11.離宮での休息
「シレン様、本日はお招きくださりありがとうございます」
「やあ、アヴィ。今日も一段と綺麗だね」
本日は王家の離宮で行われたお茶会にお呼ばれされていた。
幾何学的な配置をされている植木と、季節の花々との調和が見事に保たれた芸術的な中庭が見応えのある離宮では、二階のギャラリーから中庭を一望でき、まるで一枚の絵画のように観る事ができる。
贅の限りを尽くした煌びやかな離宮は、沈んでいた私の心を少なからず色めかせた。
まるで自分がおとぎ話のお姫様になれたような錯覚を味わわせてくれる。
そんな素敵なお城へ誘ってくださったシレン様へ深くお辞儀をした。
「そうそう、今日アルクスは来ないよ」
「え……」
アルと婚約してから、シレン様とお会いする時は必ずと言っていいほどアルがいた。今日もてっきり来ているとばかり思っていたのに。
まさか、この間の険悪な雰囲気が継続されているのだろうか?
アルの家で静かに口論した二人。
アルはともかく、大抵の事は笑い飛ばすシレン様の事だから、とっくに仲直りしているのだと思っていた。
正直、今はアルに会いたくなかったから、欠席というなら願ったり叶ったりではある。
あの日から、『アヴロラ』と呼ばれた日から今日で3日目。このお茶会を口実に、私はアルの家へ足を運んでいなかった。
そっと伺うようにシレン様の顔色を見ると、小さく笑って肩を竦められた。
「例の奴隷が熱を出したらしくてね。僕はまんまとフラれたわけさ」
奴隷。その言葉に反射的に私の体は凍りつく。
アルが大事にしている奴隷と、先日衝動的に買ってしまった私の奴隷が頭の中に過って。
「あの……シレン様」
「うん? どうかした?」
「実はシレン様にご報告したい事がございまして……」
「なんだい? まさかアルクスと何かあった?」
「それは……」
私は言葉が出なかった。
アルと何かあったのかと訊かれれば、あったと言えるだろう。
けれどそれが、腹癒せに奴隷を買った理由に足るかと問われれば、分からなくなる。
私は奴隷を買った事を後悔しているのかもしれない。
あんなにも嫌悪していた性奴隷を自ら買うなんて、正気ではなかったのかもしれない。
けれど、私は辛かった。
アルに『アヴロラ』と呼ばれる事も。
あの奴隷を可愛らしい名前で呼ぶ声を聞く事も。
アルを『アル』と呼べない事も。
あの奴隷を優しげな眼差しで見つめるアルを見る事も。
奴隷へ、笑顔を向けるアルを見せつけられる事も。
全てが辛かった。耐えられなかった。
この胸の内に溢れるドロドロとした感情を、どうにかして発散させなければ気が変になりそうだった。
だから、買った。忌み嫌う奴隷を。
「アヴィ、話したくないなら無理に話さなくてもいいよ」
「いえ、そういうわけでは……」
「僕には話し辛い?」
「……シレン様に軽蔑されてしまうかもしれません……」
シレン様も奴隷を良く思っていないような気がした。
実際、アルの奴隷には一線を引いているようだったし、この前のアルとの言い争いも奴隷が原因。
それなのに、私まで奴隷を買ったと知ったら、失望させてしまうかもしれない。
親戚であり大切な友人であるシレン様にまで、私は距離を置かれてしまうのだろうか。
アルに愛称を呼ばれなくなったように、シレン様からも呼ばれなくなってしまうのだろうか。
そう考えるだけで唇が震えて声が出てこなかった。
「──ああ、もしかして買ったのかい?」
「……えっ……」
「マルク兄様から聞いているよ、奴隷を買うように嗾けといたって。マルク兄様はほんと強かだね、僕ならそんな提案しないのに。まぁでも国民のほとんどが奴隷を利用しているらしいから、一人くらい持っていても良いと思うよ。男手が必要な時もあるだろうし」
シレン様は拍子抜けするほど朗らかに笑った。
「……シレン様は、奴隷に肯定的ですのね」
「そりゃまあ、自分の奥さんが性奴隷を持ったら良い気分はしないよ? 僕も男だし。けれど奴隷は今は立派な労働力だからね。闇雲に否定はできないかな」
その答えに、私の心は少なからず落胆を覚えた。
奴隷を買った事を否定されたくないと願って置きながら、肯定されたらされたで少しガッカリするなんて……。
私はなんとわがままなのだろう。
黙ったまま俯いた私に、シレン様は続けておっしゃった。
「アヴィ、君は性奴隷が欲しくて買ったわけじゃないだろう? なら、君の事は悪く思わないよ。君の事は、ね」
含むような物言いに、私は内心首を捻る。
それは私の事は許すけれど、私以外の、それこそアルの事は許さないという事?
それとも、私の行いは終わった事だから受け入れるけれど、奴隷自体はよく思わないという事?
「シレン様……」
「なに、アヴィ?」
「わたくし……間違えたのでしょうか……」
奴隷を買った事を。
奴隷への偏見を捨て切れない事を。
奴隷を手放してと今尚アルに言えない事を。
「アヴィはなんて言って欲しい?」
「わたくしは……」
「僕がなんて言っても、きっとアヴィの気持ちは晴れないよ」
柔らかな口調で述べられた言葉に釣られて顔を上げたけれど、お顔を伺う前にティーセットが用意されたテーブルへと卒なくエスコートされてしまって、結局シレン様がどんな表情でおっしゃったのか分からなかった。
「さ、お茶でも飲んで気分を変えよう」
促されるまま、用意されたお茶をよく考えもせずに啜った。
鼻をくすぐる優雅な香り。
じわりじわりと口の中に広がる味覚。
私は咄嗟に口元を手で押さえた。
これは、この味と香りは……
「どう? 懐かしいでしょ、渋茶」
途轍もなく苦くて渋いお茶を平然と飲みながら、シレン様はそう言って笑った。
私は口の中のお茶をどうにか飲み干そうと、必死に平静を装いながら喉を動かす。
「あの頃は婚約や奴隷なんか気にせず、こうしてアヴィに悪戯したりお茶を飲んでるだけだったのにね……」
小さく漏れた呟きに、私は努めて顰めっ面をしてみせた。
「……悪戯は余計ですわ」
「そう? 僕の生き甲斐だったんだけどな」
「他を当たってくださいませ」
「無理だよ。これは僕の特権だからね」
そう笑うシレン様は、前に渋茶を飲ませてきた時からたった数年しか経っていないのに、お顔が大人っぽくなっていて。
ああ、私達は大人になっていくのね……。
と、ほんの少しだけ寂しく思った。
「……シレン様。わたくし、シレン様に親しくしていただけて幸せですわ」
本音を言えば、渋茶は二度と飲みたくないけれど。
けれど、シレン様がいらっしゃって良かった。
私は渋茶が口内に残る中、大切な友人の存在を強く噛み締めた。




