第8話:【後編】『お風呂は、全人類の夢である』
「危ねえから下がってろ、シア! 今からこの『死に体』の配管に、新しい血液を流し込んでやる!」
レンの声が地下機関室の石壁に反響する。彼は手にした巨大なレンチを、鈍く光る真鍮製の補助バルブへと叩きつけた。
シアが「禁忌」と呼んで恐れたその回路は、長年の魔力固着によって完全に沈黙していた。だが、レンの目には、そこが島全体の余剰熱を溜め込み、爆発寸前のストレスを抱えた「病巣」に見えていた。
「リペア&カスタム! 熱交換サイクル、再構築開始だ!」
レンがバルブを力任せに回すと、内部で固まっていた古い魔力結晶が砕け、凄まじい勢いで高圧の蒸気が噴き出した。シアが悲鳴を上げて顔を覆うが、レンは一歩も引かない。
「逃げるなシア! これを逃がさなきゃ島が内側から焼けるぞ! ポッド、そこを抑えろ! ビットA、上部のバイパスを開放しろ!」
「プ、プシューーッ!」
「ピポッ! バイパス開放、圧力正常化!」
主従の息の合った連携。噴き出した蒸気は、レンが即興で最適化した断熱パイプの中へと吸い込まれ、一気に地上へと導かれていく。地下の熱源を奪い取ることで、メインコアの温度も安定し、島全体の脈動が力強いものへと変わっていった。
「よし、熱源の確保完了だ! あとは地上で『出口』を作るだけだな!」
レンは汗を拭い、地下から一気に駆け上がった。
地上では、ビットBとCがレンの設計図通りに、神殿の外縁にある絶景ポイント――雲海を一望できる断崖の石畳を加工し終えていた。
「いい仕事だ! 仕上げは俺がやる。リペア、結晶融合!」
レンが石の浴槽に手をかざすと、粗削りだった表面が瞬時に磨き上げられ、高級旅館の露天風呂もかくやという滑らかな質感へと変貌した。そこへ、地下から引き込まれた真鍮の蛇口を取り付ける。
ハンドルを回すと、ゴボゴボという音と共に、白濁した熱いお湯が勢いよく溢れ出した。
「……お湯。本当に、石の中から温かい水が出てくるなんて」
シアは呆然と、立ち上がる湯煙を見つめていた。
レンは満足げに腕を組み、タオル代わりに予備の布を肩にかけた。
「さあシア、能書きはいいからまずは足だけでも突っ込んでみろ! 巫女の修行だと思ってな!」
「し、失礼な。修行というのであれば、仕方ありません。ですが、もし熱すぎたりしたら、すぐに……ひゃっ!?」
シアが恐る恐る、裸足になった足を湯船に浸した瞬間、その碧色の瞳が大きく見開かれた。
凍えるような空の上で、数百年もの間、冷たい石に触れ続けてきた彼女の肌を、優しく、包み込むような温かさが包囲する。
「……あ、……あぁ……」
シアの口から、言葉にならない吐息が漏れた。
足の先から全身へ、溜まっていた疲れと冷えが霧散していく。彼女は杖を放り出すように傍らに置くと、浴槽の縁に腰掛け、幸せそうに目を細めた。
「極楽だろ? これがエンジニアの導き出した『休息の最適解』だ。魔力で洗うのとは訳が違うだろ!」
「……認めます。これは、魔法よりも……ずっと、心に沁みます。レン、あなたは本当に、人を甘やかす天才ですね」
湯気越しに見るシアの笑顔は、目覚めた時の険しさが嘘のように柔らかかった。
雲海を赤く染める夕日と、その端を撫でるように流れる湯煙。
レンは、この穏やかな情景こそが、自分の作り上げるリゾートの核になると確信した。
「ははっ! 天才で結構! だが、のんびり湯治してる暇もなさそうだぞ。見ろ、シア。あっちだ」
レンが指差した遠方の雲海の切れ間。
そこには、再起動した島の輝きに惹かれるように、不気味に蠢く巨大な影がいくつか浮上してきていた。
「風化が止まったことで、逆に目立ち始めたか。……よし、風呂でさっぱりした後は、この島の『盾』を修理しなきゃならんな」
シアの頬が、お湯の熱とは別の緊張で赤らむ。
快適なリゾートを守るためには、避けては通れない『防衛』のフェーズ。
レンは腰のレンチを握り直し、迫りくる影を見据えて不敵に笑うのであった。




