Q
その学校では、毎年秋になると、消息がつかない者が現れるという。
僕と彼女が出会ったのは、通っていた学習塾でのことだった。
彼女は私立の女子校に通っていた。シルエットは肉感的でありながら、全体的には楚々として見えたのは所作のなせる業で、制服の為だけではないだろう。
初めて会った時、彼女のコケティッシュな雰囲気と甘い匂いに僕はドギマギした。僕の席の隣の空席に目をやって、掲示してある座席配置と照らし合わせているようだった。
「よろしくお願いします」
彼女は柔和な笑みを浮かべた。それが僕らの出会いだった。
こうして隣の席となったことで少しずつ言葉を交わすようになった。
「見たことない制服ですね」
彼女は嫋やかに微笑み、僕は顔を赤らめて俯いた。
「県を跨いで来ているんですよ」
ぼそぼそと口にすると、彼女は目を丸くした。
学習塾に通っていると周りに知られたくなくて、他県まで足を運んでいる。
ちっぽけな見栄は口にすると恥ずかしかった。
「私も、他に通っている同窓がいないんです」
曰く、学習塾に通わずとも好成績を維持できるよう、学校側がサポートしているらしい。
「でも私はちょっと頭が悪くて、学校にお願いするだけでは足りなくて」
県が違うとも噂には聞くお嬢様学校だ。学習塾みたいな庶民的な機関には頼らないと思っていた。
そう伝えると、彼女は困ったような表情になった。
「塾じゃなくて、家庭教師を雇っている人も多いですね」
でも、お嬢様学校っていうほど生徒は浮世離れしていませんよ。
いたずらっこのような笑顔だったが、それが妙に可愛くて身体が火照った。
僕たちの成績はだいたい同じくらいで、何の因果か定期的に行われる席替えでも隣同士になるばかりで、自然仲も深まっていった。
勉強に関係あることないこと、雑談の類は当たり障りなく行なっていたと思う。
その日、彼女は憂鬱な表情でやってきた。
「どうかしたの?」
折を見て声をかけると、彼女はゆるゆると首を振った。
「なんでもないんです」
そうは見えなかった。
授業と授業の合間に、僕は彼女が廊下の隅で涙ぐんでいるのを見た。
本当に大丈夫か。
重ねて問いかけると、心配していただきありがとうございます、とあってからこう続けられた。
「学校でちょっと困った──嫌なことがありまして」
「困りごと? イジメとか?」
「いえ、イジメとかでは無いのですが」
「……何か相談してみてよ。僕じゃ力になれないかもしれないけど、話すだけでも楽になるかもしれないよ」
「ありがとうございます。ただ、慕っていた方が不幸に遭いまして、それが悲しいのです」
それだけ言って彼女は口を噤み、岩のような雰囲気を纏う。僕は何も言うことが出来なくなった。
そして翌日から、彼女は塾に来なくなった。
連絡先は交換していたが、返ってきたのは「少し体調が思わしくない」だけで、僕はそれ以上何も送ることが出来なかった。体調を崩すほどの心労なのかと僕は只管に彼女を慮った。
彼女のいない日々は僕の心にすっかり風穴を開けていた。
僕はただ無為な時間を過ごすことになった。
次に彼女を目にするのは、意外な場所となる。
彼女は夜の繁華街にいた。
僕はその日、悪友に連れられ歓楽街を冷やかしに出掛けていた。
彼女は駅前の、少し人波から外れたところで携帯電話を弄っていた。
制服を脱ぎ、薄く化粧をしてはいたがそれは間違いなく彼女だった。
古めいたビルの外壁に寄りかかるようにして、誰かを待っているようにも見える。ブラウスにフレアスカート。実にフェミニンな装いだ。それが夜の歓楽街の入り口で何をするでもなく佇んでいる。思わず目を引かれる。
「お、かわいい子いるじゃん。あれはナンパ待ちだな」
遊び慣れた悪友の言葉に僕は動揺した。
空返事の僕の様子に悪友は顔を覗き込んで、おっ、と合点がいった様子だ。
「あ、あれがお前が言ってた子? ちょっと声かけてくるわ」
足取り軽く、悪友は彼女の元に向かっていった。
そして数分後、困惑した表情で帰ってくる。
「なあ、やっぱりどう見ても援助待ちなんだけど。しかもかなりヤリ慣れてるぞ。『いくら出せますか?』『ピル飲んでるんでナマでいいですよ』だって」
信じられなかった。
僕は彼女の印象を清楚で穏やかなタイプだと伝えていたので、悪友は本当に同一人物なのかと疑っている様子だった。
「もう一回話しかけてくるからさ。その時電話かけてみろよ」
そして検証の結果、彼女は間違いなく僕が恋焦がれる彼女であると分かった。
「ま、そういうこともあるさ。元気出せよ」
ひどい顔をしていたのだろう。悪友の慰めが心に刺さった。
僕はしばらく、学業にも何にも手がつかなかった。
携帯電話が震える。
彼女からかと思って飛びついたけれど、悪友からの連絡だった。会って話したいことがあるという。近所のファストフード店を指定した。
「あの学校には妙な都市伝説がある」
席に着くなり友は切り出した。
「毎年ある時期になると、人が少なくともひとり居なくなるんだ。大抵は女子生徒で、教師の時もある。季節が過ぎると、行方不明の奴らは帰ってくるんだ。何食わぬ顔をして」
「そんな……」
都市伝説だろう、と笑い飛ばしたかったが、悪友の口調は真剣そのものだった。友はこう続けた。
「で、帰ってくるって言ってもその半数以上は遺体らしい」
僕は愕然とした。
「そんな馬鹿な」
「そうだよな。ただの都市伝説だよな」
「そ、そうだよ。だいたい、信用性はあるのかよ?」
「そこなんだ」
悪友は腕組みした。
「当然学校関係者からの情報はない。生徒たちの間ですら、そんな都市伝説は無いこととされているんだ」
「じゃあ……」
「じゃあなんでそんな噂が立っているんだ? 火のないところに煙は立たないだろ? それなのに火どころか煙の存在すら当事者たちは知らないんだ。まさか煙の中にいる者は煙を認識できないって訳じゃ無いだろうに」
僕たちは各々首を捻ったが、結論は出ず仕舞いだった。
ちょうどその時、偶々彼女の学校の制服を着た生徒が通りかかった。「良い機会だからカマかけてみようぜ」と悪友は行動的で、「ちょっと良いですか?」と声をかけた。ファストフード店になど縁のなさそうなおとなしそうな少女だった。
「……いえ、そんな噂知りませんけど」
古風な少女は警戒心も露わにしていたけれども、言葉少なに質問には答えてくれた。その回答に、僕たちは顔を見合わせる。
少し踏み込んでみるか、と僕は彼女の名前を出した。一瞬、少女の目が細くなる。
「いま、彼女が行方不明になっているんじゃ無いかって」
「いえ、知りませんね」
やや食い気味の返答。にべも無かった。僕たちは礼を言ってその場を引き上げた。
「明らかに何か知ってそうな反応だったよな」
「ああ」
僕たちの見解は一致した。
「できる範囲で調べてみるよ」
「俺ももう少し調べてみるわ」
駅で別れた悪友が去り際にそう言ってくれた。「ありがとう」と礼を言って手を振り合った。
その友は数日後、大怪我をして病院に担ぎ込まれた。
「知らない女数人に囲まれて殴る蹴るの暴行を受けたんだ」
ベッドに起き上がった悪友の声は思っていたより明るかった。巻かれた包帯が痛々しかった。
居ても立ってもいられず、僕は夜の学校に忍び込んだ。もちろん彼女の高校だ。何も手がかりが無かったから、何か少しでも手がかりを掴もうとしていた。
窓ガラスに石をぶつけて腕を差し入れる穴を開け、鍵を回す。靴を履いたまま校舎に入り込んだ。
日付けが変わろうとしていた。
僕は昇降口の棟から侵入したようだった。校内図を見ると、どうやらコの字型の校舎の三方向に一棟ずつ建物がある構造のようだ。階段を登り3階まで。渡り廊下を進んで本校舎の教室を回る。殆どの教室は暗く、施錠もされていて怪しいところは無かった。
東側の棟に渡る。先程確認した校内図によれば、こちらは職員棟のようだ。階段を降りると職員室と守衛室、その他応接室などがある。
と、渡り廊下の窓から光が差していた。人工的な蛍光灯の光だ。どうやらまだ訪ねていない北側の棟の二階からだった。
教室なのだろう。窓がまだ煌々と明るく、それはあまりに不自然だった。
僕は慎重な足取りでその部屋に向かった。
陰になって光が伸びなくなった。懐中電灯の灯りが弱々しく足元を照らす。この辺りでは月夜でもその光を感じられることがない。街の薄明かりが窓から入ってくるのだけを頼りに進む。なんでもない段差ですら転びそうになった。
全く静謐な空間では、ほんの少しの物音も響いてやたらと大きく聞こえる。
自分の服の擦れる音にすら心臓は飛び出そうにもなった。
なんとなく校舎全体が騒めいている。
教室に近づくにつれて、その喧騒ははっきりと輪郭を帯びてきた。
「誰かいるな」
微かに聞こえてきた高い音はどうやらフルートの音色で、僕は人がいることを確信した。
というよりは……。
(これで人がいないって方が怖いから、むしろ誰かいてくれよ)
祈るような心地で階段をヒタヒタと上っていった。
教室の扉は開いていた。扉の上には小さく保健室とあった。
「誰かいるのですか」
柔らかな誰何が聞こえ、僕は覚悟を決めて足を踏み出した。
「あっ」
お互いの声が重なった。
「どうしてここに」
彼女がそこにいた。
彼女はベッドの上で半身を起こしていた。携帯電話で管楽器のアンサンブルを再生していたようだ。音楽が場違いなBGMとして働いていた。
教室にいるのは彼女だけでは無かった。
他には二、三人の女子生徒がいて、薄黄色の卵のようなものを抱いていた。皆、僕をじっと見つめている。異様な光景とハイライトの無い目に僕は怯え、息を呑んだ。
そして視界の端に、赤黒い塊がいくつも、ウネウネと蠢いているのが目についた。禍々しくてすぐに目を背けた。
「これは一体……?」
「……説明すると長くなりますが」
彼女が口を開くのを、一人が鋭い声で咎めた。
「女王様っ!」
「せっかく来ていただいたのですから。事情も分からぬままというのは少し酷でしょう?」
悠然とした態度だった。虚勢だと思った。
「私はいま、この学校で『女王』の役割に就いています。
不幸な事故で、先代の『女王』が亡くなり、跡目を継ぐこととなりました。毎年この時期は『女王』は校舎のこの教室に居してその役目を全うし、生徒たちは代わる代わる『労働者』となって日夜私のために働いてくれます。『女王』の役割は──」
「セックス、だよね?」
僕は後を引き取った。
奇妙な沈黙が下りる。
「どうしてそれを」
彼女の声は微かに震えていた。
「日記代わりに、ブログをやっているよね? それを見た」
友にだけ調査を任せてはいられないと、僕は彼女のインターネット上での行動を検索していた。
僅かな手がかりをもとに特定したそのブログは簡素なものではあったが、見る人が見れば彼女のことだと特定できるものだった。内容も日記が殆どで、非公開設定にしていないのが不思議なほどだった。
「僕について書いてあるものもあったよね。思っていた以上に好意的に書かれていて、正直とても嬉しかった」
「あ、あっ……」
変な声をくぐもらせて、彼女は頬を赤く染めた。
「それで、一ヶ月ほど前に書かれたこの記事……自分で書いているはずだから覚えているとは思うんだけど」
先輩が亡くなった。交通事故に遭ったらしい。これから私は『女王』の役目を継ぐことになる。男性を引っかけ、まぐわい、子を産むという役目。この役目を『処女王』である私が継ぐ。
正直に告白すると、心底イヤだ。訳の分からない因習に縛られ、穢される挙句に身体が保たず死んでしまうかもしれない。先輩は身体が特別丈夫だったけれど、その前の代は1クールに5人も女王が生まれている。もちろん、行為のし過ぎで女王が亡くなったからだ。その事実だけで、恐怖が、身体の震えが止まらない。
逃げ出したい。終わらせたい。本当にそう思っている。
それでも、私自身の力では、この因習は止められない気がする。学校というのはあまりにも閉じている。なんとか逃げたくて、お母さんに無理を言って学習塾に通わせてもらったけれど(それはそれで楽しい出来事もあったけれど)、効果が無いことがなんとなく分かるから、言い様も無いほど、しんどい。
「本当に逃げ出したいなら」
僕はずいっと踏み込んで彼女の腕を掴んだ。彼女も周りの女子生徒も呆気にとられた表情になる。
「逃げようよ」
手を引いた。
あまりにも自然で無抵抗に、するりと彼女は床に足をついて、僕に連れられて走り出した。
「女王様っ!」
「追いかけて!」
後ろで少女たちの荒げた声が聞こえる。
廊下を駆けるバタバタという音が僕を焦燥させた。
何しろ僕は校舎の構造を知らない。
保健室は校舎北棟の2階にあり、玄関とも昇降口とも離れたところにある。分かるのはそれだけで、確かめたはずの校内図は頭から抜け落ちきっていた。
「出口はこっちです」
途中から、彼女が先導してくれた。
最短で昇降口まで辿り着く。
一瞬、彼女は靴を履き替えるか否かを迷った様子だった。結局上履きのまま外に出たが、その僅かな時間すら僕には長く感じられた。近付いてくる唸りが僕を焦らせる。
「取り敢えず駅の方へ」
僕たちは下り坂をつんのめるように駆け下りた。
車通りが皆無だ。街灯の明かりだけを頼りに進む。彼女が息も絶え絶えで、僕は心を痛めた。
坂を下った先の信号に引っかかり、僕たちは少しだけ息をつくことができた。
「今頃、きっと連絡を受けた子たちが続々と集まってきています」
「鉢合わせになるってこと?」
駅までは一本道だ。脇道を探すこともできるだろうが、駅を張られてしまうと身動きが取れなくなる。
唐突に、彼女は車道に腕を突き出した。ヒラヒラと振る。
情報処理で固まった僕の前に、タクシーが強引に停車した。彼女は身体を素早く滑り込ませた。間抜けにも口をぽかんと開けた僕を中へ手招きをする。
僕が乗車するなりタクシーは走り出した。
「あまり車通りの無い道なので、タクシーを拾えて幸運でした」
彼女は落ち着きを取り戻しつつあるようだった。
「本当に、逃げることができてよかった」
小さな呟きが聞こえた。
大丈夫、僕が付いているから。
我ながら気障ったらしいけれどもそう言おうとして、ふと違和感を覚えた。
夜景に人工的な光が増えてきている。
国道に交わる道だ。
飲食店、アウトドアショップ、それからラブホテル。
「これはどこに向かっているの?」
口がカラカラに乾いていた。
「とてもいいところですよ」
見ていた夢がとても良かったような、うっとりとした返事だった。
フロントガラスから覗く看板のネオンたち。
タクシーはついに地下駐車場に滑り込んだ。
学校以外の居場所を作るために、通わせてもらった学習塾。
彼は正直冴えない外見で、それでいてどこか斜に構えたような印象もあった。体格はやや痩せ型で、露骨に男性的ではないことに好感を覚えた。
まさか、学校にまで救いに来てくれるなんて。
期待など全くしていなかった。
『女王』に就任した時点で、私は自分の命運を悟り諦めていたからだ。私は身体が壊れるまで、男とまぐわい続ける。そして子どもを産むことになる。
いつから、どうして、どのようにしてこの因習が伝わっているのかは分からない。自分たちの身体の変容も、情欲の肥大も、説明がつかない。
幸運にも『女王』として卒業した何代か前の先輩に曰く、「毎年秋だけなの。そして卒業したら秋が来ても、もちろん他の季節でも何も変わったことは起きないわ」とのことだった。
その先輩は男の赤子を抱きかかえていた。ちゃんとした人間の子。肉塊では無い子どもだ。
学校に原因があるとしか思えなかった。
風土病というのがある。
その土地にだけ特有の伝染病。
きっとこれもそうだ。空気か、水か。
学校から離れた今となっては、いずれにしても関係のない話だ。私はもう、男に犯されることは無い。
逃げなければ。
どこか遠くへと。
気付くと、私は彼の肩に寄りかかっていた。
彼の匂いと、鼓動が伝わってくる。本当に、来てくれてよかった。
タクシーが目的地に着いて停車する。
料金を払って降車し、彼の手を引いた。彼が目を白黒させ、二、三歩摺り足で後ろへ下がった。たじろいでいるようだった。
「……ここって」
「ええ。定宿のひとつです」
ピンクのネオンが目に痛々しい。
私は彼の首に両の腕を回し、耳元で囁いた。
「……私と子作りしてくれませんか?」
Q is for QUEEN




