16.泣く女
わんわんと鳴くのは犬だけかと思っていたが、奴隷も同じように鳴くらしい。
そう学んだのは、目の前で奴隷の少女が泣き喚いたからだった。
シレン様の発案で、仕切り直しにみんなでお茶を飲もうと食堂に行くと事件が起こった。
食堂の席順で揉めたのだ。
シレン様の隣りにエスコートされて私が座ると、当たり前のように向かい側にアルとその奴隷が座った。その時点で私の不快指数は上がった。
なぜ奴隷如きが堂々と私の向かいに腰を下ろしているの?
そんな私の怒りにも似た感情を察したのか、シレン様がセルを呼んで手招きした。
こんな華やかな場に居たことがないセルは壁際から右往左往しながら恐る恐るシレン様の横まで辿り着くと、居た堪れない顔で私とシレン様を交互に見た。
「お、お呼びでしょうか」
「セル君、君も座ってくれ」
「えっ? でも……」
「これは奴隷同士の交流会なんだから、今だけは使用人としてではなく、私の友人として振る舞ってくれないか?」
「そ、それは……」
「いけませんわ、シレン様! そのような事をおってしゃっては……」
いつでも気さくなシレン様は、国民を分け隔てなく扱おうとしているけれど、それは国民であって、奴隷に対しても使われていいお心じゃない。
そんな風に思って思わず声を荒げてしまったけれど、奴隷を連れて来た私が言えた義理ではない。そう考え直して口を噤んだ。
「アヴィ、今だけだから我慢してくれないか? もしかしたら君の憂いも解決するかもしれないし」
「……憂い、ですか?」
「うん。だって、本当にセル君が言う娘だったら、家に帰すって選択もあるだろう?」
そうか、誘拐されて来ただけなら元の家が、家族がいるはず。それならば、家に送り返せば奴隷がアルの元からいなくなる。
私の心労の全てが晴れて無くなる!
シレン様の言葉に、私は口許が弛むのを止められなかった。
「シレン! 勝手な事を言うな!」
「何がだい?」
「リスィを家に帰すなど……」
「何がいけないんだい? 彼女だって本来の家族に会いたいんじゃないかな?」
「リスィは……リスィは、俺の家族だ! 家になんか帰さない! リスィの家は俺の家だ!」
立ち上がって、そうアルは叫んだ。
──家族、家族と言ったの?
今、奴隷の事を、家族と言ったの?
私ですら、まだアルの家族ではない。ただの婚約者なのに。
その娘はアルの家族だと言うの?
胸の奥底から、どろどろとドス黒い何かが湧き出てくる感覚があった。
たった数日で、奴隷のあの女はアルの家族になれたという事実が、私の心を蝕んでいく。
なんで、その熱を私に向けてくれないの?
なんで、その女の事になると必死なの?
黙って俯く私の肩に、シレン様はそっと手を置いた。
「アヴィ、セル君も座らせてくれないかい? このままだと不公平だからさ」
「シレン! まだ話は終わってないぞ」
「あまり大きな声を出すなよ、アルクス。ここがどこだか分かっていないのか?」
王族直属の離宮。つまり、王子であるシレン様の領域。
侯爵家の子息如きがしゃしゃり出て良い場所ではない。
いくら仲の良い友人である私達でも、そこは越えてはならない領域。
ハッと我に還ったアルは、気不味そうに顔を歪めながら椅子に座り直した。
「さ、アヴィ。セル君を……」
「わかりましたわ。セル、好きなところに座りなさい」
「えっ、でも、その……」
「どこに座ろうと許すわ」
本当はどこでも良かった。
いえ、違う。私は思い込みをしていた。
セルは私の隣りに座ってくれる、と。
だってセルは私の奴隷だから。
けれど、セルが選んだのは私ではなかった。
セルはあの女の隣りに腰を下ろそうとした。
「いや! あっち行って! イヤ!」
奴隷の女が心底嫌そうに喚き出した。
隣りのアルの腕に縋り付き、頭を左右に振り乱し、イヤイヤと何度も喚く。
私はその光景を呆然と見ていた。
いえ、見ていたというよりは、瞳に写していただけだったのかもしれない。
頭が追い付かず、ただただそれを目に映すことしかできなかった。
「リスィ、落ち着け。大丈夫だから、なっ?」
「イヤ! 怖い! イヤ!」
「何も怖くない。怖くないから」
「イヤ! アル様の隣りはいいけど、この人の隣りはイヤ!」
奴隷の女にしては流暢な言葉で、何度も叫ぶ。
どうにか宥めようとアルは女の頭を撫でるが、それがより彼女をエスカレートさせているように見えた。
「いい加減に静かにしてくれないかな?」
見兼ねてシレン様が深い溜息を吐くも、アルも奴隷の女もそれどころではなく。
セルといえば、その二人のやり取りを絶望的な顔で見ている。
私はといえば、穢らわしい物を見るような目を向けていただろう。
更に、女は次第に泣き出して、部屋中に女の泣き声が響いた。
正に地獄絵図とはこの事をいうのだろう。
わんわんと泣き出す女をどう扱えばいいのか、アルは手をこまねいているようだった。
私は耳を塞ぎたくなるのを辛うじて耐えながらも、泣き声に辟易していた。
どうすればこの地獄から抜け出せるのかしら……。
「──セル君、悪いけどアヴィの隣りに座ってくれないかな」
シレン様の一声で我に還ったセルが後ろ髪を引かれる思いでその場から離れると、女はピタリと泣き止んだ。
耳を劈くほどの泣き声が止み、私とシレン様、そしてアルは一先ずホッと胸を撫で下ろした。
「アルクス、君の奴隷には躾がまだまだ必要みたいだね」
「すまない……だが、その言い方はやめていただきたいと前にも話したはずだが?」
「それは君の奴隷が成長してないのが悪いだろう? 犬猫のほうがもっと聞き分けがいい。君の主人としての自覚が足りないからじゃないかい?」
シレン様の冷めた言葉に、アルは奥歯を噛んでから鋭く睨み付けた。
「先程も言ったが、リスィは家族だ。主従関係以上に、一人の人として接している。できるだけ彼女の意思を尊重したいと思っている。だから……」
「だから、人前で泣き喚いてもいいと言うのかい? 家族と言うならば、人として説くより貴族としての在り方を学ばせるほうが先決だと思うけどね」
冷たさも感じられるシレン様の言葉に、けれど私は温かさを感じた。
なぜなら、奴隷が粗相をして恥をかくのはアルのほうだから。
シレン様はやはりお優しい方だなと思った。
私とは違って。
私はといえば、泣き喚く奴隷に狼狽するアルを見て、心の中で愉悦すら感じていた。
だって、このまま手の掛かる奴隷でいてくれたら、きっとアルの手に余り、果てはきっと捨てるだろう。
そう願うよりも明確に、泣いている奴隷を見るアルの目に嫌悪が浮かんでいた。
ああ、ありがとうセル。流石私の奴隷。
貴方のお陰で、アルとあの女の間に溝ができた。
こんなにも嬉しい事はない。
私は笑いそうになる口許をそっと手で隠した。




