20.重なる文
あれから一週間が経ったけれど、私はアルの家へ訪問していなかった。
奴隷女に家へ来るなと言われてから、私はアルの家へ行けなくなっていた。
けして奴隷女に言われたからではない。けして。
ただ……アルが奴隷女にそう愚痴っていたのではないかと不安になったのだ。
私がセルにするように、アルも奴隷女にだけ本心を曝け出しているのかと考えたら、それを奴隷女が私に言ったのだとしたら、足が竦んで動けなくなった。
アルからは文だけが届いた。
『何か気に障ったことでもあったのか。
もしそうなら謝る。』
そうとだけ書かれていた。
家にまた来て欲しい、とは書かれていなかった。
暗い気持ちで数週間過ごしていると、アルからの文だけが溜まった。
時たまシレン様からも文が届き、お茶会に一緒に行かないかと誘われたが、気分が乗らずお断りをした。
今日も素っ気ないアルからの手紙が届いて、内容もいつもと変わらないもので、私はガッカリとした気持ちになった。
そんな中、侍女から嬉しい報せが届いた。
「本日正午にてマルク様がお見えになられます」
お兄様の訪問に私は一変して、嬉々とした気持ちで支度をした。
お兄様の瞳の色に合わせてゴールドのドレスに身を包んだ。
兄はやって来るなり、応接間のテーブルの上にバサバサっと書類やら何やらを乱暴に置いた。
「さあアヴィ! この中から好きなのを選びなさい」
「あら、なんですの一体?」
「婚約者だよ」
「婚約者!?」
私は積み重なった紙の束の一枚を捲り中を覗くと、見知らぬ男性の簡単な姿絵とプロフィールが書かれていた。
「あの……お兄様……わたくし婚約者がおりますけれど……」
「もう見限ったと聞いたが?」
「見限っておりません! ……まだ」
「まだ、だろう? お父様にも話はつけているから、安心して新しい婚約者を選びなさい」
言われて、ほんの少しの興味本位で紙の束をペラペラ捲ってみた。
隣国の第五王子に、豪商の息子、歳が20離れた伯爵に、まだ1歳の赤子までいた。
「お兄様……」
「なんだい?」
「いくらなんでも、他に誰もいなかったのですか?」
「我が家のお姫様はこの人選に不服かな?」
「不服といいますか……」
「おすすめは、この1歳の子爵令息かな。自分色に染められるよ?」
「染めたくありません!」
兄は笑って姿見を見せてきたが、プイッとそっぽを向いてやった。
「まぁまぁアヴィ、冗談じゃなくてさ。視野を広く持ったほうがいいと思うんだよ。何も男は世界で一人しかいないわけでもないんだから」
「それはそうですけれど……」
「アヴィ、結婚したら離縁できない。その前に見極めなきゃダメだ。あんな男やめなさい」
色彩豊かなオーロラの瞳で真っ直ぐ見つめられ、私は思わず目を伏せた。
伏せた目尻からじわりと生温かな水滴が滲んだ。
「……やめません……」
「え?」
「アルの婚約者を、やめませんわ!」
「アヴィ!?」
「お兄様がなんとおっしゃろうとも、わたくし、アルの婚約者で居続けます!」
泣きじゃくりわがままを言う幼児のように、私は叫んだ。
目からポタポタと涙が溢れたけれど、気にしてなんかいられない。
なんだか最近涙脆くなってしまったなぁ、と他人事のように心の隅で思いながら。
「……わかったよ。そこまで言うなら約束だ。デビューの日までにあの奴隷を何とかしなさい」
「なんとか……ですか?」
「ああ。それができないなら、婚約を破棄する」
我が国の貴族は、13歳の時に社交会デビューする決まりがある。
今年で8歳だから、あと5年しかない。
それまでにあの奴隷女をなんとか……なんとかって何かしら?
「あのお兄様……」
「なんだい可愛いアヴィ?」
「人を消すのってどうすればよろしいのでしょう?」
私が小首を傾げると、兄は盛大に笑い出した。
「あはは! 消したいだけならいつでも消してあげるよ。でも、それでアヴィはいいのかい?」
消えてくれるなら、それに越したことはない。ないはずだけど、あの奴隷女が急に忽然と消えてしまったら、アルはなんて思うだろう。
その原因が私だと知った時、果たしてアルは許してくれるのだろうか?
「まだ時間はあるから、ゆっくり考えなさい。いいね?」
私の頭をポンポンと軽く撫で、兄は優しい笑顔でそう言った。




