第24話:霧の都(スコーン)
ヒースロー空港に降り立った瞬間、肺を満たしたのは、湿った冷気と、微かな石炭の匂い。そして――。
「……鼻をつく、人工的なアールグレイの香り。ロンドンの空気も、随分と安っぽくなったものだな」
私はトレンチコートの襟を立て、霧のロンドンへと足を踏み入れた。
マックスとダリアは、検疫の壁を御影家の権力で強引に突破させ、今はホテルのスイートルームで待機させている。ここからは、かつてアリス・カートレットとして死んだ、この街の「闇」との個人的な決着だ。
私は、ロンドン市街の古びたティールームに腰を下ろした。
注文したのは、伝統的な三段のティースタンド。その真ん中に鎮座する、焼き立ての『スコーン』。
カサッ、……。
私は、プレーンのスコーンを一つ手に取った。
狼の口と呼ばれる、側面の美しい割れ目。伝統的な製法で作られた証だ。
パカッ。
私はフォークを使わず、手で横半分に割った。
ボソッ、……。
水分を奪うような、特有の乾燥した音。
私はそこに、クロテッドクリームと、真っ赤なイチゴジャムをたっぷりと塗った。
英国の伝統では、どちらを先に塗るかでデヴォン州式かコーンウォール州式かに分かれる。だが、今の私にはどうでもいい。
私はそれを一口、口腔内へと招き入れた。
モソッ、……ヌチャ。
重厚な生地が唾液を奪い、バターの香りが広がる。
ジュワッ、……。
噛み締めた瞬間、ジャムの酸味が弾けた。……が、その伝統の味の奥底に、私は「尼崎」や「三宮」で嗅いだ、あの忌々しい金属の熱を感じ取った。
(……! スコーンの生地、小麦粉の段階で『ブラッド・マリア』の粉末を混ぜ込んでいる。……伝統の味に擬態した、完全なる日常の汚染!)
私は紅茶を一口含み、口内の毒を強引に洗い流した。
ジャリッ、……。
奥歯に残るガラス粉の感触。それは、日本のものよりも遥かに粒子が細かく、純度が高い。
「……なるほど。ショコラティエの言っていた『巨大なプラント』。……テムズ川の底から、この街の伝統(お菓子)すべてに毒を供給しているわけですわね」
私は、残りのスコーンをテーブルに置き、ポケットからいつもの『オレオクッキー』を取り出した。
パキッ、ガリガリッ!
黒いココアの暴力的な苦味が、伝統の甘ったるい欺瞞を脳内で強引に薙ぎ払っていく。
脳が再起動され、ロンドンの地下を流れる、汚染された血脈が鮮明に浮かび上がった。
「……お嬢様のティータイムを、これ以上汚させるわけにはいかない。……テムズ川の底、ロンドン塔の地下。……すべて、漆黒のココアで塗り替えてやりますわ」
私は立ち上がり、雨の降り始めたロンドンの街へと歩き出した。
かつて私を陥れた、組織の執行官たち。
そして、その頂点に君臨する『あの方』。
「……さて。お口直しに、霧の都の『心臓』を、丸ごと検食(ガサ入れ)しに行きますわよ」




