた、一枚の金色のコイン。そこには、鴉の紋章と共に、一つの単語が刻印されていた。
「……『バチカン』。……あら。……次のお茶会は、神の懐で開かれるというわけかしら」
私は、新しいオレオを一枚口に放り込み、ガリッと力強く噛み砕いた。
漆黒のココアが、私の次の戦場を、霧の都の先にある「聖域」へと確定させる。
「……さて。マックス。ダリア。……口直しに、世界で一番贅沢な『ジェラート』でも探しに行こうか」




