15.二人の奴隷
長らくお休みしてましたが、またちょくちょく書いていく予定です。お待たせしてすみません。
アヴィの行く末をもう少し見守りください。
「──ステラ!!」
私の奴隷が、私の横を通り過ぎて別の女の元へと駆けて行く。
私の奴隷はアルの奴隷に駆け寄り、あろうことか抱き着いた。
困惑する周囲を余所に、私の奴隷は何度も知らぬ名を呼んだ。
「ステラ! ステラ! ステラ!」
力一杯抱きしめ過ぎたためか、少女は苦しそうにもがいている。
私も、アルもシレン様も、驚きの余り未だ動けず、ただその光景を見る事しかできない。
『ステラ! 俺だよ、リベルタスだ! ステラを捜してたら奴隷商人に攫われたって聞いて、追い掛けたら俺まで捕まっちまって……。もう、会えないかと思った……ステラ……』
それは普段話す言語ではない、異国の言葉で。
私はよく聞き取る事ができなかった。
少女の肩に顔を埋め抱き竦める様は、少女の淡いピンクとセルの淡い水色が重なり、まるで一枚の絵画のように美しく。何者も害してはならないような、そんな神秘さを醸し出していた。
呆然と、そんな事を思った。
「……ちょっと話が読めないけれど、とりあえず場所を変えようか」
見兼ねたシレン様が私の肩を優しく叩くと、いつまでも少女に抱き着いて動かぬ私の奴隷の襟首を掴んで引き剥がし、離宮の中へと連れて行った。
残された私とアル、アルの奴隷は、目を合わせる事もなく無言で離宮へと戻った。
そう、この時私は呆然としていた。衝撃が頭に追い付いていなかった。
セルがアルの奴隷と知り合いだったからじゃない。
セルがあの奴隷に抱き着いた事でもない。
セルに、私の奴隷になる前の人生があった事が衝撃だった。
生まれた時から奴隷で、それまでは何も無かったのだと勝手に決め付けていた。
セルが一人の人間だと、理解していたはずなのに全く分かっていなかった。
よく聞き取れなかったけれど、『セル』ではない名前もあったように聞こえた。もしかしたらセルの本来の名前なのかもしれない。
セルは私の愚痴を聞くために出現した存在じゃなくて、彼は彼の人生を生きていた訳で……。
私は圧し掛かる現実に混乱していた。
だから、アルがこちらを見ていた事など全く気が付かなかった。
『──つまり、君はその娘を追ってこの国までやって来たんだ?』
『俺も誘拐されただけだ。捕まった後、気付いたら知らない汚い部屋に押し込まれて、そこで数年過ごした。外に出たのはお嬢に買われた時だけで……』
『おじょう? アヴィの事かい?』
『あっ……』
『大丈夫、アヴィには何を話しているかわからないから』
「──……聞こえていますわよ」
私がそう言うと、シレン様とセルの肩が大きく跳ねた。
異国語の会話に出て来る単語を頭の中で一つ一つ翻訳していると、聞き慣れ過ぎた己の愛称がシレン様の口から聞こえたから口を挟んだけれど、どうやら私に聞いて欲しくない事を話していたみたい。まったく、油断も隙も無い。
『あれ? アヴィ、この国の言葉話せたのかい?』
「よく分かりませんが、話せませんわ」
「それは僥倖。堂々と内緒話ができるね」
「話せませんが、単語は聞き取れるので悪口を言ったら分かりますからね!」
「あはは、悪口なんて言うわけないじゃないか」
王子様はいけしゃあしゃあと朗らかに微笑まれた。その微笑みを軽く睨み付けると、観念したのかシレン様は両手を上げてみせた。
「ごめんごめん、冗談だよ。セル君と仲良くなりたかっただけさ」
「左様でございますか」
「それで、アルの奴隷とセル君は知り合いみたいだけど……」
皆の視線が一人の少女に集まると、少女は怯えた表情を浮かべてアルの背中の後ろへと隠れた。
『ステラ! 俺だよ、リベルタスだ!』
私の奴隷がまた私の知らない言葉で知らない名を呼んだ。その声に、胸がズキリと痛んだ。なぜ痛んだのかは分からなかったけど。
『セル君、君はリベルタスって名前なのかい?』
『ああ、昔そう呼ばれてた』
『そうか。残念ながらその娘はリベルタスって名前には反応しないと思うよ』
『えっ……』
『その娘は記憶喪失なんだそうだよ。母国語も覚えてないほどのね』
『そんな……じゃあ俺の事も……』
『うん、憶えてないと思う』
シレン様の言葉に、セルは両手で顔を覆い項垂れた。それから肩を震わせていたから、恐らく泣いていたのだろう。
そんな彼を、私は黙って見守る事しかできなかった。私には何一つ彼の力になれない事が分かり切っていたから、無力な自分を呪うくらいしかできなかった。
「……その奴隷、セルというのか?」
今まで沈黙を守っていたアルが、不意にそんな事を呟いた。その声は余りにも小さくて、質問されたのかただの独り言なのか判断できず私が黙っていると、突如肩を掴まれ真正面に体をアルへと向けさせられた。
「君の奴隷はセルというのか?」
今度は先程と打って変わった力強く子供とは思えぬ低い声だった。
「え、ええ。奴隷からとってセルというの。それが何かしら?」
久しぶりに近距離で見た婚約者の顔に気恥ずかしさと居た堪れなさを覚え目を泳がせていると、ズイッとより一層アルは顔を近づけて来た。私の目を覗き込むかのように、真っ直ぐ緑の瞳を向けて。
「まさかとは思うが……」
「な、なんでしょう?」
「……いや、俺の考え過ぎだろう。君がそんな子供みたいな真似をするとは思えないし」
「子供みたいな真似とはなんですの?」
「いや、何でもない。忘れてくれ」
そう言うと、アルは私の肩から素っ気なく手を離し一歩下がった。離れていく婚約者に、私は僅かに寂しさを覚えた。
「それでどうだろう? セル君とアルの奴隷を交流させてみないかい?」
パンっと手を叩いてシレン様が提案なさった。咄嗟に私がセルを見ると、同じくセルを見たアルの奴隷と目が合ったけれど、すぐに視線は外された。
「わたくしは構いませんわ。ですが、そちらの奴隷はどうなのでしょう?」
未だにアルの背中の後ろで縮こまってみせる少女に視線を向けながら述べると、私の視線から隠すようにアルが前に出て来た。
「俺は反対だ。本当に二人が知り合いだったという証拠もないし、何より記憶がないリスィに無理強いさせるなんてできない」
「オレが嘘ついてるって言いたいのか……ですか?」
「その可能性もないわけではないだろう?」
「なんだと!?」
今にもアルの胸倉を掴み掛かろうとするセルに、私は慌てて割って入った。
「セル! 慎みなさい。アルクスは侯爵家の人間よ。貴方が気安く話していい人じゃないわ」
「……もうしわけ、ございま、せん、でした……」
「いや、こちらも配慮が足らなかった」
セルが深く頭を下げると、アルもバツが悪そうに小さく頭を下げてみせた。それはセルへの謝罪だろうか? それとも私への?
奴隷の人権を求めているアルにとって、私の奴隷とはどういう立ち位置なのだろう? 同志? はたまた目の上のタンコブ?
もしさっき私が止めなければ、セルがアルの胸倉を掴んでいたら、アルはどうしただろう。
そんな事ばかり考えてしまい、目の前の事から目を背けてしまっていた。私の悪い癖。
「少し交流するだけで、きっといろいろ分かるんじゃないかなぁ。てことで、みんなでお茶でも飲まない?」
シレン様がいつもの悪戯っ子のような笑顔でそうおっしゃった。
それが地獄の時間の始まりだった。




