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南京町の悪役令嬢は、高級菓子の毒(マトリ)を嗅ぎ分ける  作者: 水前寺鯉太郎
第2部『ロンドン・壊滅・ティーパーティ編』

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第26話:断絶の砂(ショートブレッド)


 白のロングコートを纏った男が、ゆっくりと振り返った。

 かつてロンドン警視庁スコットランドヤードの特殊捜査班で、私に「毒」の嗅ぎ分け方と、生肉を裂くようなフォークの扱いを叩き込んだ男。アーサー・ペンドラゴン。

「……久しぶりだな、アリス。あるいは、極東の令嬢、御影瑠璃か」

 アーサーは、手元のトレイに並んだ長方形の菓子――『ショートブレッド』を、ナイフで均等に切り分けた。

 

 サクッ、……。

 

 小麦粉、バター、砂糖。余計なものを一切削ぎ落とした、黄金色の断面。

 

「……あら。教官。……相変わらず、指先一つ汚さずに毒を調合している。……その潔癖な狂気、ロンドンの煤けた空気に、よく馴染んでいる」

 私は、マックスとダリアを背後に控えさせ、銀のフォークを中段に構えた。

 

「味見をしろ、アリス。……これが、私が辿り着いた『純粋な依存』の結晶だ」

 アーサーが指先で弾いたショートブレッドの一片が、弾丸のような速度で私の頬を掠めた。私はそれを空中でフォークに突き刺し、そのまま口へと運んだ。

 ボリッ、……。

 

 圧倒的なバターの脂質。続いて、粉砂糖のような細かさで練り込まれた、新種プロトタイプの『ブラッド・マリア』が、粘膜から直接脳の深部へと浸透していく。

 

 ジャリッ、シャリシャリ……。

 

 咀嚼するたびに、ガラス粉が歯茎を傷つけ、そこから純度100%の快楽が血流に乗る。視界が真っ白に染まり、全身の筋肉が弛緩しそうになる。

 

(……! さすがは師匠。……広島の教授や三宮のショコラティエなど、ただの『見習い』に過ぎない。……この絶望的なまでの『幸福』の重さ……)

「……どうだ。……かつての教え子が、私の最高傑作レシピに屈する姿、……最高のお茶請けになるだろう?」

 アーサーが懐から、一対の黒いフォークを取り出し、影のように踏み込んできた。

 

 ガキンッ!

 

 銀と黒のフォークが激突し、火花がプラントの闇を照らす。

 私は、混濁する意識を強引に引き戻すため、ポケットの中で粉砕されていた『オレオクッキー』を、自らの傷口に塗り込むようにして口へ放り込んだ。

 

 ボリボリッ、ガリッ!!

 

 漆黒のココアが放つ、暴力的なまでの「現実」の苦味。

 それが、アーサーの授けた甘美な死の誘いを、脳内で強引に薙ぎ払う。

 

「……お残しは許さないと言ったが。……師匠。あなたの『純粋』、私には薄っぺらすぎて、腹の足しにもならない」

 私は、アーサーの猛攻を紙一重でかわし、その喉元へフォークの四本の刃を突き立てた。

 

「……あがっ、……馬鹿な、……この『純度』を、ジャンクな菓子で中和したというのか……!?」

「……私の五感は、あなたの教えと、それを裏切った絶望。……そして、この真っ黒なココアで出来ている。……あなたのレシピは、今日ここで『絶版』だ」

 私は、フォークをアーサーの胸元の「鴉」の紋章ごと、プラントの制御パネルへと突き刺した。

 バリバリッ、ドォォォン……!

 

 ショートした過電流がプラントを駆け巡り、テムズ川の底に、崩壊の咆哮が響き渡った。

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